こんばんは🌙
人吉市のひまわり亭で研修をしています。熊澤です。
私の趣味はホルンを吹くことでして、グローカルプログラムに参加する直前まで教員をやりながら社会人の楽団に入っていたりしました。
そんな私が、ホルン1本をもって埼玉からはるばる人吉球磨へやって来ました。
たった75日、見知らぬ土地でホルンが活かせるかわからないけど、チャレンジしてみようと思いました。
すると、想像以上にここ人吉球磨で音楽の力を実感することになりました。なんと、2人も一緒に演奏する仲間ができたのです。
そこで今回は、6/30「球磨川豪雨災害から4年食と音楽追悼の集い」で共演した仲間の紹介をします。
あさぎり町の地域おこし協力隊でオーボエ吹きの宮原さんと、人吉市のあいだこども園の園長でバイオリン弾きの加登住さんです。お2人に、「人吉球磨で音楽を通じて人とつながったエピソード」をお聞きしました♪
さて、あたかもちゃんとしたインタビューかのように書き始めましたが、実際はお酒を飲みながらのエピソードトークになります。実際の会話は飛び飛びなので、聞いた内容をまとめてお送りします。
宮原さん
生まれはあさぎり町ですが、音楽の道に進むため高校は福岡の高校、大学は神奈川の音楽大学へ進学し、就職も首都圏でした。しかし、1年前お父さんが急逝されてからは地域おこし協力隊としてあさぎり町に帰ってきました。
音楽大学に進学してオーボエを専門に学んだ宮原さんですが、就職してからは触れる機会がなかったそうです。しかし、あさぎり町に帰ってきてからは月に一回以上は演奏をする機会ができたとのことです。
きっかけは、あさぎり公民館でイベントをしたときに上司から楽器を吹かないかと提案してもらったことだそうです。上司も宮原さんがどんな楽器を吹くのかわからない状態でのお誘いだったそうですが、当日吹いてみたら、ものすごい反響があったそうです。感動して涙する方もいたそうです。そこから徐々に口コミが広がっていき、あさぎり町に認知症予防の講演で来た人のつながりで、天草市や宇城市にも演奏しに行ったそうです。そこでもたくさんの人に演奏を聞いて頂いたとのこと。
あさぎり町に戻ってきた当時は家族と職場の人とのつながりしかなかったのが、音楽を通して多くの人とつながることになったようです。
加登住さん
加登住さんは、ピアノ奏者の父の影響で幼少期からバイオリンを習い始めました。好きなバイオリンを習うことは楽しかったそうですが、バイオリンが周りから距離があることに寂しいと感じていたそうです。特に小学生のときはクラシックなどの音楽とは無縁な友達ばかりでバイオリンのことを話すことはなかったといいます。
あるとき自分の所属しているアンサンブルが音楽会で自分の小学校に来て、自分も一緒に全校生徒の前で演奏したそうです。その後に少しは話題になるかと思いきや、周りの友達もどう話題にしたらいいかわからなさそうにしていて、結局触れられることはなかったようです。そのとき子どもながらに「もっとバイオリンをみんなにとって身近なものにしたい」とぼんやりと思ったといいます。
そんな子どもながらの願いを行動に移せたのは社会人になってからの飲み会でした。
みんなで出し物を披露するときにバイオリンを出したそうです。クラシックだけではなく、ポップスを弾いたり、誰かのカラオケに合わせて弾いてみたりすると、「バイオリンってもっとお高いかと思ってた」「想像以上に楽しい」というような反応をもらったといいます。
それから飲み会宴会でバイオリンを求められるようになったり、スナックに行って初めて会うお客さんとコラボしたりして喜んでもらえたりと、バイオリンを身近に感じてもらえるようになったそうです。そして、その飲み会などで演奏したことをきっかけに仲良くなる人もいるといいます。
「音楽は本当に世界共通で笑顔になれて、問答無用でみんな幸せになれるものだよね」と言いました。
まさに加登住さんの言う通りで、今回の出会いこそその最たる例です。年齢の差も大きければ経歴も違う自分たちが、すぐに打ち解けたのは音楽の力だと思います。そして「食と音楽追悼の集い」では3人の音色でと会場の皆さんの歌で、気持ちを一つにして感動を分かち合うことができました。
改めて、このお二人との出会いによって音楽のもつ力を実感したのでした。
ちなみに、この話をした後に3人で音楽を楽しめるスナックへ楽器を持って行き、セッションを楽しみました。形式ある演奏会ではないのでお客さんのすぐ近くで演奏したりリクエストに応えて即興で演奏したりするなど、音楽で会話する感覚を得たのでした。