1967年(星飛雄馬のプロ入団以降) 

飛雄馬の巨人入団は一徹による巨人への復讐
星飛雄馬が巨人の入団テストを受ける前、他の11球団のスカウトが星の長屋を訪ねていた。1球団は一徹が新聞で飛雄馬の退学を知ったとき。残る10球団は東都スポーツ記事で飛雄馬の敗北が負傷によるものだと知ったあとであった。
飛雄馬は巨人以外の他球団に入り、実績を上げて巨人に移籍する手もあったはずだ。
しかし、一徹は「おまえ(飛雄馬)がめざすプロ球団はただ一つ、石にかじりついても巨人あるのみ」などと、飛雄馬の「職業選擇の自由」を無視したことを言い、飛雄馬もそれに同意して「おれがまちがってたよ!」と言う始末。これでは「野球人形」あるいは「一徹の人形」と呼ばれても仕方がない。

なぜ、一徹がそこまで飛雄馬の人生に干渉し、飛雄馬の巨人入りにこだわったか。それは巨人への賛美ではなく、復讐であった。
一徹は戦争で肩を壊し、魔送球を編み出したが、川上哲治から批判された。一徹は巨人を去ったが、他球団に移籍して巨人を倒す道を選ばなかったのが不思議である。
その一徹に洗脳された飛雄馬は甲子園で負傷して敗北し、やはり川上監督から「不要」の烙印を押された。
したがって星飛雄馬が巨人に入るのは、巨人から追放された一徹による復讐劇である。

また、一徹が川上から巨人二軍コーチ就任を要請されても断り、中日のコーチとして巨人と敵対したのも、一徹の引退後の人生が巨人への復讐であったことを考えれば納得できる。

『巨人の星』入団テストの不思議
『巨人の星』で星飛雄馬が巨人の入団テストを受けた場面でもおかしいところがいくつかある。

遠投テストで伴が合格ラインぎりぎりの80mまでボールを投げたとき、巨人軍の計測係は丁度、その80mのところに立っていた。そこは白い線の圓で圍まれていた。

速水が遠投テストで95mを記録。計測係りは「星も速水と同じく、このへんまで投げてくるだろう。戻る必要はあるまい」と考え、その95mあたりにとどまっていた。
そこは白線も何もなく、圓もなかった。

ところが星飛雄馬が投げるところで、1コマだけ、その継続係りが、前の80mのところをおぼしき圓の中に立っているところが描かれている。アシスタントのミスであろう。

星飛雄馬が受けた入団テストは走力テスト、遠投テスト、打撃テストの順で、走力は100メートル11秒台、遠投は80メートル以上、打撃テストはヒット3本が合格であった。
走力で失格だった受験者は遠投テストを受けられず、遠投で失格だった受験者は打撃テストを受けられなかった。
例えば『ドカベン』の山田太郎の場合は、このテストを受けると最初の走力テストで失格になってしまい、キャッチャーの本領發揮である遠投と打撃の技術は日の目を見ることなく終わることになる。
山田と同様、柔道から野球に移っていた伴宙太は、走っても100メートル12秒台が限度だったが11秒9で合格し、捕手としての本領發揮である遠投では80メートルぎりぎり。打撃テストでは惜しくも失格であった。甲子園で本塁打を連發した伴もプロの前には快音なしだったが、長嶋も金田正一の前に4打席4三振を喫している。
川上監督は速水と伴を補缺で採用しながら、速水に関しては走力だけを使い、守備などを鍛えようとしなかった。

さて、水島新司のキャラクターでこのテストに合格しそうなのは誰か。
殿馬はバントヒットの天才なので足もそこそこ速いだろう。岩鬼の遠投力はバットをバックスクリーンにぶつけるほどで、打撃も当たれば本塁打が多いものの、三振王でもあるので、打撃では全部空振りの可能性がある。里中は土壇場の勝負強さがあるので、合格できるだろう。
確実に合格できそうなのは真田一球である。走塁は三塁ゴロを一塁セーフにするほどで、遠投も外野からダイレクトでバックホームでいる強肩。打撃力も天性の素質があるし、速水のようにバントを俊足でセーフにすることも可能だ。

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2008年8/22 8/22前後