くろごませんべいですニコニコ

 
こんばんは
 
かつていろは歌に関心がありながら書物が手に入らずやっと手に入りましたニコニコ
 

こちらは品切れが続き、中古では2万円を超してますキョロキョロ下矢印

大ボリュームの内容です。百科事典の情報量なので買って満足だと思われます

 

 

 

 
いろは歌はダイイングメッセージが込められてますニコニコまずは数年も前に書道番長様が記事にしております下矢印

 

 

ウンたらかんタラと専門内容を読むよりも、シンプルに解りやすい記事はこちらがわかりやすいです。お馴染み書道番長様です爆笑番長様の記事は要点ついてて読みやすいですよね

 

  

いろは歌の前に古今和歌集が要となるので先に古今集の話を題に取り上げます

 

私の偏りのある見方と調べた事を混ぜ混んでマニア風の解説に入りますニコニコ

 

私の解説は歪んだ見方をするんで、歪んでる分、内容を下げてる記事を書く傾向にありますニコニコ

 

 
 
万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、その他
 
色んな和歌集がありますねニコニコ
 
現代より前の近代前まで「古今和歌集」は絶大な権威があった歌の読み本でしたそうなえー
 
紀貫之が歌を厳選して撰び、和歌の教科書としての立ち位置であり、古今和歌集に影響を受けた偉人は多いニコニコ
 
情緒や美の表現が的確性高く、言葉を美しくみたいな雰囲気ありますが、幽玄の美とかいう美の世界もここから来てるんでしょうね口笛?
 
私の意見ではそもそも古今和歌集に幾つか取り上げられてる作者は小野小町しかりえー、伊勢えーえー、在原業平えーえーえー等のいつも恋愛しか頭にない人ガーンの歌が取り上げられてる気がしますキョロキョロ
 
(ここまでは私の印象の話です)
 
当時の権力背景や紀貫之の人間関係がピックアップに反映されてるかどうかは私は知らんニコニコ
 
政治屋に睨まれたり権力者に睨まれると生活できないのは今も昔もございますから、誰にも媚びないで肩を持たずに編集される書籍は素晴らしいです
 
その意味で古今という書物は素晴らしいのかどうかは私は知らないです爆笑まだ、調べきってないので解らないのでご存知の方ニコニコ教えてくださいませおねがい
 
古今和歌集の中にある作品で詠み人知らずという作者不明の歌の占める割合は40%との事です
 
昔はこの歌の本が教科書のような役目を果たして、芸術関連等もこの作風の影響を受け、宮中に使える人々も古今和歌集を頭の中に入れて対応するそんな常識の世界らしかったそうですね
 
それなのになぜか近代以降は権威が落ちているのかえー
 
近代で権威を貶めた人間がいるんですえー
 
皆様にクイズです
 
「誰が古今和歌集の絶大な評判を落としたのでしょうかニコニコ?
 
①勝海舟
②渋沢栄一
③シーボルト
④正岡子規
 
アンサー
 
④正岡子規です
 
口からデタラメを言いそうな性格で、普段から信用性のない勝海舟あたりが言いそうですけど爆笑違います
 
なんで近代では批判され価値を失ったのかというと、正岡子規が自分の著書『歌よみに与ふる書』に
 
「古今和歌集は理屈と駄洒落の歌集」
 
と批判したのですニコニコ今までは和歌を習う教本として最高のランクにあった古今集は人気が落ちて、編集した紀貫之もまた「歌聖」と言われていた評価を失った時代が到来します
 

 そしていろは歌も同じくつまらない作品という扱いをされております

 

「いろは歌」には古今集が欠かせないのですが、その理由の前に才と能力と教養は身を助けるえーそんな話をします

 

ネット情報によるとチュー元々古今和歌集というのは当時の教養人達が和歌を詠む際のお手本とされ、和歌を詠む際の基本形式だったみたいですキョロキョロ

 
江戸時代になると次第に古今集は良くないという側の意見がありつつもスルーされ、徳川吉宗の息子は反古今和歌集派閥です
 
徳川吉宗の息子の田安宗武は頭脳明晰で文武に秀でた人間です口笛元々は基本形式の古今を習って、やがては自然で素直な作風の万葉集を指示します
 
もっと古くは吉宗暴れん坊将軍以前の桃山時代に本能寺の変がありました時に当時の背景はこんな感じです
 
織田信長左矢印明智光秀に討たれる
 
細川幽斎と明智光秀は婚姻で親戚になってますので、明智は細川が自分の味方になると思っていたら細川から拒否されてしまい明智は力を得ること出来ず後、豊臣秀吉に征伐されておりますニコニコ
 
