この頃次男は、
二語文三語文、駆使していました。
物の名前もよく知っていて、おしゃべりは上手。反面、うん、とかハイとか、頷くのを見た事がありませんでした。
こちらから話しかけても、ほとんど無視して、自分のしたいことに集中しています。
止めようね、と声がけしても全く聞かないので、いつも抱っこして違う場所に移動することで、かんしゃくを回避していました。
それでもかんしゃくは激しかったのです。
3歳児健診の日が来ました。
事前に練習をして、今日はこんなことするんだよー等声がけして、準備は万全。
ところが。
最初に耳鼻科検診だったのですが、
耳に触られた!からの大泣き&癇癪です。
次に歯科検診で更に火がついたように泣き、手がつけられない状況になりました。。
保健師さんの問診の時もずっと泣いていました。
保健師さん「お母さん、保育園の先生からは何かお話無いですか?お母さん、上のお子さんの時と比べて心配な事無いですか?」
私「…長女も3歳の時こんな感じで、年中さんくらいからグッと成長してしっかりしてきたので、この子も大丈夫だと思います。」
そうでした。
定型発達の長女も、2、3歳の頃は癇癪が激しい子でよくスーパーの前で暴れたものでした。
(今考えると、お菓子買う買わないとか、そんなしっかりした理由のあるものでしたが。)
悪魔の2.3歳児と言う言葉もあり、沢山のコミックエッセイのネタにされているくらいなので子どもなんて皆こんなものだろう、という楽観もありました。
しかし次男の癇癪は、当時の私には理由がわからないものでした。
散々な3歳児健診が終わり、ママ友に大変な健診だったことを愚痴りました。
「子どもなんてそんなもの!」
「うちもそうだったよー」などと励まされました。
この、
「うちもそうだったよー」
何度言われたかわかりません。
安心する言葉ではありますが、
今になって考えると、それは問題を先延ばしにするだけで。
大事なのはしかるべき機関に相談すること。
療育につなげること。
大事な事なのに、私はそれをしませんでした。
胸のザワザワや、自分自身の直感を信じなかったのです。
療育=我が子の障害を認めること
で、拒否反応があったのです。
でも、後になって知るのですが
療育は、母子関係を強固にするレッスンです。
家族の信頼関係を作るトレーニングなのです。
今、迷ってる人がいたら伝えたい。
障害って言葉に惑わされないで。
ただ今より育てやすくする為に、お母さん自身が楽になる為に相談しよう。
お母さんが笑えば子どもも笑うから。
この頃から、夜眠れず、お酒の量が増えていきました。お酒を飲んでいれば、難しいことを考えずに楽しくなれる気がしていました。
備忘録です。
しくじり先生です。