皆さんこんばんは。

 

前回の記事は、やはり反響が大きかったようで、多数のコメントをいただき、まことにありがとうございました。簡単な返信で恐縮ですが、順次全件返信させていただきます。

とても励みになりますアップアップ

 

リブログも2件していただきましたが、リブログ先で次のようなコメントをいただいたので、念のため私の考えを釈明しておきます。

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(引用ここから)

  

ご紹介されたblog、読んでみました。いやはや、中学受験がない世界線を生きてきているので価値観や考え方が「異世界転生モノ?」ってくらいに違ってビックリしました(笑)
絵本の読み聞かせ、楽しいのにね。国語の成績は良くなかったけど、親子で絵本を読んでいた時間の尊さってプライスレス体験だと思ってるのだけどなぁ~。まぁ、人それぞれか。
以前、「中学受験は母親が9割」のタイトルにも「コレは母親はたまらないだろうな」と思ったけれど、「地頭が全て」と親に思われた子もたまらないだろうなぁ~・・・などと思いました。

 

(引用ここまで)

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前段の“絵本の読み聞かせ”に関しては、私の元記事でも、

絵本ってとっても味わい深く、読む人・聞く人の想像力をかきたて、疑似体験に基づく様々な感情を味わうことができます。だから、子どもが楽しみにしていて、親の無理のない範囲で行うことについては、悪いことは一つもないと思います

と書いたように、それ自体を否定したつもりはありません。

ただ、絵本にほとんど関心を示さない子もいるようで、そのような子に読み聞かせを継続するのは難しいこと。そして、読み聞かせをすることが国語力を高めることの必要条件ではなく、どちらかというと「逆因果関係」で説明すべきものである(すなわち、勉強適性の高い子は幼少期から本に興味を持つケースが多いこと)という話がしたかったのです。

繰り返し申しますが、絵本の読み聞かせは、子ども自身が楽しんでいる場合は、親も無理のない範囲でしてあげればいいものと考えています。

 

 

そして後段の“「地頭が全て」と親に思われた子もたまらないだろうなぁ~”というフレーズですが、

これは、うーたんは 親にこんなふうに思われて 「たまらない子」ということでよろしいですかね?笑

 

私のブログを以前から読んでいただいている方は、私がなぜこれほどまでに地頭の話をするか、よくご理解いただいていると思いますが、初めてご訪問された方は、もしかすると表面的に受け取られてしまう可能性もあると思ったので、念のため釈明しておきます。

 

まず私は、これまで記事の中で「地頭が全て」と言ったことはありません

 

まあ、よほどのサボりや環境が劣悪な場合を除き、「どの偏差値帯に落ち着くかは大半が地頭ガチャで決まる」、「努力や課金で何とかできるのは1ランクUPが限界」とは述べましたが。

 

意欲を持って目標に取り組むことや、努力することの大切さについても、何度か発信してきたつもりです。

 

そしてさらに重要なことを言いますと、

 

「地頭が全てなので、出来の悪い子には投げやりな態度で接してもよい」という趣旨の発言をしたことは一切ありませんし、私が我が子をそのような態度で育てたことなど、断じてありません。

 

世の中には、知的障がいやグレーゾーンとまではいかなくても、勉強が極端に苦手な子というのは存在します。(5歳児が描く絵より下手な絵しか描けない大人がいるのと同じです)

 

そういう子には、世に出ている優秀児向けの学習法・教育法の大半は妥当しません。

 

にもかかわらず、「地頭じゃない」、「環境・育て方でなんとかなる」という姿勢でこられると、その親はとてつもなく苦しむことになるのです。

 

私も曲がりなりにも難関中・難関大を進んできたので、優秀児、そして優秀児の親が見ている景色がどのようなものかは、ある程度わかります。

だから、優秀児や優秀児の親がよく言う、「自分(我が子)は天才なんかじゃない、地道に作り上げてきたものだ」という感覚も、理解できなくはないですが、そのように思えるというのは、適性があるという証拠なのです。



私は勉強適性に恵まれた子だけでなく、それに恵まれなかった子のことも、親の立場から世の中に発信し、学習サポートにどう取り組んでいくべきか、そして親として避けられない葛藤をどうコントールしていくべきかを、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

 

うーたんの中学受験のときは、数多くの応援コメントをいただく中で、誹謗・中傷にも悩まされましたが、身を削ってでもブログ執筆を続けてきたのは、同じような境遇の親子の力になりたいという気持ちと、読者の皆さんのご支援があったからです。

 

この点をどうか御理解いただければ幸いです。

 

 

それから、念のためにお伝えしておきますと、リブログをされた場合、元記事にはリブログの印がつきますから、リブログ元の人間は必ず気付くことができ、リブログ先の記事とコメントを見に行きます。

 

以前、「親子紹介(罪の告白)」という記事を書いた際に、リブログしていただいた方の記事(※現在は削除済み)のコメントの中で、

へ~こんなふうになるんですね。我が家は中学受験はまだ先ですが、自分も同じようにならないように注意しようと思います。

という趣旨のことを書かれたことがあるのですが、これを見たときはさすがに落ち込みました。

あー、俺はこんなふうに見られてるんだなって。

 

リブログされると、普通に考えて元記事の執筆者はリブログ先(コメント欄含む)を見に行くということ。そして、それを見たときに元記事の執筆者はどういう気持ちになるかということを、“読書で鍛え上げられた地頭”で考えてみられてもいいかもしれないですね。