本日は、 もったいなく罰の当たる話 です。
1800年12月26日、伊能忠敬が蝦夷南東海岸と奥州街道の
略測図を幕府に上程しました。 これが日本初の実測地図です
さて、伊能忠敬測量隊が京都にやってきたのは1814年のこと。
神泉苑町の若狭屋太郎兵衛の家に宿泊しながら、妙心寺・下鴨神社
・北野天満宮などを測量しています
この若狭屋太郎兵衛さん、薬種屋と墨屋を営んでいた豪商。 こんな
言葉を残しています。
「墨商売は、先祖代々大切に続けてきたものである。 しかし、最初から手広く商いをしてきた訳ではない。僅かな資金で開業し、様々な人の世話になり、繁盛するようになったのだ。
それを、子孫の代になって贅沢になり、この商売には飽きたなどと言うのはもったいなく罰の当たる話であり、慎まなければいけない。とりわけ、奢りのないように気をつけなければいけない」
現代でも通じる深い言葉ですね