今日のカリキュラムテスト(基礎受験)の自己採点結果です。

 

算数:6割強(そこそこ勉)

社会:4割5分(ガチ勉)

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国語は、手が回らず、語句も含めて全くの無勉で受験しました。

算数は、娘の実力ではこんなものでしょう。

ケアレスミスしまくりですが、図形問題はそういうものであり、これが実力です。

 

今回の嘆きMAXは【社会】です。

 

前回と前々回の解説ノートを見てくださった皆さんは、私のノートが「要点を押さえて」、「試験に問われるところ」を中心に解説していることをご理解いただけたかと思います。

 

案の定、ブログにのせた「解説ペーパー」の問題が、育成テストにそのまま出ました。

 

●陸奥宗光と小村寿太郎は、絶対に引っ掛け問題を出してくる。

●だから、どちらが何をした人物か、よく意識して覚えておくこと。

→陸奥宗光は「対イギリス、領事裁判権を撤廃(1894)」

→小村寿太郎は「日露戦争後のポーツマス条約締結(1905)」、「対アメリカ、日米修好通商条約以来の不平等条約を解消(1911)」

 

こういって、金曜日の夜と、土曜日の夜、3~4回に分けて、父による確認テストを行いました。

 

でさ。それが完全にそのまま育成テストに出て、娘がどう答えたと思う?

 

全部引っかかってんのよ。

 

不平等条約改正のところで、「対イギリス」を選択し、「陸奥宗光」を選択しているのよ。

 

一体なんでなの?

 

それだけじゃないよね?

 

●ロシアは常に南下したいと思っている。凍らない港を手に入れるためだ。

って何回も説明したよね?

 

それなのに、なぜ、

「東アジアにおいて、冬でも流氷に閉ざされない軍港を得ることが目的だったから」

という選択肢を選べない?

 

「大日本帝国憲法」は、「2/11建国記念日」に発布されたって言ったよね?

 

引っ掛け選択肢で、「5/3憲法記念日」や「11/3文化の日」が見せ球に使われることがあるから注意しようねって、お父さん言ったよね?

 

そして、お父さんの言ったとおり、これもそっくりそのままテストに出たよね?

 

なんで「文化の日」を選ぶの?

 

お父さんは、もうノイローゼになりそうだよ。

 

 

この記事を見た皆さんはどう思う?

 

もし自分が私の立場だったら、どう思う?

 

 

ことごとく、これでもかっていうくらい、裏切ってくるんだよ。

 

本当にもう○にたいくらいだよ。

 

 

ある人は、こう言うかもしれない。

 

「お父さまが教えすぎなんですよ」

 

 

はっきり言う。それはちがう。

 

ここ数回、社会は完全に娘に任せ、「覚えた」と言うから信頼してテストに行かせたら、「20何点」という信じられないような点数を取ってきた。

 

だから今回、私がテコ入れした。

 

栄冠テキストの隅から隅まで、それもマニアックな語句は排除したうえでの、隅から隅までをクイズ形式で問いかけ、95%以上は答えられるレベルまでトレーニングした。

 

今朝の記事で書いたように、一人では「なんか聞いたことある」くらいしか学習できていない。

おそらく、私のテコ入れがなければ、今回も20点くらいだっただろう。

20点→45点の25点分が、「父による引き上げ」なんだと思う。

 

もちろん、細部の語句暗記だけでなく、歴史の大局的な流れ・各出来事間のつながりも分かるように説明した。

 

ぶっちゃけ、金曜日と土曜日合わせて3時間くらい一緒に勉強したんだ。

それも娘自身が宿題を2周して、「もう覚えた」と言った後で。

 

45点という点数が悪いだけでなく、間違いの中身が悪すぎる。

 

 

これが「勉強ができない子」っていうことなんだろうな。

 

そう思う。

 

もうそう思わざるを得ない。

 

はっきり言って、こんな点数、授業受けてるだけでも取れるんじゃないかな。

 

朝勉での暗記タイムだけとか、テストの直前1時間だけとかで80点取れている子もいますよね。

 

皆さん、もう分かっていただけましたよね?

 

私がただ子どもをディスって、絶望の記事を垂れ流しているだけのオッサンではないことを。

 

これだけ教えて、こんな成績が返ってきたら、誰だって、○にたくなりますよ。

 

皆さんの心の中は、もう分かっています。

 

●子どもがとことん勉強できないと、ここまで苦労するのか。

●これはさすがに、パパさんかわいそうだな。

●やっぱり、何をやっても出来ない子っているんだな。

●でも、さすがにこんなこと、パパさんに言えないしな。

 

私が逆の立場だったら、そう思うと思います。

 

一応言っておきますと、子どもにこの気持ちをぶつけずにやり過ごすために、このブログを書いています。

 

いや、もうさすがに今回は、「やり過ごせ」られるか分からないけど。

 

もう誰に相談しても無理だし、無駄だよ…。

 

 

私自身は、「勉強は誰にとっても平等」っていう意見については、おおむね同意だった。

 

もちろん、自分の経験において、上方向にも下方向にも「地頭の限界」を感じることはあった。

 

しかしそれでも、「勉強はやったらやっただけ跳ね返ってくる」という感覚があり、「特段の才能のない凡人」であっても、「それなりのものにはなる」と思ってきた。

 

でも、3年間娘の勉強に付き合って、ようやくわかった。

 

「勉強は誰にとっても平等」っていうのは、完全に幻想だった。

 

やったらやっただけ跳ね返ってくるのは、ただの凡人ではない。

 

「ギフテッド凡人」なんだ。

 

私自身も、これを見ている親御さんも、そしてその優秀な息子・娘さんも、みんな「ギフテッド凡人」なんだ。

 

だから、同じ塾へ行き、同じ時間だけ勉強しても、こんなに差が開くんだ。

 

「ギフテッド凡人」は、「本物ギフテッド」と比べて、自らのことを「(ただの)凡人」と思うだけで、その実(じつ)は、勉強の才能に恵まれた人なんだ。

 

 

3年間、娘の勉強に付き合ってきた。

 

娘もそれなりに頑張ってきた。

 

 

継続していれば、いつかできるようになる。

 

塾の先生、ブロ友の皆さん、通りすがりの読者の方。

 

色々な方から励まされ、ずっと頑張ってきた。

 

しかし、これだけやってこの結果じゃあね。。

 

 

ごめんよ、うーたん。

こんなこと言って。。

 

お父さんは、どうしたって君を助けてあげられない。