昨日、久しぶりに、2024年組の皆さんのブログを7月頃まで遡って見ました。

 

仕事関係で移動中、1時間くらいかけて、いろいろな人の記事を読ませていただきました。

 

そこで気付いてしまったのですが、夏の終わり頃になって、メンタル的にかなりきつい状況で書かれたと思われる記事が急増しているということです。

 

あ、自分のことかな?と思う方もいるかもしれませんが、安心してください。

 

トータルで10名くらいいますので、特定の人のことを言っているわけではありません!笑

 

そしてもう一つ感じたのは、成績優秀層の親御さんでも、かなり追い詰められている日があるということです。

 

 

今日はこれに関して、少し述べたいと思います。

 

 

皆さんのブログでよく見かけるのは、

●幼すぎる

●やる気が見られない

●考えが甘い

●成績が下がってきている

といったものです。

 

多くは、このいずれかにカテゴライズされます。

 

 

他方、私の苦しみの中身は違います。

 

 

私が娘の中学受験に併走し始めてから今に至るまでの間で感じた苦しみの9割は、

『なんでこんなことが分からないのか?』ということに尽きます。

 

特大問題発言ですが、

『これほどまで出来ない人間がこの世に存在するのか・・』 とさえ、何度も思いました。

 

今までにも、そういった人に接したことはあったと思いますが、所詮は赤の他人ですから、その人の頭が良かろうが悪かろうが、そのことについて深く考えることはありませんでした。

 

しかし、自分の実の子が、これほどまでに理解力、思考力、暗記力がないとは、本当に衝撃でした…。

 

そして、残りの1割の部分で、「幼すぎる、やる気が十分でない、考えが甘い、成績が悪い」といったごく一般的な苦しみを味わっている感じです。

 

 

誤解しないでください。

 

私は決して、「皆さんはそんなことで悩めていいですね」という話をしているわけではありません。

 

今回私が言いたいのは、苦しみの尺が違うだけで、苦しみの度合いは同じなのではないかということです。

 

優秀児の親が、10段階中9レベルに辛いと思っていても、実はその尺度は「mm」で、

私のように「cm」尺で苦しんでいる人間にとっては、大したことないように見えて(=錯覚して)しまう。

 

でも、それってきっと間違いで、

 

長年引きこもりで苦しんでいる子の親は「m」尺で苦しんでいるだろうし、それこそ不治の病を抱えている人は「km」尺で苦しんでいるわけで、

 

そういった人からすると、私の悩みなんて、全く気にならないレベルのはずです。

 

 

今の我々の苦しさって、結局は、自分自身が作り出したものなんじゃないか。

 

自らが、矮小な尺を持ち出して、その中で自分の想定する値の範囲に収まらないから、焦って、苦しんでいるだけなんじゃないか。

 

そんな風にも思えてきます。

 

 

とはいうものの、残りの時間で、娘のことについて、「嘆き」を垂れ流させていただきます笑

 

これまでにも何度か言っているとおり、娘は「全科目」、「全分野」できません。

 

ブログ上で「勉強苦手な子」を「売り」にしていても、

●国語壊滅だが算数理科はまとも

●算数は苦手だが国語は得意(orマシ)

●社会だけは勉強すればできる

という人が大半だと思います。

 

それに対して娘はマトモな科目が一つもありません。

 

なんでこんなことが理解できないのか?と何度思ったか分かりません。

 

こういった話をするたび、妻は露骨に嫌な顔をし、

・中学受験していなければ普通の子

・(世間一般に比べて)あなたがかしこすぎるだけでしょ?

といったことを言ってきました。

 

そんな妻の姿勢が一変したのが、夏先にアメ限で公開した、漢字ボロボロ事件です。

 

妻も「自分は数学は苦手だったが、範囲の決まった漢字テストでは満点以外取った記憶がない。漢字くらいできないでどうするねん」と呆れ返り、「中学受験でどこでもいいから入れておくべき」という考えに至りました。

 

そこからは、中学受験に対して前向きにとらえ、協力してくれるようになっています。

 

 

かねてより、私が半分冗談・半分本気で、「育て方なんて学力にほとんど関係ない」と言っているのは、この「勉強適性のなさ」というものは、育て方、接し方で何とかなるような次元のものじゃないと感じているからです。


 

思い返せば、娘は小さい頃からとことん勉強適性がなかったです。

 

色んなことを話して、教えてあげても、いわゆる勉強系に関しては、一切の興味を示しませんでした。

 

数字適性は特に悪く、小学校に入るまで、10+5が15になるということすら、概念的に理解できていませんでした。

 

1年生だったか2年生だったか忘れたけれど、「あと20分で着くよ」というと、「それって遅い?早い?」などと返してくる始末。

 

小学校2年生の春(新小3)には、小学校の宿題で出された次の問題が理解できませんでした。

●10000より2小さい数は?

●100000より10小さい数は?

 

これは本格的にヤバい。

僕が小学5年生のとき、クラスに九九もままならない女の子がいた。

このままいけばこいつもそうなる。

 

そう感じました。

父塾を始めたのはここからです。

 

私(父)は、5年ほど前まで、ガチで忙しい部署にいて、子どもの勉強なんて見ている暇はありませんでした。

 

小学校低学年の頃までは、妻が宿題を見ていました。

 

ちょうど次女の育児休業中でしたので、下校後すぐに宿題をさせていましたが、本当に苦労したと言います。

 

妻は、「ほめて、励まして、教えているが、なかなか理解できない。絶対に口には出さないけど、なんでそんなに○○なの?って思う。」と何度か口にしていました。

 

このように妻が宿題だけは毎日必ず面倒を見ていましたので、小学校の通知簿で「がんばろう(C評価)」はありませんでしたが、「よくできる(A評価)」も一つもありませんでした。

 

もし仮に、私が幼い頃から父塾をやっていたとしても、手の施しようがなかったと思います。

 

こうやって幼い頃のことを振り返ると、今、中学受験塾で偏差値40しか取れないのも当然だなと思います。

 

いやむしろ、父が自らの命と睡眠時間を削ってまで、ブログを書いているからこそ、何とか偏差値40で踏みとどまっているんだと思います。

 

これほどまでに辛い中学受験を乗り越えた先に、何があるのか。

 

地頭問題が解決しない限り、中学に入っても、また同じことの繰り返しなんじゃないかって、軽く「絶望」しています。

 

でもそれって、所詮は、父が勝手に作り出した「矮小」な「尺」で、娘のことを見ているということなんでしょうね。