嗚呼!日本人に生まれてよかった





⬆︎「美しい花と実の塗り絵」という大人の塗り絵の下書きに、色鉛筆で塗りました。
今は色鉛筆が好きです。
クーピーは春に描いたけど、難しかったです。



久々に絵を描こうと思ったら、気分がなかなか乗らないので、ぬり絵でウォーミングアップしてみました。






⬇︎「美しい花と実の塗り絵」のお手本で水彩画でした。









油絵と水墨画と漫画が好きです。
水彩画はちょっと苦手です。
でも、最近は水彩画も素敵だなと思って、描き方を勉強しています。

漫画のカラー原稿は、カラーインクかコピックを使っています。

水墨画がわりと描きやすいんですよ。重ね塗りがしやすいんですよね。画風とか、絵にもよりますが。













今回より、教ちゃんとママの絵日記の第三部が始まります。

教ちゃんとママの絵日記では、日本のいいところをできるだけ紹介していきたいと思います。

これからは、日本が世界に向けて、情報を発信する時代です。


教ちゃんも大好きな、日本の文化や歴史のお話を、なるべく取り上げてみたいです。


本日の話は、かなり教ちゃんの気持ちが反映していると思います。




平成に入った頃から、しきりに自虐史観という言葉が使われるようになりました。
もっと前からあったような気もしますが、平成に入ってから顕著になったような気がするのです。

私の頭の中では、昭和は激動の時代で、貧しくとも人々は幸せな時代でした。
平成に入ってからは、精神不安定な時代というイメージがあります。
豊かさは世界に負けませんが、人々の幸せ度が下がってきているのです。
幸せと感じることと豊かさは、比例していません。
豊かさを目指して目標が叶ったのにです。




また、GHQの洗脳が、年数が経ってから、はっきりしてきたと思うのです。

自国に自信が持てない人が増えてきました。
自分に自信が持てずに、卑屈な人間になるのはよくありません。


日本に生まれてよかった。
日本人に生まれてよかった。
と、自信が持てるようになってほしいのです。


日本人は、世界に誇れる民族なのです。






日本のいいところ、文化、歴史、日本人の宗教観、いろんなお話をしてみたいと思います。


ときには教ちゃんと、まったりのほほんと、アホな会話をしてみたり、雑談もあり、漫画、イラスト、落書き、そして、音楽も取り入れて、甘い、辛い、硬い、柔らかい、いろんなお話をしてみたいと思います。


だからいろいろ書けるように、ジャンルを「その他職業」に変更しました。
実は、その他なんですよね〜
ふふっ





お気楽に、楽しんで、まったり、のほほんという路線も忘れないで、マイペースでいきたいと思います。

得意の雑談もいたします。



前回、話を広げすぎてーーーと書きましたが、仕方ないですね。
教ちゃんと二人で書いているから、バラバラにもなりますよね。
それにしては、教ちゃんとママの頭の中身の境界線は曖昧で、重なる部分が多いですけど。
どっちが影響させてるんでしょう?







専門家の方が読まれて、間違えているところがあっても、大目にみてくださいね。
優しくお伝えくださると嬉しいです。

私は気が弱いので、優しくしてくださいね。教ちゃんも、気が弱いみたいです。私もだけど、教ちゃんはすごく泣き虫です。





手作り感を出すために、時間をかけると思うので、更新が遅くなるかもしれませんが、どうか気長に待っていてくださいね。


その間、間を持たせるために、音楽などの話をするのもいいなと思います。





これからもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m















私は小学生の頃、明治維新は偉大だとつくづく感動したものでした。

勤皇の志士とか、幕府の志士とか、いろいろ興味をもったものです。



ペリー来航で日本は開国を迫られて大政奉還をし、廃藩置県をして、英国の政治形態を真似して、西欧型の民主主義の国にしました。









戦国時代には、ザビエルが初めて日本に布教活動に来ました。

日本では、秀吉の時代から、西欧では宣教師を送り込んで、その国を乗っ取るということに気づいていたのです。

初めは歓迎していたのですが、アジアをどうやって侵攻したかを知った秀吉は結局、禁止することになります。
その後は、家康、家光などもキリスト教を禁止します。
家光といえば天草、島原の乱ですね。家光が鎖国にしたのは、このあたりが原因だったのでしょう。
(私は、キリストは素晴らしい神様だと思いますが)








明治維新の日本は、力をつけるために、藩ごとの政治ではなく、日本を一つにまとめて政治をやることで、富国強兵に勤めました。



明治維新が今の日本をつくったと言えると思い、子供の頃の私は、当時の志士に想いを馳せたものです。



明治維新は偉大だなあ!
疑わずにそう思っていました。




しかし、私はある時期から疑問を感じ始めるようになりました。


日本の歴史を振り返ってみると、それよりも過去から素晴らしい文化をもっていたことに気づいたのです。


たぶん私が10代の頃だったと思いますが、日本は昔から治安のいい国だったという情報が入ったのです。
特に江戸時代は世界一治安がよかったそうです。

女性が一人で町を歩き、旅ができそうな国だと、外国人はみな驚いたそうです。

だから、なぜ、明治維新があったのか?
文明開化があったのか?
開国をしたのか?
いろんな疑問がわいてきました。




子供の頃に感じたあの感動は、一体何だったのだろう?
わからなくなりました。






また、日本人は庶民のレベルでも、識字率が非常に高かったということです。
武士においては、ほぼ100%の識字率でした。
武士は、管理職、今で言う公務員のような仕事です。







⬇︎日本人の識字率に、外国人は驚きました!
















