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応仁の乱、川中島、信長の時代本能寺秀吉の時代関ヶ原


自衛隊がタイムスリップ、行き先は戦国時代に集中
 また、映画『戦国自衛隊』『戦国自衛隊1549』『戦国自衛隊・関ヶ原の戦い』によると、20~21世紀から自衛隊がこの戦国時代に何度かタイムスリップしてきた。
 千葉真一主演『戦国自衛隊』では、自衛隊が、おおよそ、武田と上杉の川中島の合戦の時代にタイムスリップし、長尾景虎(のちの上杉謙信)の軍と組み、最初は戦車やヘリコプターで活躍するが、武田軍はヘリの操縱室に入りこんで隊員を斬り、たくさんの旗を安全マットの代わりにして飛び降りるなど、知略で反撃。自衛隊員の中には、戦場で子供の兵士を見つけ、油断してやられた者も。

 自衛隊は武田信玄を倒したようだが、信玄の死は伏せられ、影武者もいたので、そこは謎のまま。最後に自衛隊員は仲間だった武将たちから裏切られ、戦国の日本で全滅する。歴史を変えようとするタイムスリップは、自然の力で調整されるらしい。上杉謙信の生涯に関しては『天と地と』で描かれている。

桶狭間→川中島
 1560年、織田信長桶狭間で勝利した原因には武田と織田の協力、山本勘助の情報など、ドラマによって諸説ある。
 1561年ごろ、川中島での山本勘助の戦死が『風林火山』で記録されている。

 武田信玄(1521~1573)没後のことはテレビ朝日『徳川家康と三人の女』で描かれている。
 映画『影武者』によると、武田信玄の影武者だった男は、素性がばれて追放され、1575年、武田勝頼と織田信長・徳川家康連合軍がぶつかった長篠の戦いの直後、そこでその元影武者も絶命した。

 「応仁の乱」と「桶狭間の戦い」は「戦争」、「殺し合い」であり、「延暦寺焼き討ち」は「延暦寺放火大虐殺」、「本能寺の変」は「本能寺放火虐殺事件」である。歴史は戦争や殺し合い、暴動を「変」だの「乱」だのと表現するもの。歴史を考えるときは自分なりに言い換えるべきである。歴史教科書に「侵略」と書いてあったから「侵略」、書いてなければそうでないという教条主義では、教科書の執筆者に洗脳されるだけである。

 上杉家の家臣・直江兼續(なほえかねつぐ、1560~1619)を主役にしたのが2009年の大河ドラマ『天地人』。

のび太の祖先は戦争嫌い
 また、『ドラえもん』の「ご先祖さまがんばれ」によると、戦国時代、野比のび太の祖先・のび作(山の狩人)が子孫ののび太と遭遇。のび太はドラえもんの道具をのび作に与え、戦で手柄をたてるように薦めるが、のび作は狩人を続行。ドラえもんとのび太は落胆したが、戦での手柄とは人殺しであり、のび作も人間以外の動物が標的とはいえ、平和主義だったのだろう。のび太が戦に向かった際、ドラえもんは「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」と言っていた。結局、スネ夫の祖先らしいスネ丸が手柄をたてたことになった。

 もともと、スネ夫の先祖が家老で、のび太の先祖が狩人ということで、劣等感を感じたのび太にドラえもんが共感し、野比家の祖先を殿様にしようと考えた時間旅行だった。結果、のび太はスネ夫が自慢する祖先の手柄の手助けをしてしまった。これは過去を変えられないということを意味している。戦国時代の武士は第一次産業と兼業だったらしいが、猟師がすべて戦に出ていたとは限らないだろうし、猟師より家老が偉いとも限らない。

 そもそも、のび太がタイムマシンで探偵の真似事をしようとした際、ドラえもんは「タイムマシンで勝手に過去を変えることは禁じられている」という主旨の忠告をしていた。しかし、ドラえもんが22世紀から20世紀にやって来たこと自体が「過去の改変」であった。


@yk_sales 「あれはなかった」「これはウソだった」など、歴史学の世界は歴史修正主義者だらけ。学校で教わる歴史もウソだらけか。これじゃ日本史や世界史の嫌いな子供が増えても仕方がない。尾崎豊の歌みたいに授業中は教科書に落書きして外ばかり見てる方がましか。
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08年9/13