ーギター教室は異次元への入り口ー
《教ちゃん高いお空で何してるかな?》
教ちゃんは、今日も高いお空で幸せを味わいながら、お昼寝をしているかもしれません。
あるいは、教ちゃんの大好きな楽器の練習をしているかもしれないです。
よく、教ちゃんがリズムをとっているのが伝わってきます。
教ちゃんは、生まれ変わったら、とりあえず、おじいちゃんになるまで生きていたいそうです。
そして、生まれ変わってからの夢をいくつか話してくれました。
一番、初期の頃は、生まれ変わったら牛を飼いたいと言っていました。
とにかく牛が好きな子で、いつか、富士山の麓の朝霧高原で子牛を見たときは、可愛い、可愛い、と言って喜んでいました。
しかし、主人が、「これは将来食べられちゃう牛だな」と言うと、教ちゃんは、「可哀想、可哀想」と言って泣いていました。
ミュージシャンにもなりたいそうです。
だから、毎日、ベースやらドラム、ギターの練習をしているようです。
ビートの効いた曲が好きなようです。
以前、ママはギター教室に通っていました。エレキギターを習っていたのです。
その年に、教ちゃんと出会ったわけなんですが、先祖の教ちゃんたち何人かに邪魔されて、なかなか思うように練習ができませんでした。
あまり練習しないママは、いつもギターの先生に怒られていました。
「何度言ったらわかるんですか?」
「何しに来ているんですか?」
毎回、先生に怒られていたんですよ。
ちょっと気の強い先生だったので、いつもストレートに怒られました。
あの頃は、よく理解できていなかったけど、今ならわかる。実は、教ちゃんたちに邪魔されていたのです。
だから、自分のやりたいことがなかなか順調にできなかったのでした。
教ちゃんは、洋楽のロックが大好きでした。
ママは、教ちゃんの影響を受けて、教ちゃんの好きな曲を聴いていました。
生まれ変わったら、ミュージシャンになりたいとよく言っていました。
あの頃はそういうことがわからず、私がロックが好きで、私がエレキギターを弾きたいと思っていたのです。
教ちゃんは、ギター教室でママと一緒に練習していました。
当時は気づかなかったけど、教ちゃんのふとした仕草で、後になって気づきました。
ママがリズムをがうまく取れないので、先生に怒られていました。
「はい、リズムを正確に取るには、1と2と3と4と、1と2と3と4と、声を出して言いながら弾くんですよ」
と先生に言われて、
「ええっ、なんか恥ずかしいからイヤだ〜」
と私が言うと、
先生は仕方なく、「じゃあ、1と2と3と4と、1と2と3と4と」と言いながら、練習を進めてくれました。
その何日か後で、私は自宅でムキになって、
「1と2と3と4と、1と2と3と、1と2と3と4と、1と2と3と4と〜〜〜〜」
と延々と言っていました。
それも、ギターと全然関係のないところで。
何か違う用事をしながら言っていたと思います。
後に、それを言っていたのは、
「怪しいぞ〜!」
「さては〜〜?」
「教ちゃん⁉︎」
と言ったら
「へへぇ、バレたか」
と教ちゃんが答えました。
「教ちゃんは音楽が好きなんだ。さては、ロックが好きかな?」
と聞くと、
「そうだよ」
と答えました。
さらに、ママが長年凝って聴いていたエアロスミスは、教ちゃんの趣味だったことがわかりました。だいぶ後のことです。
エアロスミスのコンサートは、数えきれないほど何度も行きました。
東京、大阪、博多、北海道、その他の地方も行きました。
東京と大阪は、何度も行ってます。
そのエネルギーは、教ちゃんだったのです。
数年後、エアロスミスのコンサートは、教ちゃんが行きたくて、ママに行かせたのだと、ついに教えてくれました。
「教ちゃんの好きなこと、ママがやってくれる」
と言って、教ちゃんは喜んでいました。
ギターの邪魔ばかりされて、あんまり練習ができなかったママも、ついに先生に、
「一人で弾いているだけでは意味がないですから、バンドのメンバーを探して、やっていってくださいよ。頑張って探してください」
