裏切りの八丁峠!の巻
9月5日
列車が終点『三峰口』に到着し、リンコー袋に入った愛機を担いでホームに降りて、薄暗い改札口を通って外に出ると、私は思わず日差しの眩しさに手をかざしてニヤリとする。
朝の爽やかな空気の中に建つ、木造のレトロな駅舎を眺めて若かりし頃の思い出に浸っていると、次の列車で若者がやってきた。
せっせと自転車を組み立てる若者を見ていると、ああ・・私も昔は『若者』だったんだな・・と思い苦笑する。
青とピンク色のロードレーサーが駅前を発進し、秩父の山奥へと向かってゆく。
そういえば、私には友達がほとんど居ないが、この若者とは付き合いが長いなぁ。
私は若い頃、それはそれは酷い自転車中毒で、とにかく乗っていないと気が済まない。遠くへ走って行かなきゃ気が済まない。速く走らないと気が済まない病におかされていたのだが、この若者に『自転車はもっと気楽に乗るものなのだ。』と教えてもらったのだ。
それにしても走れば走るほど、速ければ速いほど、凄い凄いという声が上がるのは何故なんだ?
見た目の華やかさにばかり目が行く人ばかりなのは、何故なんだ?
私は自転車に乗らなくても、乗っているところを想像するだけで満足してしまう人の方が遥かに凄いと思うのだが。
人間は年を取れば取るほど、人として成長するわけではない。
私のように根本が腐っていると、生きているだけでとんでもねえ老害になってしまう。だから、結局何が目的なのか、何がしたいのかと原点に立ち返ることも大切なのだ。
若者よ、それを私に気付かせてくれてありがとう!!お金のこと以外なら何でも相談に乗るぜ!
さあ!困った事があったら人生の先輩である私にぶつけるがいい!!
『どうしよう!俺、水虫になっちゃいましたよ!!』
『そうか、そうか・・カビキラーでもぶっかけておけ。』
巨大なループ橋をグルグルと上って行くと、滝沢ダムが間近に迫ってくる。
それにしても、ダムが治水や水源の確保に役立つというのは本当か?
自然を破壊すると自然の中に貯めこまれる水自体が減ってしまい、さらに水害も起こりやすくなるようなのだが。
ダムの湖面を眺めて『また村が一つ死んだ・・。』と私が呟くと、若者がどこかで聞いた事がある物語を語り始めた。
『最終戦争により巨大産業文明が滅んでから1000年。荒廃した大地に有害な毒素を発生させる森林が広がり始め、生き残った人類の生存を脅かしていた!!』
私は頷き、若者の言葉を引き継いだ。
『しかしその森林は、実は人類が汚した地球を浄化するため人工的に作られたものだった!そうとも知らず、森林を焼き払うために最終戦争で使用された巨チン兵という人工生体兵器を復活さようとするが、孵化させるのが早すぎて、腐ってやがる!ということになるのであろう・・。』
私は語り終わると、若者と一緒に神妙な顔でうんうんと頷きあった。
そういえば、ガン細胞は人体にたまった毒物を一か所に集めて浄化するためのものだという話を聞いた事がある。もしかして地球上の欲望という毒を集めて浄化するために人類は生まれたのだろうか?
いや、この世の正体がもしかしたら『欲望』そのものなのかもしれない。
何かをしたいという欲望からこの世は生まれ、生物は進化し続けているのかもしれない。その果てに生み出されてしまったのが、地球最強の欲望を持つ生き物人間なのだとしたら、何と哀れな生き物なのか・・。
私たちは八丁峠のトンネルを抜けて景色を眺めているのだが、2人の心には同じ思いが去来していた。
あれー・・あんま景色良くねえ!!
つーか、もう宿でゴロゴロしてえ!!
私たちは自転車で坂道を上るという事に飽きたので、山を下って行った。
まあ、私の言う『飽きる』とは満足するという意味なので、欲望が満たされたと言った方が正しいのかもしれないけどね。
人間の持つ無限の欲望を追い求めても仕方ない。
出来れば早く満たされた方が良い。
秩父市内の民宿で、さっそく私はゴロ寝しながら自分のたるんだ腹をつまんだりして楽しみ始め、若者はエロアニメを観賞して喜んでいる。
私は大勢で一緒に何かに興ずるでもなく、ただ仲のいい奴と一緒に何もしないでいるだけで幸せなのだ。
翌朝。
『兄貴~!だからその格好はやめてくださいよ~!
