三条会商店街をご紹介しています
本日は、六角獄舎跡のご紹介です。
こちらは、三条会商店街から少し道を入ったところにあります。
六角獄舎とは、平安時代に建設された牢獄のことで、1708年に起こった大火の後、中京区の六角通に移転しました。
移転してから数年後、医学者であった山脇東洋(やまわきとうよう)という人物(我らが亀岡出身)が、六角獄舎で死刑囚の解剖を行いました。
これが、日本で初めての人体解剖でした
この時の解剖記録を収めたのが『蔵志(ぞうし)』という書物。 多くの誤りもあったそうですが、日本医学史上に占める意義は大きく、その後、弟子たちにより全国各地で解剖が行われていくようになりました。
というわけで、六角獄舎跡には、『日本近代医学のあけぼの』、『日本近代医学発祥』と書かれた石碑が残っています。
また、六角獄舎には悲惨な歴史も残されています
時は幕末。 六角獄舎には尊王攘夷派などの志士たちが多く投獄されていました。
蛤御門の変が勃発し、市中には火の手が上がりました。 火の勢いは獄舎まで届きそうな時、管理を任されていた京都町奉行はとんでもない命令を出したのです
この時代、牢獄火災の際には囚人を解き放つのが慣例でしたが、その命令は「すぐさま処刑にしろ」というものでした
京都町奉行は判決がまだ下りていない囚人33名を処刑。
「どうせ、焼け落ちれば分からないだろう」と思われていた(のかどうかは分かりませんが)のに、結果、獄舎までは火が回らず
これが、六角獄舎の悲劇といわれる歴史です。
この事件は、ドサクサにまぎれて新撰組によって殺害されたという説もあるのですが、子どもが近くにあったエノキの大木に登り、見ていたという話も残っています。
さて、そのエノキの大木の話は、また明日続きます。
<アクセス>
●阪急「四条大宮」下車、徒歩約10分
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