アテネトリノの五輪を見て想った。オリンピックは地中海のスポーツ大会である。グレコ・ローマンの文化である。
地中海でやるのが本来の姿。2016年はマドリードでやるのがベストだと想う。

 

アジアや南北アメリカ大陸でやるのもいいが、アジア杯野球のWBCもあるのだから、あとで述べるように、環太平洋で国際スポーツ大会を別途にやり、野球とソフトボール、中国武術、柔道(日本人が満足する傳統的な「じうだう」>「じゅうどう」)などはそこで目いっぱいやればいい。

 

アテネとトリノの五輪では開会式で地中海の文化、歴史が紹介されたが、北京五輪ではシナの歴史が紹介された。日本人には馴染み深い中国風の紙の發明、墨と毛筆の書道や漢字の活字を表わす出し物は、エヂプトパピルスを紙の起源と見なし、グーテンベルグを印刷の「發明」と見なしがちの地中海沿岸諸国の人に対し、東アジアの文明をアピールする場でもあった。
中国が強調した羅針盤の發明も西洋の大航海時代を意識したものだろう。

 

夏だけでなく冬季五輪も含めると東京札幌注釋)、長野で3回やったのに、また日本で五輪など、もうやめてほしい。むしろ五輪が終わったあとの後始末のほうが大変。日本と英国はそのあたりを中国に助言すべきだった。

 

開催地の公平性のために五輪をアジアで開催する必要があるなら、何も日本に呼ばなくてもいい。1964年から2008年まで、日本で五輪は夏に1回、冬に2回、中国と韓国ではいずれも夏に1回づつ。
それなら、2014年のソチ五輪注釋)以降は、中国と韓国で冬季五輪を2回づつやって、それから日本で立候補すべし。また、モンゴルは五輪に出場しているが、開催はしていないようだ。モンゴル人はモンゴルで五輪を開催したくないのか(注釋)。

 

日本では柔道や野球で今更「ルールが日本と違う」なんて島国根性まるだしの愚痴を言っているのだから、東京で五輪をやる必然性はない。開催国となっても主催ではないので、ルールはIOCの考え。「柔道とJUDOの違い」など、ただの言葉遊びである。野球復活はシカゴでやってもできるし、野球と柔道と中国武術は環太平洋のスポーツ大会で別途にやればいい。環太平洋スポーツ大会であれば、相撲の国際大会もできるし、少し内陸のモンゴルも参加できるだろう。
└→補足