一緒にいて恥ずかしいっすよ~(泣)』
私たちは西武秩父の駅前で愛機を分解してリンコー袋に突っ込んでいるのだが、若者は私の格好がお気に召さない様子であった。
若者よ・・今すぐ分かってくれとは言わん。だが、お前も人生経験を積めば分かるはずさ。人間は見た目じゃねえ、中身なのだ。
思いっきりダサいTシャツを着るという、この男気溢れる俺の姿を見て、雲を突きぬけ、空高くそびえたつ山脈の鋭鋒のような、内に秘めたる気高いソウルを感じてくれ・・。
だが、その私の姿は完璧に、中身も外見も徹底的に終わって、とっとと死ねばいいクソ老害であった。
【最終章】I'm proud!の巻
8月14日
この日はずっと鈍行列車に揺られながら、ずしーんと気が滅入るエロ本を読んでいただけなので、特に記述することもないのだが・・。
お前、実はムフフなお店に入り浸っていたんじゃねえのか?という疑惑を払しょくするためにサラッと記しておこうと思う。
釧路の超豪華エロマンガ喫茶で一泊した私は、釧路から滝川まで7時間くらい走り続ける鈍行列車に乗り込んだ。
気が滅入る事ばかり書かれたエロ本を読んでうんざりし、ぐったりして車窓に眼を転じれば、こちらを飲み込まんばかりの雄大な北海道の景色が過ぎさり、まるで私たちは人類未踏の地を勇敢に突き進む探検隊のようだ。
行くぜ野郎ども!とばかりに列車が威勢よく汽笛をあげる。
私はその勇ましい雄たけびを聞いてニンマリし、またエロ本に眼を落して、これから終焉に向かう自分の運命にウンザリする。
これが私にとっては実に幸福な時間であった。
ウム。変態だな俺は。
小樽で下車すると、次の列車まで1時間ほどあるので、急いでペダルが折れたままの愛機に乗って散策に出かける。
まあ、運河をサラッと見てくるくらいなのだが、私はこの程度で十分なのだ。
それにしても、隣国の人の観光客があまりに多いのが気になる。
日本では『隣国は反日で日本を侵略しようと虎視眈眈と狙っている』と言われているのだが、嫌いな国にわざわざ観光しに来るのだろうか?
大嫌いな日本の製品を爆買いとかして、日本の経済を潤したりするのか?
あの日本が大ピンチだった3.11の時に救援部隊や義捐金を送ったりしてくるのか?
今度は余市で下車すると、雨上がりの濡れた路面が夕暮れ時の淡い光を反射して清々しい。
私は、公共放送局なんだか政府ご用達放送局なんだか、良く分からんテレビ局の朝ドラマで話題になったウイスキーの工場をチラ見し、そろそろ熟成してきた自分のクサイ匂いを嗅いで嬉しそうな顔をした。
建物の上からスペースシャトルが飛び立とうとしている、変な日帰り温泉の二階でディナーを楽しんでいると、私の親愛なる総理大臣がテレビの画面に登場し、ますますご飯が進むのであった。
どうやら、戦後70年の談話についての発表をしているようなのだが、言っている事と、これからやろうとしている事が矛盾している点がある。
この人の言う『積極的平和』とは『積極的戦争・環境破壊』である。
大体、狭い国土に原発をずらっと並べて弱点だらけの日本は、世界一ケンカが弱い国である。
この前、私の大好きな総理が口走ったように『集団的自衛権で宗主国様と一緒に隣国をやっつける!!』なんて言ってたら本当に戦争になり、ミサイルでもぶち込まれたら最後。
日本はもう、誰も住む事の出来ない死の大地になる。
そもそも、宗主国様と隣国はお互い経済的にも依存し、国旗を交換して軍事演習をするほどの仲良しこよしなのだ。
宗主国様は隣国と仲良くしていたい。
戦争などしたくないのだ。
本当に日本を守りたいのであれば、宗主国様と隣国と日本で仲良く同盟を組んだ方がより安全だと思うのだが。
・・おっと!それは出来ないんだったな!!日本は宗主国様の植民地だし!!隣国との脅威を煽って、通常より高い値段で宗主国様が作った武器を買ってやらなきゃならないし!!
日本人は宗主国様によって、日本人としての尊厳も誇りも徹底的にぶち壊されているんだってこと、すっかり忘れていたわ!!
だから隣国と仲良くしようとすると、宗主国様の圧力で潰されるし、逆らうと怒られるからヘーコラする奴や、自分が売国行為に加担しているという事も自覚せず、強い側について虎の威を借り、意味もなく威張りたいバカが出てくるのだな。
宗主国様は根拠もなく他国を攻撃し、何の罪もない大勢の市民を虐殺してきた・・日本人だってどれだけ殺されたと思ってるんだ・・他国に自分でテロ組織を作っておきながら、それを倒すためと言って戦争を仕掛ける。これに加担するという事は、日本自体が全世界の脅威として見なされることになるだろう。
日本人として大切なモノとは何か利益とは何かと考もせず、ただ権力のある側についてどうするのだろう。
集団的自衛権は日本を守るためじゃなく、ただの売国行為なのだ。
本当の目的は、日本を守るための自衛隊を、宗主国様の利権を守るために、よその国でドンパチに加担させられてしまうことだ。
つまり戦争は巨額のお金がかかるので、日本にその肩代わりをさせたいだけなのだ。宗主国様のために日本人の命を差し出せと言っているのだ。
本当の日本人ならこんなことは絶対に許せんと思うのだが?
そもそも集団的自衛権とは他国を武力で守るという事なので、これで日本を守るという根拠がないし、日本が攻撃を受けて助けを求めても宗主国様はそれを断る事が可能なのだというのだから、まるであてにならない。
まあ、ただの占領軍なのだから仕方ないか。
また集団的自衛権にかかる膨大な費用はどこから出てくるのだ?
