所得と幸福の相関関係、について最近よく考えます。一定水準までは、所得の伸びと幸福感の伸びは比例する。しかし、所得がある水準を越えると、所得の伸びに対する幸福感の伸びが鈍化する。

しかもアダム・スミスは、鈍化するどころか、より不幸になるといっています。それを説明するために以下のような寓話を紹介しています。

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「貧乏な人の息子」は、自分よりも優れた身分の人々の生活に憧れ、富と地位を獲得するために全渉外を捧げる。彼は、勤勉に働くだけでなく、憎悪する人々に奉仕し、軽蔑する人々にへつらう。こうして、彼は、いつでも力の及ぶ範囲にある真実の平静を犠牲にする。しかし、彼が実際に富と地位を手に入れてしまうと、彼は、それらが取るに足りない愛玩物以上の満足を与えてくれないことを知る。彼に、富と地位に対して与えられるはずの他人からの賞賛に満足している様子は無い。それどころか、彼は、他人からの不正、背信、忘恩、侵害のために、失望し、いらだち、怒っている。
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このようにアダム・スミスは言っています。財産を集めても、すぐにその財産に慣れてしまい、満足感はどんどん小さくなっていく。むしろまわりにくっついてくる金目当ての輩どもがうっとうしいので、よけい不幸になる、と。だから、財産集めてもしょうがないよ、お金は最低限あればいいでしょ、といっているのである。

僕はこの考えに非常に納得してしまいました。たしかになー、と。自分が小学生の時、お小遣い600円で「少ないなー、もっと欲しいなあー、」と思っていた。けど、今バイトで月数万の収入を得られるようになったが、「少ないなー、もっと欲しいなあー」と思っている。そして小学生の時と比べて、今とても幸福になったかといわれれば、そんなことは無いと思う。

あ、でも小学生と大学生だとものの考え方が大きく違うから幸福感を比較する対象として適切ではないか汗。と気付いてしまったんですが。他に例を挙げるのがめんどくなったのでいいやw


ま、とにかく、アダム・スミスがそんなことを言っているわけです。そして僕はそれに非常に納得しました。しかしながら、このアダム・スミスの考え方は非常に危険なものであるといえます。なぜなら、この考え方は、人間の意欲を殺ぐ危険性を持つからです。

お金をいくらためてもそんなに幸福にはならない、むしろ不幸になる。今あるものに満足することが大切だよ、と彼は言います。ちょっと聞くと、すごく良いことを言っているように聞こえるのですが、彼の言葉は、「向上しても意味が無いよ」というふうにもとれます。すると、人の向上心=意欲を殺ぐ危険性が出てきてしまうわけです。実際僕もこの数日間、意欲がそがれて屍のような生活を送っていましたwww


たとえば仏教も、自己の欲望を否定して解脱せよ!という教えです。が、これも危険です。欲望を否定するということは、その人のエネルギーを抑えるということです。これは生命原理に反する危険性があります。少なくとも僕の場合はかなり危険です、この思想はw

アダム・スミスも仏教も、もっと高次元で理解できる人にとっては素晴らしい思想なのかもしれません。けれども僕のような凡人には、取扱要注意な危険な思想でございました。

意欲は生命力の根源です。「意欲を抑えよ」的なフレーズが、今後目に飛び込んできた時には無条件に信じるのではなく、注意して読まないと、深刻な事態になりかねません。気をつけよー、と思いました。


「君は、超人を目ざして飛ぶ一本の矢、憧れの熱意であるべきだ」

と力強くおっしゃるニーチェさんの方に、僕ははるかに共感します。