気付いたらエントリーしまくってる僕がいる。あとでよく考えればいいかと思って。志望は固まりつつある。

推薦は考えない。

そもそも制度が納得できないし、推薦もらう人=安定志向の偏見がある。

安定志向の中からイノベーションは生まれにくいと考える。

定時に帰れて給料がっぽり
に心は動かず

しっかりした企業理念とビジョンがあり、そこに共感できて、

この先35年間進化し続ける飽きない会社

転職は考えてない

僕は一つのとこで腰を据えて成長する方があっているし。うまく周りを巻き込んでいけると思う。

皆で作り上げるほうがあってるから、完全に個々として動くのには向かない。

もし将来結婚して、子供が産まれたら、仕事時間が少なく高収入なのがよいのかもしれない。が、本当に自分がやりたいことじゃなければ、僕は父として自分の子供に
胸を張って仕事の話などできない。僕の将来の夢は自分の家族に尊敬されることだ。両親、兄も含めて。

僕が皆から受けた愛情を今度は僕が社会に皆に提供する、それが僕の働く意味だ。

僕はたいした人間じゃない、からいつも頑張って生きてます。でもたいした人間じゃないことを自分でわかってるのが強みです。


身の丈を知って、自分のできることを必死に頑張れる能力ってのが僕の全てです。


バレンタインデー見ました。KJが見たがってたので。

オーソドックスな内容の積み重ねですが、演出やキャラ立ち、テンポ感がよく最初から最後まで飽きずに見られました。
カップルが多かったです。

次こそはアバター
この体験を掘り下げるポイント
・なぜ幼少期に兄貴の背中を追いかけるようになったのか?
例:親からの圧力、兄貴からのアピールetc.

父親の背中を見て育つはずが、父親は書斎にこもっていたため、追うものが兄貴だった。
兄に張りあって努力した結果、成長し、それを母、祖父母がとても喜んでくれるため。


・なぜグループに属していなかったのに、和に入ろうと心変わりしたのか?
例:単純に寂しい気持ちが大きかった(実は寂しがり屋さん)、あるグループからいじめられたetc.

単純にグループがうらやましかったんでしょう。楽しそうだなぁって普通に思っていたと思う。


・仮説1の逆の経験(自分や周りを認める)はあるか?あるとすればどんなことか?

心から尊敬する人に対しては絶対に見下すような態度はとらない。
必死で努力している自分は認めるが、どこかに必ず不備が出るためそこに目が行く。


そしてここからが大事
・それらの経験から自分が一番大事にしている価値観は何か?
例①成長(from兄貴世代との遊び)
例②仲間と心通わせる(from寂しかった・・・)

成長することによって自分を肯定すること。
存在を認められる、必要とされること。


・それらの経験から浮かび上がる自分の強みとは何か?
例①うわさには流されない、冷静な判断力(from周りを見下す)
例②弱者の立場と強者の立場を同時に把握できる&改善のために働きかけれる

主将として一年間心がけていたこと。
→団体で細かい気配りをすること(周りに必要とされるため)。
→集団全体に目を行き届かせること、条件をフェアにすること(孤独な人を作らないため)。
→チームのためなら嫌われ者にもなること(チーム全体の成長を第一に)(それは周りが理解してくれるという条件のもと)。

全体の成長を第一に、チーム内で不公平・差別・軽視のないようにまとめあげること。が理念だった。

親友高見澤くんが、幼少期の影響は計り知れないんだぞ、って言われたから振り返ってみる。

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僕の幼少期は、兄の存在が大きかった。

僕は3つ上の兄貴がいる。いつまでも僕の兄貴だ。
小さい頃から、兄貴の背中を見て育ってきた。
兄貴はライバル、兄貴は友達、兄貴は尊敬する人。

僕は兄貴に負けるのが嫌で、兄貴がひらがなやってたら僕もひらがな、兄貴ができることは自分は全てできないといけない思っていた。

いつからか、僕は兄貴の世代の人たちと遊ぶことが増え、その人たちに認めらることが目標になっていた。
この頃から、僕は同年代の人たちをどこか遅れている、子供だ、と小馬鹿にしているところがあった。
一番大人な自分が学級委員をやるのは当然だと思ってたのではないか。

僕は同年代の人たちで遊ぶことに魅力を感じなくなっていた。
しかし、兄貴が中学に入り、ヤンキーになってしまうと、僕は遊び相手がいなくなってしまう。

この頃僕は心底寂しかったのだろう。
同じクラスでは、グループができていて、僕はどこにも属していない。

僕は必死で和に入ろうとした。仲間として認められるために一緒に悪いことをしたこともある。
しかし、僕は満たされなかった。なんだか和の中にいるけど、和に馴染んでいるのではなく、和に紛れ込んだ点であった。それはどこか僕が心を開いてなかったんだと思う。だから、僕は最後まで和に馴染めなかったのか。少しまだ、子供だと見下していたのか。


そんな小学生だった。


仮説1:あまり自分や周りを認めない性格なのは、目標(幼少期の兄貴世代)があってそこにたどり着いていないもの全てがだめだと考えていたから。
仮説2:物事を客観的に冷静に見れるのは、集団の中で心が孤立していたから。


次回は、幼なじみについて話そう。ようちゃん、たっくん、そして大野くん。最後にどんくん。



面白い図鑑が流行っていて買ってしまいました!!将来の息子のためにとっときます。

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さて、本日親友高見澤くんと自己分析の話になり、いかに自分が自己分析を避けてきたかを痛感した。

僕は、他人とか団体とかを(さめた目で)客観的に見るのは得意だが、自分に対してそれはできない。
僕は自分で自分をそういう目で見るのが怖いのだと思う。自分の弱いところを知ってしまうから。

本当は知っているから隠しているのだと思う。改めて知ってしまうと自分に自信を無くしてしまうから。

しかし、今回、将来の人生の進路を決めるため、自分をさらけ出したいと思う。

家族にも彼女にも知ってもらっておいた方がよいのだろうし。


僕は実は、臆病者の塊である。これを聞いて「知ってるよ」と言う友人は少ないだろう。
それを隠すために虚勢をはることにも長けているからだ。臆病者だと思われたくないからなのだろう。

僕は自分のことをものすごい人見知りだとよく言う。しかし付き合いの長い人たちはそれを絶対否定する。
「藤代が?そんなわけないだろ。」

いえ僕は人見知りです。一番僕が知っています。僕は初対面で知らない人とうまく話せません。うまく話しているフリはできます。友達の友達とかいうシチュエーションならなんとかなります。相手が僕を知っている状態での会話もなんとかなります。
一方、新しい団体に入ったときの僕は違います。いきがってます。あれは虚勢、空回ってるとこは目にした人たくさんいるのではないでしょうか?あれは頑張っている僕です。臆病なのがばれないよう必死な僕です。


コミュニケーションも得意ではありません。自分の考えをうまく伝えることは上手ではないし、相手との円滑な会話も得意とはしていません。僕が飲み会で盛り上げているあの図、実際は中身のない会話だけなのです。中身のある会話をしていると、「ん?何言ってんだ藤代は?」みたいな時ありませんか?あれが本物の僕です。コミュニケーション能力のないところを隠すために、テンションでなんとかしようと必死なんでしょう僕も。



さて、僕が長所としてあげている、「コミュニケーション能力」と「誰とでも仲良くできる」が早速崩れましたね。

次回、弱み?強み?どっちか書きます。