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江戸時代綜合琉球、小次郎と武蔵、大坂夏の陣家光家綱綱吉


小次郎と武蔵の対決
 宮本武蔵(1584頃~1645)が吉岡一門との決戦におもむく際、社(やしろ)に必勝祈願をしようとしたが、「頼れるのは己の剣のみ」と自分を恥じて、やめたらしい。このことは、のちに『巨人の星』で星一徹(1920推定~1978推定)が星飛雄馬(1951頃~)に語って聴かせたもので、1968年の正月に飛雄馬がそう言っている。また、『侍ジャイアンツ』によると、ヤクルトの選手だった眉月光も1972年新春に語っていた。花形満はヤクルトスワローズ時代に「ツバメ返し打法」を使ったことがある。
└→ツバメ返し打法

 「天は自ら助くる者を助く(天助自助者)」と言われる。菅原道真(845~903)などはこのように神に頼らない者を救いたいと想うだろう。ただ、武蔵は、敵の将とはいえ、子供を殺したようだ。評価は分かれるだろう。
 1612年、宮本武蔵と佐々木小次郎(生年不詳)が船島(巌流島)で決闘。歴史を扱ったテレビ番組で出演者が、「小次郎は決闘の当時、相当、年をとった老人」で、「武蔵が弟子たちに集団で小次郎を攻撃させた」など、定説と違う歴史観を紹介したこともある。

 2008年正月、某テレビ局で放送された時代劇風のコントで、武蔵と小次郎が決闘しているとき、徳川光圀と佐々木助三郎、渥美格之進がテレビの『水戸黄門(みとくわうもん)』そのままの姿で登場する場面があった。この舞台作品では武蔵が若者で光圀が老人だった。
 しかし、徳川光圀は1628年生まれで、1584年生まれの宮本武蔵のほうが44歳年上であり、巌流島の決闘があった1612年当時、まだ光圀は生まれていなかった。人々が歴史上の人物を固定した印象で覚えていることのあらわれである。

過去と現代で時間が同時進行?
 『ドラえもん』の「名刀〔電光丸〕」によると、若き日の宮本武蔵がのび太を師と仰ぎ、電光丸という刀をもらって自身をつけた。電光丸は自動的に敵の動きを察知し、剣を持っている人間の意思と無関係に勝ってしまう。ただ、相手を斬るというより殴って気絶させるようである。
 もともと、のび太は20世紀の東京でジャイアンこと剛田武から剣道での勝負を申しこまれていた。ただ、面も胴も防具を何もつけない勝負のようで、のび太が大ケガをするのは目に見えていた(ドラえもんの道具でどうとでも防御できただろうが)。ドラえもんはその特訓のためにのび太を連れてタイムマシンで江戸時代初期の日本に来た。ところが、ドラえもんは何を間違ったか、西暦1621年の船島に行こうとし、のび太が怖がって暴れたおかげで、タイムマシンが目的の時代より「少なくとも十年」昔に到着。決闘前の西暦1611年以前についた模様。のび太が暴れてよかったことになるが、ドラえもんがどうして年数を間違えたのか。
 縱書きの台詞なので、作者が漢数字で
一 (1)
六 (6)
一 (1)
二 (2)
と縱に描いたのが、活字にする段階で
一 (1)
六 (6)
二 (2)
一 (1)
と誤認された可能性がある。

 ドラえもんとのび太は武蔵によって引き止められ、江戸時代の日本で予想以上に長く滞在し、武蔵と別れて20世紀の日本に戻ったとき、なぜか、出發した時刻の直後でなく、もっとあとの時刻に戻ってしまった。ジャイアンとの決闘は午後4時の予定だったが、電光丸は武蔵に持ち去られていた。ドラえもんとのび太が20世紀の野比家自宅に戻ったとき、すでにあたりは暗くなっており、スネ夫によると、ジャイアンは待ちくたびれて風邪を引き、決闘をやめて家に帰ったという。

 作品ではドラえもんとのび太が江戸時代の日本にいる間、一時的に場面が20世紀の日本に切り替わり、ジャイアンがのび太を待ちながらクシャミをする姿が描かれていた。まるで、「20世紀」の世界と「江戸時代」の世界が同時に進行しているように描かれていたが、当然、時間軸上では江戸時代より20世紀のほうがあとであるから、ドラえもんとのび太は帰る際に時刻を調節すればよかったのである。そもそも、電光丸が一本しかなかったのがおかしい。22世紀の科学を使っていくらでも補充はできただろう。

 また、鳥山明の『Dr.スランプ』によると、決闘直前の武蔵は則巻アラレというロボットによって20世紀の日本(ペンギン村か)に連れ去られ、小次郎は巌流島で老人になってしまった。

 のちに江戸時代に出現した町奉行所同心(警察官)・中村主水(~もんど、主に文化文政~幕末)は武蔵のような二刀流も使えたが、小次郎のような剣法も使えたようである。『必殺仕事人IV』第20話「主水、宮本武蔵の子孫と試合をする」での武蔵の子孫との対決では、主水は裏稼業を隠すためわざと負け、その裏稼業で武蔵の子孫を倒すときは静かに刺していたようだが、二刀流との真剣勝負をしなかったのが惜しい。


『バガボンド』は宮本武蔵の生涯を描いているらしい。


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08年9/13