他人の話を聴くとき、どんなふうに聴きますか
他人に自分の話を話すとき、どんなふうに聴いてほしいですか
*『シリーズ・哲学のエッセンス ニーチェ どうして同情してはいけないのか』
神崎繁著、日本放送出版協会、2002年
この本は、私の本棚にずっとあって、いまだに読み切れない1冊です
「どうして同情してはいけないのか」というサブタイトルが気になって、
購入したように記憶しています。。。
子ども大人に限らず、他人の話を聴くとき、
特に、その話が、
愚痴だったり、悩みだったり
直接的にそうは言わなくても、隠された気持ちが含まれている
たわいのない話だったり
あるいは嬉しいことがあった!という話だったり
ちょっと自慢話だったり・・・
そんなとき、私は自分の意識をその人の意識まで落としていくようなイメージで
他人の話を聴く癖があった。
それが「同情」ということなのか、わからないけれど、
でも「同情してはいけない」と言われれば、
いったい自分はいけないことをしているのか、と気にもなる
そんな思いで購入したのだと思う。
いまだに、哲学的な言い回しが理解できてはいないけれど、
しかし、今になってわかったことがある。
キャリアやコーチングの勉強をしていて学んだこと
それは
「共感」は「同情」とは違う ということ。
そういえば、相手の気持ちに寄り添ったつもりでいて、
実は、相手にイヤな思いをさせてしまったかも…
と感じたこともあった
そういえば、「同情」するときは、
なんとなく自我が前面に出ているかんじがしていた。
「私もそうだったから、私のこともわかってほしい」と
あるいは、自分の気持ちを歪曲しているときもあった。
「大袈裟なリアクションをしないと、嫌われちゃうかな」と
あるいは、自分の意に反して「立場」を考えてるときもあった。
「先生という立場上、何か言ってあげないといけない」と
でも、それは無用で苦しい気持ちだった。
ただ、相手の思っていること、感じていることを受け止め、
相手の鏡となるだけで、
それだけで、よかった。
そのほうが、自分も相手も、お互いに自然に向き合える
『ニーチェ』はまだちゃんと理解できないけど…。
あなたは、目の前の子どもや学生の話を聴くとき、
どんなふうに聴きますか?
「相手の気持ちに寄り添う」ということが、どういうことか…
ちゃんと意識しておきたい。
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