と言われるまでになりました。
教ちゃんも一緒に喜んでいたことでしょう。
そのときはまだ、教ちゃんの好きなことをやらされているなんて、まるで気づいていなかったのですが。
結局、ギターは事情ができてお休みすることになりましたが。
3月6日の投稿
教ちゃんとママの絵日記より
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《全てはギター教室から始まりました》
ーギター教室は異次元への入り口ー
ギター教室に通い始めて、2、3週間後には、亡くなった祖父がきました。亡くなった当時の祖父の気持ちを、ギターの先生のいろんな反応で細かく教えてくれました。
これは強烈な内容でしたが、話は省略します。
教室へ行くたびに、異次元に入って行くような、不思議な感覚がありました。
楽器屋さんなのですが、そこで教室やら、ライヴやら、いろいろやっていたんです。
お店のドアを開けて、受付の女性に挨拶して、教室の方へ向かって行くと、途中でクラクラとめまいがして、気が遠くなるような不確かな感じになりました。
夢の中を歩いているような感じでした。
教室のドアをノックして、先生に挨拶をして、椅子に座るまでの間、クラクラとめまいがして、座ってギターの準備をしていると、先生はいつも新しい曲の練習をしていました。
スコアを譜面台に立てて、ギターを構える頃には、たいてい、いつも先生の声にエコーがかかって、声が遠くに聞こえるようになっていました。だんだんと聞こえなくなっていき、気が遠くなってしまいます。
失神してしまうかと思うくらいでした。
夢を見ているような状態のまま、一年ほどその教室でギターの練習をしていたのです。
通ったのは3年半くらいです。
もう、練習どころではありません。
自宅にいればいたで、スタンドにギターを置いて、さあ練習をしようかと、準備をしていると、
エレキギターから
10センチほど離れたところで
火花が散ったのです
青白い火花でした
それはエレキギターの
電気関係の静電気や
ショートというより
心霊現象に見えました
今思えば、あの頃から、私は急激に霊感が強くなり、一気に大勢の人に頼られてきたようです。
当時は、そのことに気づく由もありませんでした。
もしかしてあの教室は
異次元なのかもしれないと
何度思ったことか
今思えば、教ちゃんを始め、複数の人が、主に童子たちが一緒にギターを習っていたのです。
昨日また一人、あの時一緒にギターを弾いていた子がわかりました。
この子も洋楽が好きで、ギターが好きのようです。
それだけいろいろな出来事が、ギター教室に通い始めてから起こりました。
ギターの練習を向こうの世界の人たちにとことん邪魔されて、先生には、
「何度言ったらわかるんですか?」
「また練習してないですね」
挙げ句の果てには、
「何しに来ているんですか?」
とまで言われて、怒られていました。悔しかったです。
よくまあ、ギターを辞めずに、頑張れたなと、今なら、逆に不思議な想いです。
それらのことをお寺さんに細かく話して相談したら、巡礼をした方がいいと言われて、西国三十三観音霊場の後半を巡礼しました。
私が西国三十三観音霊場の前半を巡礼したのは、それより三年前のことでした。
その頃は、人よりちょっとだけ霊感が強い程度でした。
前半の巡礼の後、徐々に霊感が強くなりました。
西国霊場で、真剣勝負で先祖供養することで修行になり、本来の才能が開花されたのでしょうか。
どうせなら、ギターの才能が開花したかったのですが。
私にしてみれば、いらない横道に逸れたような感じがしました。
生活に不自由するほどの霊感に振り回されて、自分をコントロールできなくなり、お寺さんに相談すると、秋に西国巡礼があるから、それに参加した方がいいですね。
応急処置として家から近くにある観音霊場を巡礼した方がいいと、勧められました。
7月の暑い時に主人と二人で通い始めて、毎週のように近くの観音霊場を巡礼しました。
