はじめに…
ようこそ。この物語に出逢ってくださいましたこと、心より感謝申し上げます。
インディゴチルドレンの私のために、私の元にやってきた彼。今世では親子という形でめぐり逢い、人生で本当に大切なことを氣づかせてくれるため… 私を成長させるため…
としか思えないようなドラマティックなストーリーが次々と展開していきます。
どうぞお楽しみいただけましたら幸いです。




 

" Transit "

第1章 ⑳

【最後の電話】  

 

 

学校にも、東京にも、

随分慣れてきた。

週の半分は一人暮らしになるという生活にも。 

 

 

お弁当も夕食も一人の時は作ることの方が

断然多いのだと。  


小さい頃から料理に興味を持ったり、

小学4年生の頃に魚の捌き方をプロの料理人から

習ったこともあり、 

高校の部活?同好会?も一つはカレー部に

入っていた。

いろんなカレーを作るのだとか。。。


もしかしたら、

3歳の頃から日曜日の朝ごはんを自分で作って

いたのがきっかけだったのかも⁈ 


日曜日くらい朝寝坊したい私は、

日曜日の朝ごはんのお休み宣言をしていたのだ。

 

パパが仕事でいない日曜日は、

彼は自分で作るしかないわけで、

目玉焼きを作って食べていたりと…   


創作意欲はこうして養われていたのかも(笑) 


  


私のいない週末には友達を呼んで遊ぶことも。  

いつのまにかたまり場になっていることも、

悪いことをしている様子もなく、

ママたちを知っているので安心していたし、

ママ友からも、

いつもお邪魔しています、とか

チャーハンを作ってくれたとか、

ごはんをご馳走になったとか、

お礼を言われたりしていたので

全く心配はしなかったし、

信用していたのだ。 

 

 

が、一つだけ、氣になることが。。。 

 

麻雀セット?

明らかにソレをやった形跡があったのだ。 

 

 

「麻雀なんてやってるの?

 そんなのいつ覚えたの?」  

(宇都宮の家に自動麻雀卓があったけど、

私も彼もやったことはなく…興味もなかったのに)

 

 

「友達とやろう!ってことになり、

 買ってきて、

 ルールを覚えながらやり始めた。」

 

 

「まさか、

 学校には持って行ってないでしょ?」 

 

 

「えっ、今、学校に置いてあるよ! 

 放課後やっていたら先生に、

 お菓子をかける程度にしておきなさいよ!

 って言われたから、

 そんな程度です。

   って言っといたし、実際そんな程度だし。」 

 

 

「没収じゃないのね。 

 イイ先生ね。楽しい学校ね。」

と、私は自分の高校時代と比べながら、

本当に自由なのね〜 パラダイスだわ〜  

と羨ましかった。 

 

 

自由とはやはり、それぞれの自己責任の上、

他人の自由をも侵さないこと、

芸術家の卵たちの発想や興味を

抑えつけないものなのか。。。 

 


 

夏休みに入り、文化祭の準備やら… 

後半にやっと、

入学以来久しぶりに宇都宮に帰ってきた。 

氣になっていたおじいちゃん(私の父)の具合も

心配だったようで。

 

 

8月後半のある日、

奇跡的に朝から氣分が優れていて

今日なら出かけられるということで、

おじいちゃんと彼を乗せて3人で

群馬〜軽井沢に向かった。 

 

榛名神社の涼しく清々しい空氣を

ゆっくり確かめるように何度も休みながら

吸っては吐き、歩いていた。

 

ほとんど食べ物が喉を通らず、

痩せ細っていたカラダの隅々に

行き渡らせるように空氣を吸っていた。 

 

「空氣が美味しいなぁ。」

と何度も何度も。。。 

 


 

その後、軽井沢に向かった。 

多分、これが最後かもしれないと、

 

「Kちゃんの行きたい美術館があるから

 このまま軽井沢に行くね!」

と、次はないことを暗黙の了解で

車を走らせた。 

 

 

少々渋滞したところがあったものの、

予定通りの範疇で美術館に着いた。 

疲れているのは承知していたが、

嬉しそうだった。 

 

 

ゆっくりゆっくり一つずつ観入っていた。 

 

 

そしてあの滝の前に立つと、

どれくらいそこにいただろうか…  


まるで、ジッと滝に打たれながら、

これまでのすべてを浄化しているかのように。 

 

 

すべての作品を観ることが出来た。 

 

 

もちろん、彼は自分のペースで観ていたが、

おじいちゃんを氣遣いこちらを確認しながらも

ゆっくりと黙って何周か回っていた。  

 

 

外に出ると、

「凄いなぁ。いいものを観せてもらった。

 凄いなぁ。いいものを観た。

 良かったなぁ。

 今日は来れてよかったぁ。」 

何度もそう言って、ゆっくり歩いて

車に乗り込んだ。 

  



  


それほど遅くならずに無事に送り届けて

ホッとした。


穏やかで優しい夏の終わりの一日だった。

 

 

 

次の日、私と彼は東京に戻り… 

その次の日、おじいちゃんは入院した。 

私は週の半々ではなく、

東京ー宇都宮間を行ったり来たり、

時に日帰りで病院に行ったりの日々を過ごした。 

  

 

 

彼は、夏休み明けからずっと

放課後は文化祭の準備に忙しかった。 

この学校では一番のイベントが文化祭なのだ。 

 

  

  

無事に文化祭を終え、

父も無理矢理懇願し退院した。 

私も行ったり来たりのペース。


あの夏の終わりの日から約1ヶ月、

彼の帰りを待つ私の携帯に電話が鳴った。

父からだった。 

明後日、病院だから朝お迎えに行くからね。

と言って電話を切ったが、

氣になっていた。

虫の知らせ?なのか、

文化祭の片付けか何かで遅く帰ってきた彼に、

「おじいちゃんに電話してみて。

 さっき電話があったけど、

 何か氣になるから電話してみて。」 

と彼の携帯からかけさせた。 

 

 

  

電話に出て、話している。

ひとまず安心。。。


 

「うん。。。わかった。

 おじいちゃんもカラダ無理しないでね。 

 元氣でね。」 

 

   


電話が終わると私は彼に、

 「明後日じゃなく、

 やっぱり明日行ってくるね。

 朝早く行っちゃうけど大丈夫⁈」 

 

 

 

「うん。そうだね。

 僕は大丈夫だよ。」 

  

 

 

その夜はなぜか眠れなかった。 

ウトウトしては目が覚め、

まだ薄暗い明け方、カラスの声が。

カーテンを少し開けて覗くと目が合った。

こちらを見てずっと鳴いていた。

  

 

 

私は彼の制服と革靴を

いつでも持って出かけられる用意をして、

家を出た。  

 

 

 

宇都宮に着くと、覚悟して実家に向かった。 

 

 

 

おじいちゃんからの最後の電話は

彼への遺言だったのだ。 

  

 

 

小学6年の冬、

生まれた時から一瞬に育った

姉弟のようなアランとの別れ、 

 

昨年、中学3年の4月、

一番可愛がってくれたおばあちゃんとの別れ、 

 

そして、念願の高校に入って

一大イベントの文化祭が終わったタイミングで

大好きなおじいちゃんとお別れするとは。。。 

 

 

 

絵を始めるキッカケを作ってくれたのは

おばあちゃんとおじいちゃんなのにね。。。 

 

  





 
つづく。。。 
 
 
  
 

à bientôt!ウインク