-------- AUTHOR: ItouK TITLE: ▲東京オリンピック前後 DATE: 02/28/2008 16:04:00 PRIMARY CATEGORY: 1960年代 STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/ ----- BODY: 

▼東京オリンピック前後(『柔道一直線』、『愛と死をみつめて』、『ドラえもん』、『マルコムX』) 

1960年代から70年代にかけて、野球界では魔球や秘打が乱れ飛び、他の競技でも柔道がプロレス的になるなど、スポーツ界が前後にない過熱ぶりだった。 

 

1962年(昭和37年)、『1リットルの涙』の作者・木藤亜也氏誕生。 

 

翌1963年(昭和38年)、『愛と死をみつめて』の大島みち子氏死去。『愛と死をみつめて』もこの年に出版されたらしい。 

 

この年、キング牧師(Martin Luther King Jr.)が有名な〝I Have A Dream〟の演説。 

 

1963年黒部ダム完成。 この工事の模様は映画『黒部の太陽』で描かれた。 

T-CupBlog 東京オリンピック前後 

Yahoo!Blog 1960年代の始まり 

 

1963年、伊賀忍者の末裔である椿林太郎が野球選手として巨人軍に入団(『黒い秘密兵器』)。椿投手はすでにボールが分身する魔球を開發しており、光るボールやトリック投法(投球動作の途中で投げる)などもあり、対する打者たちもブーメラン打法、回転打法などで応戦。これらの技は、のちに星飛雄馬、番場蛮とそのライバルたち、秘打男・殿馬、新城童夢(『ミラクル・ジャイアンツ童夢くん』)などに受け継がれる。 一方、伊賀忍者にとって宿敵だった真田の忍者の末裔である真田一球が70年代半ば以降に出現した(『一球さん』)。 

 

1964年、東京オリンピック。戦争がなければ1940年に開催されていたはずだった。 この大会で、日本柔道の選手がオランダのヘーシンク(Geesink)に敗れた。

ドラマ版『柔道一直線』によると、この大会で主人公・一条直也の父親も敗れ、命を落としたらしい。これは同じ梶原一騎が作った漫画『柔道讃歌』でも日本柔道の悲劇として話題になっており、水島新司の『ドカベン』でも講道館で館長が師範九段伊賀谷栗助(=イガクリ)と「日本柔道の弱体化と復興」を話題にしていた。 

 

この日本柔道の敗戦は日本人にとって相当、ショックだったようだが、2006年にアメリカでの国際野球大会で王ジャパンが優勝したのと同じである。この場合、野球はアメリカのお家藝だったはず。それでアメリカが落ち込んでいるとも想えない。オリンピックで日本が金メダルを獲るたびに、そのスポーツの發祥の地の人々が涙にくれる話は聴いたことがない。

「戦争」に関しても日本は一度負けただけで、負けた戦争とその時代を全否定するが、オリンピック出場や誘致を負けても懲りずにやるのは矛盾している。中国はアヘン戦争と日清戦争で負けても、日中戦争で勝ち、軍備を増強している。世界の国々は負けたら「次はどうしたら勝つか」ということを考え、それが「反省」になる。 

 

「戦争は無益だ」ということばは、「有益であれば戦争をやっていい」ことに繋がるし、「負ける戦争をしたのが悪い」という考えは「必ず勝つ戦争ならしてもいい」という結論になる。これでは真の「反戦」とは言えない。 

 

『ドラえもん』・「ぼくの生まれた日」によると、この年、8月7日に野比のび太が生まれた。のび助は病院で誕生直後ののび太と対面する直前に、10歳ほどに成長したのび太と自宅で対面している。 1964年度(1964年春~65年春)は『3年B組金八先生』第1作(1979~80年放送)の3Bの生徒たちが生まれた時期である。生徒を演じた俳優たちの生まれた年はもう少し前後に幅がある。 

 

1965年(昭和40年)前後、星飛雄馬は中学生で、学校の体育の時間に野球の紅白戦があると、エースとして活躍していたが、中学校同士の野球大会に出ていたかどうかは不明。この年から川上ジャイアンツの奇蹟の連続優勝が始まる。

 

1965年4月12日、巨人×中日戦で中日の投手の危険球のような投球に怒った長嶋茂雄がピッチャー返しで報復(アニメ版『侍ジャイアンツ』・「爆発!長島流喧嘩野球」)。このとき、長嶋は川上監督から、王者・巨人の野球にふさわしくないと注意されたらしい。さすが、魔送球を邪道と言い切った川上だが、11年後の1976年、長嶋は星飛雄馬の殺人スライディングを頻繁に使い、星飛雄馬は阪急打線から、さらに1978年には阪神のロメオ・南条からピッチャー返しを受けることになる(『新巨人の星』)。 

 

1965年、つまり昭和40年の『少年』3月号に掲載された藤子不二雄Aの『忍者ハットリくん』・「みたか!しったか!ハットリ打法」では20世紀にあらわれた少年伊賀忍者・服部貫蔵が「野球というものは忍法ににてるでござる。王氏(おううじ)や山本氏(やまもとうじ)、掛布氏(かけふうじ)なら忍者になれるでござるな」と言っていた。 王が王貞治、山本が山本浩二、掛布が掛布雅之であれば、王はともかく、山本と掛布は主に70年代に活躍した選手であり、65年にこの二選手の野球センスを見抜いていたハットリくんの眼力はすごい。

 

当時の日本には甲賀の少年忍者・ケムマキも出現していた。 1965年、マルコムX(Malcolm X、1925~)が暗殺された。カタカナだと「マルコメ」に似ている。 1963年、伊賀忍者の末裔である椿林太郎が巨人に入団(「黒い秘密兵器」)。椿投手はボールが分身したり光ったりする秘球を編み出し、これらのタイプの魔球は後に星飛雄馬、番場蛮、新城童夢等に受け継がれる。 

/1964年東京オリンピック前後

 

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http://blogs.yahoo.co.jp/itouk_monogatari_rekishi/16880559.html
http://blogs.yahoo.co.jp/itouk_monogatari_rekishi/16883718.html
http://blogs.yahoo.co.jp/itouk_monogatari_rekishi/16883790.html 

 

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