大坂幕末散歩1 八軒家船着場跡 | 京一花日記帳

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先週の三連休のある日、大阪に住む歴史友達に誘われ、幕末散歩に行ってきました。




京都に住んでからというもの、京都に夢中で、ほとんど外に出ることがありませんでした。(はっ、長州は除きます。)

こんな私を見かねて、誘い出してくれた友達に感謝です。


とはいえ、ふらりと1,2か所を訪ねるくらいだと思っていたら・・・・・・

4時間ぶっ続けで歩くことに。


今回の散歩にあたり、ルートを考え、いろいろと準備していてくれた友達。 生まれも育ちも大坂の友達は、やはりいろいろが詳しかったです。 ありがとう…(ノ_-。)

というわけで、人生初の、大坂幕末散歩の記録です。

まずは、京阪 天満橋駅で集合しました。




ここに何があるかというと、駅名になっている、「天満橋」




2階建てという豪華なつくり! 流れるのは、大川です。

ちなみにこの天満橋、江戸時代は



(葛飾北斎 作)


そして、幕末ポイント①「八軒家船着場跡




こんな立派な碑が建てられていました。


江戸時代、この大川の南岸、天満橋と天神橋(一番上の写真の、左に見える橋)の間のこの場所は、 「八軒家(はちけんや)」と呼ばれていました。

ここにあった浜は、「八軒家浜」と呼ばれ、船の発着場でした。




この発着場から、淀川に出て、伏見港、そして寺田屋前まで行き来していたんですね!!

現代の地図でいうと・・・




※川の形や幅などだいぶんかわっているようですので、あくまでもイメージです

<行き来にかかる時間>

●伏見→大坂・八軒家(川下り)    : 夜に出て翌朝着く(6時間ほど)

●大坂・八軒家→伏見(逆流を上る) : 半日(12時間!!)  

 

使われていたのは、三十石船という船。三十人程度の客を乗せることができたのだそうです。


そして、ここ八軒家浜の周辺には、船宿がずらり。

(元々の船宿の数は八軒だったので、この地が「八軒家」と呼ばれるようになったそうです)

大坂と京を行き来するお客さんは、そこで休んだのだそう。 その中には、もちろん、幕末の志士の方々も。

☆船宿「京屋忠兵衛」 

新選組の定宿。近藤勇氏、土方歳三氏、沖田総司氏らがたびたび利用。

1868年(慶応4年)1月、新選組は徳川慶喜公を追って大坂城に入るが、慶喜公はすでに江戸に戻った後だった。その後大坂城が燃やされてしまったため、新選組はこの京屋にしばらく滞在して、江戸に戻った。


☆船宿「堺屋源兵衛」

伏見の寺田屋と業務提携を結んでいた宿。勤王の志士がたびたび利用した。

坂本龍馬氏も、寺田屋から紹介されたのか?この宿を利用。


川沿いのこの大きな「常夜燈」モニュメントに、これら↑ の情報が書いてありました。




常夜燈とは、一晩中つけておく明かりのこと。

1860年(安政7年)、地元の町人が、夜間の船の乗り降りの安全のために、船着場近くに燈籠を建てました。残されていた図面をもとに、同じ大きさのものを復活させたのが、↑ だそうです。

ものすごく大きいんです!


ちなみに現物は、明治時代ごろに、大阪市内の「生國魂(いくたま)神社」の北門に移築され、現存しています。 こちらです




今回の4時間の散歩の最後のほうで、行きました。

やっぱり、当時のものがそのまま残っていて見られるというのは、嬉しいですね♪


八軒家船着場は、当時の形はもうありませんが、現代に、新しい形で復活しています。




こちら、「大阪 水上バス」です!

この水上バスの発着点として、「八軒家船着場」が整備されました。

川面から、大阪を楽しめる水上バス。向こうの川岸に並ぶのは、桜の木だそうです。 今ごろ、咲き始めているでしょうか?綺麗やろうなあ…♡

このバスがどこまで行くのか気になる方は、 大阪水上バスhp  をご覧ください。



大坂幕末散歩、続きます♪