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応仁の乱川中島信長の時代本能寺、秀吉の時代、関ヶ原


1582年に本能寺の変、1583年に羽柴秀吉が柴田勝家を破り、同年、大坂城を築城。1584年には秀吉軍と織田信雄・徳川家康連合軍が小牧・長久手の戦い。1585年になると秀吉は関白宣下(くわんぱくせんげ)を受け、翌1586年から豊臣姓を名乗った。
信長の死から秀吉の天下統一に向かう時代であった。

 山中鹿之介(1545?~1578)が「我に七難八苦を与えよ」と月に祈った話は有名で、『ドラえもん』ではのび太の父親がのび太に語っており、、星飛雄馬(1951頃~)も1970年の春のオープン戦の時期、その心境になっていた。

刀狩りと朝鮮出兵
 1588年、天正16年にあたる年に豊臣秀吉が刀狩りを命じた。『忍者武芸帳』はこの場面で終わっている。明治政府の廃刀令(1876年=明治9年)も「刀狩り」と呼ばれることが多い。21世紀になって核保有国が他の国に核の廃棄を強制するのも「刀狩り」に似ている。
 加賀百万石、前田利家(まへだとしいへ)の話は『利家とまつ』でおなじみ。

 文禄元年(1592)文禄の役と慶長2年(1597)正月慶長の役(朝鮮出兵)で、秀吉は朝鮮への出兵を試みる。戦争の直接の原因はともかく、これは信長と秀吉が国内でやってきた「天下平定」の続きであり、裏を返せば戦国の武将も「侵略者」ということになる。よく言われる「国境をなくして世界を一つに」「アジア統合」「東アジア共同体」の夢想も、歴史の上で実行すれば始皇帝フビライや秀吉、昭和初期の日本のようになる。

 『おんな太閤記』で、ねね(北の政所=~まんどころ)が「戦をなくすために戦をするのだと教わりました」、「誰ぞが天下を獲らねば」(これは秀吉の台詞だったかも知れないが考えは同じだっただろう)と言っていた。
 結果として、朝鮮出兵は、前の蒙古襲来([寇)で高麗から攻められた日本が、大航海時代という時期に報復したものだった。結局、失敗したが、もし、秀吉が朝鮮と明を併合していたら、日本と朝鮮はのちの国内の革命で清、中華民国に併合されていた可能性がある。その場合、日韓併合と満洲国は初めから自明の理で、不要だったが、20世紀後半には、日本は中華人民共和国の一部になっていた可能性がある。

 エリザベス1世(1533~1603)の時代が『Elizabeth:The Golden Age』で描かれている模様。即位は1558年、映画は1585年が舞台らしい。
└→激動の戦国時代に突入(『チャングムの誓い』、『里見八犬傳』)>『ブーリン家の姉妹』

 『隠し砦の三悪人』も戦国時代が舞台。

『おんな太閤記』
NHK大河ドラマで『おんな太閤記』(1981年、橋田壽賀子原作)がある。北政所を佐久間良子が演じた有名な作品。
テレビ東京でも『寧々~おんな太閤記』(2009年)をドラマ化し、北政所は仲間由紀恵。
泉ピン子と仲間由紀恵は『99年の愛』で共演。

『新・影の軍団』
映画『新・影の軍団』は豊臣家による太平の時代を舞台にしている。主人公は初代服部半蔵(生没年不詳)。
└→服部半蔵一族、世代変遷

豊臣秀吉の死因について「脚気(かっけ)」とする説が出た(2009年6月9日)。
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08年9/13