『巨人の星』の「かたい決意」から「台湾キャンプ」にかけて、1968年に巨人軍が台湾でおこなったキャンプの模様が描かれていた。

台湾側が飛雄馬たちを歓迎する文字「」、「」(漢字をクリックすると各方言音が出る)などはなぜか、「終戦」後の日本の略字だった。台湾の繁体字なら「歡迎」、「棒球團」になるはず。

巨人選手が台湾の空港につくと、台湾側は爆竹と獅子舞などで歓迎。巨人選手は爆竹を知らず吃驚してしまい、川上監督から説明を受けていた。今の日本で中国の爆竹を知らない人はいないが、台湾キャンプ当時は1968年で、中国本土との国交回復の前。国交正常化は1972年で星飛雄馬は失踪中。代わりに番場蛮が巨人で活躍。
日中両国で日中平和友好条約が締結されたのは1978年で、右腕投手・星飛雄馬が蜃気楼の魔球を使っていた年である。

オリンピックとの関係では、こうなる。

1964年 
東京五輪(夏)開催。
星一徹は東京五輪のための道路工事で昼夜、働いていた。
星飛雄馬は中学生。

1968年
巨人軍の台湾キャンプ。
メキシコ五輪(夏)開催。
原作の速水譲次はこのメキシコ五輪の陸上に出る予定だった。ただし、DVDの紹介HPでは原作どおり、「メキシコオリンピック」の候補となっている。


1972年
札幌五輪(冬)、ミュンヘン五輪(夏)開催。
アニメの速水はこのミュンヘン五輪の陸上に出る予定だった。
星飛雄馬が1970年の秋または師走に失踪して2年。原作の番場蛮が巨人に在籍。
日中国交回復。

1976年
モントリオール五輪(夏)開催。
星飛雄馬は代打、代走、そして後半戦で右腕投手として巨人に復帰。

(1978年 日中平和友好条約締結。星飛雄馬、蜃気楼の魔球を開發。岩崎恭子誕生)
(1979年 星飛雄馬、現役を引退し、巨人の二軍コーチに。ソ連がアフガンに侵攻)

1980年
モスクワ五輪(夏)、日本などがボイコット。

また、少年誌は漢字に全て振りがなを振る慣習があり、漫画でてがみや新聞の見出しにも振りがながある。
『巨人の星』の台湾キャンプで台湾人が王貞治に「、おう」、「王先生」という声援を送ったが、漢字には「おう」、「おうせんせい」と日本語の音読みが振られてあり、台湾人が漢字の日本語読みで叫んだことになる。
「先生」は現地で「~さん」の意味で、「」(漢字をクリックすると各方言音が出る)は不自然ではない。
しかし、作中の王貞治は「先生」に驚き、悪送球をしてしまった。

また、星飛雄馬が柴田に危険球を投げ、川上監督からグラウンド1周を命じられたとき、スタンドの客が「やーい、」(漢字をクリックすると各方言音が出る)と野次をとばした。
この「無制球恐怖投手」は設定上、日本語音読みの「むせいきゅう・きょうふとうしゅ」という發音だったようで、星飛雄馬も「む、ノーコンで恐怖の投手」と理解し、聴き取れたようだ。

張明澄著『間違いだらけの漢文』(洋泉社)によると、日本語を学んだ中国人がはシナ語と日本語の語彙の違いを無視して、中国式の熟語を日本語読みにして日本語に混ぜることが多いらしい。日本人もシナ語を話すとき、日本式熟語を北京語読みして混ぜてしまう。

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2008年8月末