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1968年の初め、飛雄馬が東京奥多摩の雪山で特訓したとき、私服をユニフォームに着替えて特訓していた。その後、台湾キャンプの前の自主トレの時点で既に飛雄馬たちはユニフォーム姿だった。

 

 

1968年秋の巨人×阪急の日本シリーズ前半戦のとき、星飛雄馬と伴宙太は多摩川の釣堀で特訓をしていた。報道陣に悟られぬための秘密の特訓として多摩川を選んだようだが、星も伴も巨人のユニフォームを着ていてバレバレ。
伴の立っていた箇所の板が壊れた、伴は下半身が水につかったが、板はすぐに復元。

 

 

 

また、1970年の正月、左門豊作は妹や弟たち(きょうだいたち)との食事でも大洋のユニフォームを着ていた。
左門は九十九里浜での特訓でも大洋のユニフォームを着ていたが、海の浅瀬に浸(つ)かったりしていたので、別の服のほうがよかった気がする。

 

 

 

星飛雄馬は大リーグボール3号で花形、左門、A・オズマ(当時、すでに帰国してカーディナルスに戻ったあと)と非公式に対戦している。
星は巨人のユニフォーム。花形は阪神の、左門は大洋のユニフォームだが、オズマは私服。

 

 

 

眉月光は特訓のとき、ヤクルトのユニフォームだったり、私服だったりした。

 

 

 

右腕の星飛雄馬は1975年、巨人に復帰する前は当然、私服で、帽子だけ巨人のYGマークのもの。1976年に巨人入団後、投球練習は普段の練習の延長で、普通の練習用のグラウンドでおこなっており、当然、巨人のユニフォーム姿。
1977年年末、星飛雄馬と一徹が「大リーグボール右1号」を開發するために投球練習をしたとき、飛雄馬はいつものユニフォームで、一徹も巨人時代の虫食いだらけになったユニフォームを着てきた。一徹の住まいは下町の長屋→名古屋の中日宿舎→下町のアパートと変遷したが、春江の写真だけでなく巨人時代のユニフォームも常に持っていたようだ。
1978年の正月にハワイで特訓をしたときは、星飛雄馬も一徹も伴も私服。

 

 

 

1977年末、星飛雄馬が大リーグボール右1号を開發するために投球練習をした時はユニフォーム姿で、翌1978年の正月にハワイで特訓をしたときは私服。
4:10 - 2016年1月25日

 

 

 

#東山紀之 
#古田敦也 がプロ野球の自主トレーニングのついて解説。
書道、テニス、ボクシングをした人もいた。
#巨人の星 で花形がテニスをやって、星飛雄馬がボクシング、剣道などをやったのは別におかしくないわけか。
7:53 - 2018年1月14日

 

 

 

 

 

 

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2008年9/4~9