皆さんこんばんは!
9月が始まりました。2025年組の皆さんのブログを見ていると、日能研では早速9月の公開模試が月曜日に返ってきたようですね。
我が家のうーたん選手も学校が始まり、忙しい日々が再開しました。
最近はもう部屋を閉め切って、誰も入らせてくれないので、勉強しとんのか しとらへんのか わかりませんが、イライラしそうになったら、これを見て心を落ち着かせています。
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さて、しばらく書いていませんでしたが、
「地頭と共に生きる」シリーズをそろそろ再開したいと思います
時間が空きすぎて、皆さんもう忘れているかもしれないので、ここで一度全体をざっとおさらいしておきます。
※内容は簡素化しつつ、いくらか追加しています。
◆地頭ガチャ(誕生)
・ここで大半が決まる。
・地頭の良い親同士の子は「当たりの多いガチャ状態」になっているが、あくまで「ガチャ」なので、どのような地頭の子が生まれるかは結局「運」となる。
・いくつかの地頭ランクに分けられ、ここで決まった地頭ランクは、努力や課金をしても1ランクUPが限界となる。
◆地頭ドリーム(幼少期)
・英才児になることを夢見て、佐藤ママの育児本を読み漁り、佐藤ママの【真髄】に触れ、自分もそれを守れば学歴的子育て成功者になれると信じる。
・しかし、期待をもって受検した「全国統一小学生打ちのめしテスト」で現実を知らされる。
・ここで良い成績を出せなかった者は、幼児教育系ブログをやめるか、プライバシーを理由に以降、「成績非開示」となる。
◆地頭スクリーニング(小3)
・大手塾の入塾テストを受けると、否が応でも地頭レベルが分かる。
・最難関校へ行ける子かどうかは、正直、塾講師経験者なら30分も話したら見分けがつく。
◆地頭ホールド(小4)
・この時期はまだ周りが本気を出していないので、長時間労働、反復学習、親牽引の効果が比較的大きく出ることから、何とか持ちこたえようと必死になる。
◆地頭ブルドーザー(小5後期)
・入試に直結する分野が立て続けに登場し、質・量ともにこれまでとは比べ物にならないくらい濃厚になる。
・これにより、幼児教育、先取り学習、長時間労働によって保っていたリードがすべてぶっ壊れれる(=地頭ブルドーザー)
・分数や割合の概念を感覚で分かっていない子は何をどうやっても無理となる。
◆地頭ソート(小6)
・小6に入ると、宿題を何周も回すことはできなくなり、復讐テストでさえ地頭どおりの結果となる。
・以降、時期が進めば進むほど地頭どおりに並び替えられる。
◆地頭天保山(小6夏)
・夏休みは受験の天王山と言われ、気合を入れて7月20日を迎えるが、精一杯頑張った夏休み明けの公開模試で偏差値は全く伸びていないという現実を突きつけられる。
・終わってみれば「天保山」くらいの山しか築けていなかったことに気付く。
◆地頭ファイナル(小6 12月)
・9月以降「合格力完成教室」という名称だった日能研の授業が、ついに「地頭ファイナル」という名称に変わる。
・これ以降、予め決められた地頭レースをあたかも自ら切り拓いていくかのように全力疾走するゲーとなる。
・これまでに余力を残していた「隠れ地頭モンスター」が最後の最後で抜け出してくるクソゲーと化す。
・一般人においても、(相対成績は伸びなくても)絶対成績はラスト1ヶ月で過去最大級に伸びる。
・苦しいときに社会から逃げなかった関西の4科目受験生は、最後の最後でこれが効いてくる。
・いずれにしても、親ですら想像できなかった、12歳時点でのその子の「地の頭」があらわになる。
◆地頭エスケープ(中学入学前)
・英語と数学の先取り学習がトレンド入りし、「中学に入学するまでにどれだけやれるかが勝負」といったブログ記事が乱立する。
・しかし、小学生の頃は公園を走り回っているだけだった「地頭ディープインパクト」が、高校受験に向けて本気を出し始めると、あっという間に抜かされる。
◆地頭アップデート(中1~3)
・中学受験は別名「地頭早熟度選手権」であり、その後も地頭は流動する。
・「中堅校からでも東大行けた、ウェーイ!」的な記事を書いているブロガーを見かけたら、注意が必要である。
・努力や工夫よりも、実際にはこの地頭アップデートの恩恵を受けていることが多い。
◆地メンタル発動(中2)
・ママのことを「オバハン」と呼び始め、親の言うことなど全く聞かなくなる。
・これにより、自らの意思で勉強で向き合う必要が出てきて、努力せずに地頭だけで中学受験を乗り切ってきた「算数パズル野郎」はこの頃から没落しはじめる。
◆地頭ゲシュタルト崩壊(中3)
・男子校の生徒の一部は、ゲームとYouTubeと女子のことで頭がいっぱいになり、一切の勉強を停止して、とてつもなく落ちこぼれる者が出始める。
・中学受験のときはナゼアンナニガンバレタノカ、ジブンデモヨクワカラナクナル。
◆地頭合流(高1)
・中学受験のときは存在すら認知していなかった「地頭ディープインパクト」が合流してくる。
