私の子どもの頃の話です。

小学校一年生の頃は、音に耐えられずすぐ保健室に逃げるものの、静かなのんびり型ですしテストも百点に近かったので、特に親は焦って無かったように思いますニコ

問題は、二年生になってからショボーン

算数がわからなくなりましたショボーン。繰り上がり、繰り下がり…訳がわかりません。掛け算?九九?意味がわかりません。

母は、焦ったのだと思います。
一学期の終わり、
通知表をもらったその日から、スパルタ教育が始まりました。

学習障害なんて概念が無かった時代のこと。
「国語が出来るんだから、算数が出来ないはずが無い!努力が足りないんだ!」
母は言いました。
先生も、同じ意見だったと覚えています。
本当は出来る子なんだから、頑張れ。そう言われて来ました。

母親は、自作のプリントを何枚も作り、
宿題の後にやらせました。ハズレたり理解出来ないとビンタが飛んで来ました。毎日寝る時間は、日付けが変わるか変わらないかにまでなります。低学年なのに。

この頃の母の口癖は、
「叩いたこの手が痛いんだ、痛みをこらえて叩くのは愛情だ。」でした。

勉強以外の母は優しかったので、大好きで。母に喜んでもらいたくて、
良い点数取りたかったけど、算数だけは、全く結果が出ませんでした。こんなに叩き込まれたのに

私、未だに九九出来ませんニコ

今、発達障害について考える機会を神様がくれて、

思うんです。

思春期からは母を心の底で許せなくなり、心が荒れて早く家を出て結婚した私ですが、
あれはあれで母なりの形の愛情表現だったのだろうなとニコニコ

そして母はアスペルガーに近かったのじゃないかと思います。
自分の子がADHD不注意型なんだもの、もう、イライラして見てられなかっただろうなショック

そして

不器用な母は、決して「ごめんなさい」と言わなかったけど、今でも言わないけどぶー

私が子どもの時、1番、母から言われたかった言葉は、「ごめんなさい」です。

叩いてしまってゴメンね、叱りすぎてゴメンね
ていってほしかったんですねショボーン

もし、発達障害の子を持つお母さんが、

疲れちゃった時、叱りすぎて後悔した時は、何度でも「ゴメンなさい」言って下さい。

あとパー苦手なものは無理矢理克服させようとしないでね、出来ないからウインク

発達障害の子は、
めっちゃ純粋で優しいハートを持ってるので、

間違いないです、ちゃんと赦してくれる。

私は母を100%許してますゲラゲラ

長い旅路の途中

間違えたっていいんだもの

てか間違いなんてないんだもの

楽しく緩く、

歩いて行きましょうニコニコ音譜

ではまたパー