関東大震災から100年目の今年、それまで福田村事件のことは知りませんでした。

現在の東京横網町公園の被服廠跡で起きた火災旋風により3万8千人もの焼死者や、根府川駅で列車もろとも海へ沈んで100人以上亡くなったこと、そしてその後のデマで朝鮮人が虐殺されたことは学校でも習いましたが・・・

 

山の手生まれだった私は子供の頃、虐殺事件のことは聞いたことありませんでした。下町に引っ越したのち学校で関東大震災のことを教わってから虐殺の事を知り、高校の友人の祖父が、襲われそうになった近所の朝鮮人を匿ってあげたという生々しい話も聞きました。

 

この本を読みました。

この事件は今の千葉県野田市で、香川高松の薬院から行商していた一行16名がへんな言葉を使ってるから朝鮮人だろうと、地元自警団が襲いかかり2歳4歳6歳の子供や身重の母親を含む9名が殺害された事件。

現場は福田村三ツ堀、以前お得先のゴルフコンペで何度も行った「紫カントリー」の辺りですよ~

 

大震災では他にも合わせて58名の日本人が朝鮮人だと思い込まれて殺されました。

福田村田中村の殺人犯は捕まりましたが、村人たちは村のためにやってくれたと犯人らを援助し、犯人の一人は後に田中村議会議員になったという!

 

どう考えればいいのでしょうか。

 

この事件の前、9月3日8時15分に内務省警保局長の名で「東京付近の震災を利用し朝鮮人は各地に放火し・・・鮮人には厳密なる取締りを・・・」などと各地方長官あてに打電している!

 

そしてその夜「亀戸事件」が起きる

亀戸の労働団体に突然警察が来て10人を連行、そしてその10人は警察の中庭で5日朝までに軍により銃剣などで虐殺された。

 

戒厳令下の騒乱の中で労働活動家を抹殺!

 

朝鮮人が井戸に毒をまいている等のデマが流れていたが、東葛地区だけも22件も起きた虐殺事件は3日夕方~6日に起きていることを考えれば官憲がデマを煽ったと言い得るでしょう。

 

虐殺事件のとき、子持ちの主婦が傷ついた朝鮮人に向かって「この悪党!」と竹槍を刺したという。

穏やかで優しい日本人のましてや主婦までがそんなことしちまうなんて、どうしちゃったんだ?

今の中山競馬場に近くで起きた中山・法典事件の裁判では被告が「だって船橋無線送信所から鮮人は殺してもよいと通知があった」薄笑いしながらと証言し、裁判長がもうよい!声を荒げたと新聞にある!

 

朝鮮併合後、1919年の3.1独立運動などで朝鮮に対するイライラがつのっていた政府も軍も・・・それがこの一連の出来事と無関係ではありえないでしょう。

 

9月1日映画「福田村事件」が公開されます

それも観てもう少し勉強します。