・中学受験をした者は、高校受験組に賢い人なんて存在しないかのように思いがちだが、実際はそうではない。1校あたりの数は少なくても、日本全国から集めればまあまあな数になる。
・最難関校では、彼らの存在を認めたくないのか、「公立の奴らに難しい数学の問題は解けない」と主張するイタイ生徒が出現しはじめる。
◆地頭クロマトグラフィ(高1後半)【←追加】
・高校受験は範囲もせまく、中受組が抜けた母集団で、ぬるい勝負だったため、最上位層はかたまり状態になって、差がないように見えていた。
・しかし、高校分野に入って質・量ともに重厚になると、本来の地頭にしたがって、かたまりが分離しはじめる。
・公立上位校におけるこの分離度合は相当にエグく、北野高校とかでも、下位に沈んだ場合は悲惨な状況となる。
(地頭クロマトグラフィ引用元↓↓)
ロースかつさんのブログ5/29
https://ameblo.jp/happy-fryday/entry-12854073744.html
◆地頭ドロップアウト(高1~3)
・高校数学が難しすぎて、理系と国立大学をあきらめる者が続出する。
・国立理系、国立文系、私立理系、私立文系、指定校推薦狙いなど、分岐しまくる。
・実力がないのに「神戸」にこだわりすぎて、ドロップアウトのタイミングを見誤った者は、関関同立も全落ちする。
◆地頭クラッシュ(大学受験)
・「学力」は地頭どおりであっても、「学歴」は必ずしも地頭どおりにはならない。
・銀メダルの実力しかないのに金メダルを狙った者は、銅メダルすらとれずに帰国する羽目になる。
・5教科7科目国立落ち、3科目私立専願、指定校推薦組が同居する「阿鼻叫喚」が出現する。
◆地頭クライシス(浪人)
・「御三家・最難関校に行っていたのに同じ大学に二回落ち」となってしまうことへの恐怖で、勉強が手に着かなくなる。
・しかし蓋をあけてみれば、結局、常連校の地頭上位者が合格者の大半を占めている。
・浪人は地頭の伸びしろを使い切る効果はあっても、地頭の天井を上げる効果はない。
◆地頭モラトリアム(大学生活)【←追加】
・大学の勉強は死ぬほど難しいのに、それをスラスラ理解するド変態がいることに気付く。
・これにより、同じ大学内でも地頭格差はしぬほど大きいことに気付くが、この時点では「一部の天才と、自分を含む多くの凡人で構成されている」という程度の認識にとどまる。
・モテに関しては、女は「若さゲタ」と「環境ゲタ(希少性ゲタ)」が効きまくり、顔面偏差値が50くらいでもいきなり「戦闘力80」からスタートする。
・しかし男は、全員「戦闘力0」(イケメンでも20くらい)からスタートして、以降、コミュ力や立ち振る舞いなど、モテ力全般を磨いて戦闘力を上げて行くゲーとなる。
・がいして、男の「彼女できない」は「砂漠で一本のペットボトルを探すが如し」であるのに対し、女の「彼氏できない」は「自販機に行っても欲しいドリンクが売っていない」という意味であることが多い。
・これにより、男女比率9:1でバイトする時間も無い「おと工学部生」は本格的に自殺を検討し始め、コンビニやファミレスの店員などに片っ端から告白し始める者が出現する。
・大学、大学院生活も後半になれば、苦しい研究室生活を抜け出した後の社会人生活への期待が高まり、忙しい中でも、最後の心のモラトリアム期間となる。
・なお、中高一貫校に行っていたのに浪人してしまった者は、本来間に合うはずの大学受験で間に合わなかったということを意味し、人間の行動には「再現性」があるので、「一浪一留」で社会人を迎える羽目になっている者も多い。
◆地頭ニューゲーム(新入社員)
・卒業後はモテ度も改善するかと思いきや、総合職の男は会社内で最底辺の存在であることに気付く。
・女性の総合職は、引き続き「希少性」という価値が効くため、一発で名前を覚えてもらえたり、モテにおいても優位が継続する。
・それに対し、男の総合職は、自分から聞きにいかないと何も教えてくれないが、安易に何でも聞きにいくとぶっ殺されるうえ、聞かずに間違えるともっとぶっ殺される。
・早慶以外の私立大学出身で事務系総合職として入社した者は、
☑コミュ力お化け
☑男でバキバキの体育会系
☑女で顔面偏差値N65以上
のうち、いずれか2つ以上の要素を保有していることに気付く。
・自分が説明する会議で、現場のオッちゃん社員に味方側で同席してもらうと、上司の激詰めを回避できることに気付く。
・長年庶務をやっている女性は、職位は低くても看護師長並みの権力とロイター通信並みの情報収集能力及び情報拡散能力を保有していることに気付く。
◆地頭爆縮(社会人3~5年目)
・医学部に進学していた高校の同級生に、社会的地位と年収でボロ負けする。
・中学受験のとき大人たちを喜ばせた元・英才児たちも、医者にでもなっていない限り、「そこらへんのボンクラ」とほとんど変わらない人生となっていることに気付く。
・東大卒は「10で神童、15で才子、二十歳すぎたら只の人」を地で行く人生となっていることに気付く。
思い出していただけたでしょうか?
次回、このつづきから再開します!!