三十三観音霊場を、四ヶ月で一通り回り、さらに何度も回りました。
述べ回数はその四ヶ月で、西国霊場を入れて、たぶん二百か寺くらいは参拝したと思います。
そんな能力が、フルオープンになってしまい、大量のご先祖様や、友人知人のご先祖様が訪ねてきました。
家族が歴史の話をしていれば、遠慮なくその関係者が来ます。
ギター教室に通っている時は、ピークに達していました。
あまりにも強烈な能力をもてあましていました。
西国三十三観音霊場の後半を巡礼したときには、ついに教ちゃんと出会うことができました。
それからの出来事は、普段からブログに書いてきましたね。
さらに、先生の前世にも、しつこく私のギターの練習を邪魔されていました。
先生の前世とは、私の四つ前の前世で出会っていました。
私の前世は、その時、少しだけ有名人でした。
私の前世の記録は残っていて、記録には書いてない体験をしたようです。
きっと書きたくなかったのでしょう。
先生の前世に、拉致されたみたいです。幽閉されたような感じですね。
ほんの少しの間のようです。
結局、隙を見て逃げ帰りました。
その逃げ帰った私の前世を、先生の前世が恨んでいて、私はギターの練習ができなかったのです。
あの□□集には、そのことは一切書いてありませんが。
そのことも、お寺さんに相談して、先生の前世を説得してもらいました。
「物事の始めが間違っているからです。だから逃げられるのです。それは逆恨みというものです。
他人様を誘拐したら、その親御さんはどれほど心配すると思いますか。
手土産を持って、親御さんにお詫びに行くことです。そうしないと許してもらえません。
一緒にお経をあげてお詫びしましょう」
そう言って、私の前世にお詫びをしてもらいました。私もお寺さんと一緒に、先生の前世にお詫びさせていたのです。それも自分の前世に。
なんだか奇妙な気分でしたね。
先生の前世と、私の前世は、敵対関係にありました。
先生の前世は◯◯◯と言って、◯氏の頭領の従兄弟か何かでした。有名人ではないようです。
先生の前世と、私の前世の和歌が、□□和歌集に載っています。
一時、PCで、ヤフー! で検索すると、二人の名前が同じ検索窓に表示されました。
まるで何かを訴えているかのようでした。
あのギターの前で起きた青い火花は、先生の前世の念が発したものなのかもしれません。
その他の前世でも出会っていたのですが、先生の前世が私の前世を労わるという形が多かったようです。
前々回のブログの記事に、一度これらの話を書いたのですが、その部分は削除してしまいました。投稿する勇気がなくて。
前々回の話で、前世の解消をしたら、先生が優しくなったというのは、このことです。
ギター教室に通わなかったら、こんなに霊感が強くならなかったのかもしれません。
逆に、見えない糸に導かれたのでしょうね。
教ちゃんとママの絵日記のブログを始めたことで、ギターの先生のことを思い出さざるを得なくなったようです。
私はこのフルオープンの能力を、どちらかというと縮小するというか、あまり反応しないための修行をしました。私は、それを職業とすることはないからです。
友達など身近な人たちだけ相談しています。
おかげて良くなりました、とかいうお礼以外は受け取らないことにしています。
できれば必要以上にものを感じずに、平穏に過ごしていきたいです。
職業とするのには、余程真剣な修行が必要だからです。
お金をいただいて答えを間違えたりすると、相手に恨まれて、自分自身の晩年の運勢を凶にしてしまうからです。
霊能力を生かすなら、本を書いて売るとか、そちらの方が可能性があるでしょうね。
エレキギターを始めたから、教ちゃんに会えたのかもしれません。
あるいは、教ちゃんに誘われて、教室に通い始めたのかもしれません。
いえ、最初に書いた、祖父が私をあの教室に導いたのでしょう。本当はこれが重要ポイントなんですが。
だから、ギターの先生に波長が合ったのかもしれません。
「袖振り合うも他生(多生)の縁」と言いますね。
教ちゃんとママの幸せ手帳