2025年は大丹波を特集しています。大丹波の詳細はコチラ

 

 

本日はクリスマスイヴですが、クリスマスとは何の関係もない来年の干支・午(馬)のお話。

 

みなさんは、”養老牧場”という言葉をご存じでしょうかはてなマーク

 

もしかしたら、先日までテレビドラマでやっていた『ザ・ロイヤルファミリー』の最終回で出てきたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

 

”養老牧場”とは、競馬や乗馬などのお仕事を終えた馬たちが余生を過ごす牧場のこと。

 

馬は毎年7千頭ほど生まれ、そして何らかの理由で7千頭ほど殺処分されていくそうですショボーン

 

現在、引退馬の受け入れ先は限られており、天寿を全うできる馬は多くないのが現状。
 
そんな馬たちをのびのび過ごさせる場所として、2020年南丹市にMomabu Ranch(モマブランチ)がオープンしました。
 
森林に囲まれた広々とした牧場に、現在数頭の馬が過ごしています。
 
↑一般は見学できないので、車で通りすがりに入口を撮らせて頂きました。奥の方にお馬さんが数頭います。
 

 

↑KBS京都の映像です。

 

この中でも、管理されている方がこうおっしゃっていました。

 

馬は人間の都合で生まれてくることが多いのに、人間の都合で命が左右されるのはおかしい

 

本当にその通りです。

 

手間やお金のことを考えると、なかなか難しいとは思いますが、

 

こんな自然豊かな場所で、最期までのびのびと暮らせる場所が増えることを願っています。

 

公式のインスタグラムでは、お馬さんたちのいきいきとした姿を見ることもできますよ音譜

 
 
 
 
 
 

↓人気ブログランキングに参加しています。

京都府ランキング

 

2025年は大丹波を特集しています。大丹波の詳細はコチラ

 

 

前回も少し書きましたが、「鉄道の父」とも呼ばれ、現在のJR山陰線のもとをつくった田中源太郎氏。

 

1898年頃にご自身の生家を改築し、洋館と和館(国の登録有形文化財)ができました。

 

現在はがんこフードサービス㈱が建物を借り受け、がんこ亀岡楽々荘として営業しています。

 

↑和館

 

↑洋館(右)

 

洋館は1階と2階とも2部屋ずつあり、東側と南側はテラスになっています。

 

 

 

ちょっと異人館みたいでワクワクしますねお願い

 

窓ガラスは竣工当時のものだといわれており、外壁は京都鉄道のトンネル建設に用いられたものと同じレンガが使用されているそうです。

 

空いていれば、洋館でお食事を楽しむことができるかもはてなマーク

 

 

 

 

また、こちらのお屋敷の見どころは、なんといっても庭園。

 

平安神宮に無鄰菴、京都国立博物館に京セラ美術館の庭などを手掛けた七代目小川治兵衛による作庭なんです音譜

 

 

 

安土桃山時代の石灯籠などもあるのですが、これは近くにあった亀山城から移築されたものだそうです。

 

 

以前は、保津川観光ホテル楽々荘となっていたこともあり、ガーデンカフェや結婚式、ビアガーデンなんかもありました。

 

そういえば、私は行ってないですけど、親戚が結婚式(お披露目?)してたなぁ。

 

現在はがんことして営業されていますが、お庭を眺めながらの食事は、これまた癒されますラブラブ

 

 

↑食事はずいぶん昔に撮ったものなので、変わっているかもしれません

 

 

JR亀岡駅からも徒歩7分ほどと好立地乙女のトキメキ

 

もちろん、無料駐車場も60台完備乙女のトキメキ

 

ランチでも3,000円前後からですが、最近はアフタヌーンティーやパフェも充実していたりして、”THE和食”っていう感じではなくなってきているようです音譜

 

 

 
 
【アクセス】
☆JR亀岡駅より徒歩約7分
☆京都縦貫自動車道「亀岡IC」より車で約10分
 
【営業案内】
☆営業時間:11:00~15:00、17:00~21:00(平日)、11:00~21:00(土日祝)
 ※14:30~17:00はカフェのみ
 ※年末年始も土日祝と同じ
 
 
 
 

↓人気ブログランキングに参加しています。

京都府ランキング

 

2025年は大丹波を特集しています。大丹波の詳細はコチラ

 

 

先日、亀岡駅を通ったら、スモーキングエリアに書かれている文字を二度見しました目

 
 
もうひとつの京都
霧の都、亀岡-
 
もしかして、”たばこの煙”と”霧”かけてますはてなマークびっくり
 
 
さて、そのすぐ横にこんな石碑があります。
 
 
京都鉄道起業顕彰碑
 
現在の山陰線のもととなる京都-園部間の鉄道を敷き『鉄道の父』と呼ばれる田中源太郎氏。
 
それを称える石碑です。
 
田中源太郎氏は、江戸末期に現在の亀岡市で生まれました。
 
15歳という若さで家督を継ぎ、物産会社や株式取引所、亀岡銀行(のちの京都銀行)を設立。
 
特に情熱を傾けたのが、鉄道建設でした。
 
京都府北中部を縦断して京都・大阪に通じる鉄道を敷くため、地元の議員を動かし、政府に要望しましたが、進展はみられませんでした。
 
源太郎氏は私費で敷こうと計画し、1893年に京都鉄道株式会社を設立。
 
保津峡の難工事や資金難などで時間はかかりましたが、1899年に京都-園部間の35kmが開通。
 
しかし、土地の広域買収などで資金繰りがつかなくなり、たった8年後に国に買収されて国有鉄道となりました電車
 
↑なんか、国っていいとこどりえー
 
こうして、山陰線の礎を築いた源太郎氏ですが、最後は自ら敷いた京都鉄道に乗車中、保津川の鉄橋で起きた脱線転覆事故に巻き込まれて死亡。
 
なんとも非業な最後でした。
 
さて、田中源太郎氏の生家が、現在、がんこ亀岡楽々荘として営業されています。
 
 
そのお話はまた次回してみたいと思います音譜
 
 
 
 

↓人気ブログランキングに参加しています。

京都府ランキング