パーリ経典より | 今日も生きた分だけ言葉を綴ろう

パーリ経典より

・愚かな人に近づかず、賢い人に親しむ。

尊敬供養するに値する人を尊敬する。これは最上の吉祥である。

・適当なるところに住み、先になされた功徳があり、

正しい誓願を起こしている。これは最上の吉祥である。

・多くの見聞、技術、道徳を身につけて、きれいな言葉を語る。

これは最上の吉祥である。

・父母を養い、妻子を愛し護る。混乱なき仕事をする。

これは最上の吉祥である。

・施しと法にかなう行い、親族を愛し護る。

非難されない行いをする。これは最上の吉祥である。

・悪い行いを慎み離れ、酒類を飲む事を抑制し、

徳業の実践を怠けない事。これは最上の吉祥である。

・尊敬と謙遜と、知足と知恩。ときどき覚れる人の教えを聞く事。

これは最上の吉祥である。

・心の鍛錬、自らの心を知るという実践、神聖なる真理を見る事。

悟りの世界を明らかにする事。これは最上の吉祥である。

・俗世間に触れても心が動揺せず、憂いなく、汚れなく、安らかである。

これは最上の吉祥である。

このように成して、いかなることにも敗北する事なく、

いかなる所でも幸福が得られる。

これは、神々、人間にとって最上の吉祥である。

昔のファイルを整理していたら、↑こんなコピーが出てきました。
前彼と同棲していた頃、彼の出張中に彼の部屋で一人、
ごそごそと仏教ネタを検索して、

こういう教えを読んでは心を鎮めていたものでした。。。

出家願望は常々私の心のなかにあり、
この数ヶ月後、私は欝病で仕事を辞めてしまいました。
常々自分を信じてほしいと言っていた彼が、

信用できなくなる行いをした為でしたが・・(大ショックでした)

・・・色々ありましたが、結局のところ、

人間というものは移ろい行くものであって、
信じる信じないの対象ではないのではないか、という考えに至りました。
自分自身の気持ちでさえ、明日何が起きて、

どうなるものかもわからないのに。
「信じてほしい」という台詞は、その時を彩る甘い言葉・・

では私は何ならば、誰ならば信じられるのか。
待て待てよ、、そもそも自分の事は信じられるのか。
少なくとも彼についた嘘は、かわいいものだったと思う。
知られて彼がショックを受けるような隠し事は、していなかったつもり・・・
しかしそれは、五十歩百歩で、完璧ではない・・・

人間が信じるに値するのだという事を経験して初めて、
信じていいものだと、
うなずけるのではないか。

では人に信用を求めるのならば、まず自分で自分を律し、
自分で自分を信用できる様になる事が先決であろう。

自分がそうなれるのならば、同じ人間である他の人にも、
誠実さを真摯に求められる。
その彼と別れるとき、そんな結論を出した事を覚えています。

「聖人君子じゃあるまいし」と、誰かに言われたけれど、
聖人君子を目指さないで、人間何を目指すというのだろう。 
道は遠くても、いつかの悟りを目指して、

人は歩んでいると、私は感ずる。
それに道が遠いか近いかは、誰にもわからないじゃないか。
こういう、小さな偏見の視野になじんできた為に生まれる発想さえ、

転換を要す。

ひとつひとつ、だ。
自分の感性で知覚し直す、んだ。
「習慣」の流れの中で、立ち止まるしかない。

怠惰になりがちな日常の意識。