で、細川幽斎という人物は芸術家にありがちな情はなくプライドは高い傾向、それがありますえー実の娘も利用してとある武将に嫁がせ、婿を誘き寄せ抹殺しても何ら感情はないそんな人間ですキョロキョロ
 
また、明智光秀の娘が息子の嫁になりますが、状況によって仕方ないですが他人のフリニコニコ助けてと言っても機械的な情に薄い人なのでその場では円満に付き合えるものの食えない人間の典型的な性格で信用できない性格なのですが、何故かそんな人間が当代で唯一情の通う美しい表現の古今集の伝授者なのです
 
明智は元々細川よりも家柄も下ニコニコ職位も立場も当初は細川の下口笛ですので織田信長の意向で両者が婚姻となっても細川は従うけど明智の下に居る気はないのです
 
盟友とか朋友とか親友等と言われる明智と細川えー
 
私が感じるのは明智の方は細川に信頼と揺らがない友情を感じていて、細川は関西人にありがちな、表と本心は違うという立場によっては長年の恩義はスルーして離れる人、もしくは、不利益になれば関係を解除するけど一応はバランスが成り立てば付き合いはする
 
そんなギブアンドテイク人間(本質は身内に対する考えと行動から察するとテイカー気質もあり得る人です)にも感じますえー
 
また、仲良くしてはいても身分下の明智には本当は頭も下げたくはないのです
 
そんなギブ&テイク性格の細川の命が関ヶ原の戦いの最中に無事だったのは、政治の世界と本人の人柄の云々ではなく、学問と芸術の継承者が不存在になるからという、価値あるものが無くなるからという理由ですので、そこに情は無いですえー
 
テイカー寄りの気質の人間には、損益が発生するから、◯◯を損なうからあなたは必要と考える損得の人と関係ができやすいキョロキョロ
 
関ヶ原より前の織田信長の時代に明智が織田信長の手足となり、戦にお忙しい中で幽斎の方は学問を極めており、これが芸は身を助けるに繋がり、後々絶体絶命の際には助命されてます爆笑
 
細川幽斎は当時の国内で「当代随一の教養人」と呼ばれ、和歌、連歌、囲碁、茶道、料理、猿楽、乱舞、禅という芸事においてパーフェクト
 
武道も剣術は相当な腕で文武両道の達人です  
 
細川幽斎はやがて明智が滅んで豊臣政権の時代に今度は石田三成軍と反石田軍(学校では徳川って教えられてると思います)の争いの関ヶ原の戦いでもう身が危うしの状態となりますえー
 
細川は石田三成に攻められて籠城してももう耐えられず降伏そして落城そして場合によれば死刑が待ってる事態となりますえー
 
私の意見では情のないシステマチックな天才芸術家対「◯◯べきである論」を振りかざし、ルールだ規則だ!正義だと言うわりには人に情が伝わらないモノ達の「情に薄いモノ達の争い」に見えるのです爆笑
 
あと1週間~10日すれば落城の見込みと思っていたらびっくり
 
なんと当時の天皇が割って入り(勅旨を下しました)
 
「細川幽斎は古今集を三条(西)実枝より相伝し、古今伝授の者である。幽斎が死すと伝承者が居なくなり古今集はどうなるんだアセアセ
 
という文化継承の観点で助け船があり、いつの世も公家達は義理や正義で助け船を出すわけではなく、己の世界観と己の立場優先でモノイイするので武家に取っては邪魔でしかない爆笑
 
当時は古今集の本が溢れてて皆さんが勉強できる訳ではなく、古今集の読み方や解説等の奥深い教養を弟子に口伝で教えそれが繰り返されるるシステムであったらしく、三条(西)実枝は細川幽斎へ伝えてるのですが、細川が死すと伝承者が居なくなるという訳です口笛
 
結局天皇が2人の間に入って城を開けて細川は無事
 
学問を極めているから救われてますえーまた彼しか継承してない唯一無二の学問を持ってるから命が助かってる
 
ここで古今集という学問は無事爆笑!!
 
そして、時代は下り、江戸時代の武士達には男らしさの溢れる万葉集が人気であってもそんなに悪い評価はなかった古今集
 
近代になると正岡子規が評価を貶めたという流れです