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黒船桜田門外の変清河八郎家定上洛元治年間慶喜『龍馬伝』龍馬没篤姫無血開城
└→太平天国の乱、日米修好通商条約から150年→~153年


西暦2008年は日米修好通商条約(下注釋)調印から150年。
同時に安藤広重徳川家定島津斉彬が没してから150年。

日本とアングロ・サクソンの付き合いは200年に満たない。

 必殺シリーズのスペシャル版『必殺仕事人ワイド「大老殺し」下田港の殺し技・珍プレー好プレー』で安政の大獄から桜田門外の変までが描かれている。
 1858年、中村主水は日米親善野球大会を任される。中村主水はジョン万次郎(1827~1898)から野球について教わり、剣術の名人や飛脚を集めて日本チームにした。
 ところが、試合は爆發事故で中止。この様子を晩年の安藤広重がスケッチしていた。広重はこの年に亡くなった。
└→日米修好通商条約から153年


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2008年7/29 7/30 7/31 7月末 9/13

関連語句
安政の大獄 大老
1858 2008 1858年 安政の大獄 150年 日米


注釋
日米修好通商条約
1858年の条約。その4年前に1854年に日米和親条約が締結されていた。
1974年に放送された『暗闇仕留人』の最終回によると、1854年の2度目の黒船来航のとき、北町奉行所同心だった中村主水は、当時横浜で開かれた日米会談の護衛に選ばれた。このとき、日米和親条約が締結された。
それから4年たった1858年のことが『大老殺し』で扱われており、中村主水は北町奉行所の同心になっていた。
『大老殺し』の放送時期は1987年だったので『仕留人』の放送から13年が経過していた。もっとも、1979年の『必殺仕事人』は『仕留人』の放送から5年後に始まった作品である。『仕留人』から『仕事人』まで劇中でも実社会と同じ年月が流れていたとすると、主水の裏稼業の名が「仕事人」になったときにはもうこの安政の大獄の時代に入っていたことになる。


参照
日英外交関係樹立150年
中村主水年齢変遷(1818年、1842年、1858年で数え年43歳の場合で満年齢と併記)
歴史全般(2008年7月~8月)