下の動画を見てもわかるように、150年前には既に外国人から、日本は素晴らしい民族だと賞賛されていました。






今の日本は、あの約250年の長い鎖国の江戸時代につくられていたんですね。







それでは何故、幕末の武士たちは自ら滅んでいったのでしょう?

それは、武士たちの自死による(自ら武士をやめること)、日本という国、公を守るためでした。

明治維新は、死者が約2万人、(3万人という説もある?  本では2万人とありました)という世界的には珍しく死者の少ない革命でできあがりました。

日本人は昔から、世界に誇る「公」(おおやけ)の精神をもっていました。

そうして、国を統一して、富国強兵して、外国からの侵略に対抗したのです。






さて、武士の世界は大変厳しいものだったようです。
武士は、決まりごとに縛られて身動きしにくかったそうですね。


仇討ちとか、刀の抜き方などに決まりごとがあるというのを聞いたことがあると思います。

相手に刀を抜かれたら逃げてはいけないとか。自分が刀を抜いても、相手が刀を抜かないうちに切りかかってはいけないとか。
逆に、相手が刀を抜いて、切りかかってきたときに、自分が刀を抜かずに切られたらいけないとか。


おそらくこれは、誰にでもめったやたらに刀を抜けないようにするための決まり事だったのではないかと思います。

刀を抜くときは、切腹を覚悟しないといけないのです。場合によってはお家断絶です。忠臣蔵の話のようにです。




また、主人が殺されれば、仇討ちもしなければ国元に帰れないとか。厳しい仇討ちの作法という決まりごとというものもありました。
不条理なものには、筋の通らない上意討ちなんていうものもあったようですが。





その厳しさゆえ、250年もの間、平和な時代が続いたのかもしれません。


平安すぎて武士が刀を抜いたことがないので、何かの用事で刀を抜いてみたら錆びついて使い物にならなかった。という話もよく聞きますね。








その反面、町人は自由にのびのびと生活していたと言われています。
江戸時代は、町人文化が花開いた時代です。


学校で習った士農工商は、本当は職業分けでした。最近では、日本には厳しい士農工商という職業分けはなかったと見られていますね。


つまり、厳しい身分制度で、町人は虐げられていたというわけではないようです。時には、そういうこともあったのかもしれませんが。

士農工商とは、古代中国の身分階級からきている言葉で、明治になってから四民平等ということを言われて、士農工商という身分制度があったかのように言われていただけですね。


中国は今でも厳しい身分階級がありますが。農村戸籍とか都市戸籍とか。




戦国時代には、農民と武士の境目が曖昧だったそうです。
農民が武士になることもよくありました。


御家人株を買うことでも武士になることができました。
あるいは養子に入るとか、武家奉公人からの登用、用人としての雇用などです。







そして、日本は昔から独特の文化をもっていました。
昔から、世界中のどの民族よりも優れていると、外国人に言われていたのですね。



島国という地理的な事情もあり、運良く外国にも攻められることがほとんどなかったのも、外部からの影響もほとんど受けずに、日本民族の資質を高めていくことができた要因でもあると思います。




また、四季がはっきりしており、季節の美しい風景を見ることができ、作物も豊かに成り、日本の人々は厳しい自然環境の中にいながらも、独特の文化をつくりあげてきました。




不幸にして自然災害が多い日本ですが、災害が起きても冷静で騒動にもならず、人々は助け合い、他人の物を盗まず(日本人は、火事場泥棒というものを極端に軽蔑します)、まるで家族のような民族だったのです。




東日本大地震のときにも、世界からそのように賞賛されました。



日本人は、世界からすごい民族だと言われているのです。

その団結力が、諸外国の人々からは脅威に見え、恐れられる原因にもなっているのです。



ペリーが来航しても日本は滅びず、日清日露も勝利し、先の大戦ではアメリカの物量作戦には負けましたが、戦後の復興は凄まじく、30年あまりで経済も全ての面でトップクラスになり、世界に引けをとらないほどの繁栄を遂げました。


だから、世界の人々は日本をすごい国だと評価しながら、実は恐れているのです。


GHQが徹底的に日本を骨抜きにする政策をした理由は、日本の底力が怖かったからです。
今でも恐れられているので、アメリカに抑えられて、日本はなかなか独立できません。









その底力は、たかだか150年程度のものではなく、何百年も前から培われてきたものだと思うのです。

たぶん、もっともっと遠い昔からだと思います。



⬇︎外国人が見た150年前の日本がすごすぎる








ここに出てくる、ラフカディオ・ハーンという人はギリシャ生まれのイギリス国籍のアイルランド人で1890年に来日しました。

日本が好きで日本に帰化しました。
「怪談」という小説を英語で書いています。

島根県の松江で、小泉セツと結婚して小泉八雲と名乗ります。




怪談・耳なし芳一のはなし、むじな、ろくろ首、雪女など、子供の頃、これらの小説がとても神秘的だったのを覚えています。



後に、阿刀田高の本でラフカディオ・ハーンの話を読んで、ああ、あの人のことだったんだと気付きました。























































学校では、日本に生まれてよかった。日本人でよかった。
と思えるような教育をしなければいけません。


日本の保守論壇で活躍されているケント・ギルバートさんの話によると、アメリカでは、アメリカに生まれたことに誇りを感じる教育をしているそうです。各国がそうだと思います。
また、日本でもそうあるべきです。















雅拝

教ちゃんとママの絵日記