このままだと超増税で私たちの生活は破たんするぞ。
というか、まず日本は『敵国条項』により、国連から敵だとされているため、集団的自衛権を行使すると連合国から再侵略の可能性ありと判断され、先制攻撃をされてしまう可能性がある。日本に攻撃したくてウズウズしている国があるとしたら、まさに思うつぼではないのか。
『隣国の脅威』などに惑わされていると、いつまでも日本は本当の脅威にさらされ続ける。・・もしかしてわざと日本を焦土にして世界中の原発の核のゴミ捨て場にしちゃおうとか目論んでんじゃねえのか?
戦争法案など、何の利益にもならない日本を滅亡させるための愚かな法案なのだ。
私はディナーを美味しく平らげ、何故だかエロ漫画雑誌の裏表紙に載ってるような、筋トレマシーンがでんっと置いてあるのに笑った。
やたらと身体を鍛えたがる人というのも、ワケが分からんな。
まあ、よほど自分が大好きなのだろうが、それも大切だけどね。
私は温泉に入ってもう臭くない身体の匂いを残念そうに嗅いで、長万部行きの最終列車に乗り込んだ。
8月15日
『おはようございます。このベンチ、ゴツゴツしてて痛いっすよね!!』
隣のベンチで寝ていたおっさんと嬉しそうな顔で挨拶をする、実に爽やかな朝であった。
そもそも旅人が寝るためのベンチではないので痛くて当たり前だが、それがまたイイのだ。私とおっさんはそれぞれ「痛てて・・」と身体をさすりながら笑っていた。
私は函館行きの始発列車に乗り込む。今回の旅も終盤である。
私は列車の中で、エロ本のページをめくる手を休めて回想している。
・・それにしても景色は見れないわ、雨には降られるわ、愛機のペダルは折れるわ・・面白くもなんともない旅であったな。
本当に俺は何をやっているんだろうと思うと情けなくなってきた。
自転車で走りまわったり、鉄道に乗るなんて何の意味もない愚かな行為だし、気が滅入るエロ本なんか読んで、知識だけあったって何の意味もない。
函館に到着し、私は駅前の市場にある食堂でカニいくら丼と鮭のハラス定食を食っている。確かにとてつもなく美味いのだが、美味いと思えば思うほど、虚しかった。
これも、もう美味しく食べる事が出来無くなるかもしれないんだなぁ・・。
私は青森へ向かう列車に乗って、北海道を後にする。
だが、不思議と少しでもこの地に留まりたいという想いはない。
青森にやってきた私は、いつものようにバカ姉妹と居酒屋で飲んでいた。
私が運ばれてきたチーズのおつまみを箸でつまんで感慨に浸っていると、2人はそれを不思議そうに見ている。
『このチーズはなぁ・・さぶいさぶい冷蔵庫の中で働いている人たちが徹夜して、家畜以下の扱いを受けてもめげずに全国に送り届けて居るんだぞ!!有難く食いやがれ。さあ、今この瞬間も冷蔵庫の中で働かされてるゴイムたちに敬礼ッッ!!』
私は目に涙を浮かべ、かつて働いていたブラック企業の仲間たちを思っていると見せかけていたが、実はあくびで出た涙であった。
滅多に会えない友達との宴も終わり、飲み代を払おうとすると断固としてそれを認めない。
『ここはおらの町だ!旅人にはお金は出させん!!どうしてもそうしたいなら、もうお前とは遊ばないぞ!!』
などと言いやがる。
チクショー・・今度こそ涙が出そうだぜ。あまりの嬉しさに、催眠術をかけて
俺の汗臭い胸毛がモサモサしたむさ苦しい胸の中でグリグリと抱きしめたいッッ!!
私が宿泊する超豪華ビジネスホテルまで送ってくれた後、さっきの居酒屋で働いているお友達の車に乗って、バカ姉妹は去って行く。
フッ・・元気でな。
私は車が見えなくなるまで、ただじっと見送っていた。
8月16日
私を乗せた始発の東北新幹線は3時間半で東京まで連れて帰ってくれた。
北海道にいるうちに、東京もすっかり暑さが引いてきたが、やっぱり北海道に比べたらまだまだ暑いな!!
せっかく新幹線が超高速で走って時間を作ってくれたことだし、この暑さに慣れるため、ちょろっと走ってくるか!!
私は今度はピンク色の愛機に飛び乗り、千葉街道をのんびりと走って行く。
ピンク色のロードレーサーが市原の某所に辿り着いた。
ここで戦争法案に反対する集会が行われると言うのでやってきたのだが、どこなのか分からず探し回っていると、ようやく見つけた。
おばちゃんやおっさんがシュプレヒコールの練習をしており、ガキんちょがめんどくさそーに横断幕を持っているのが何だか微笑ましい。
だよな?ワケ分かんねーよな?
この大人たちは何を頑張ってるんだって感じだろ?
・・俺もだよ(笑)
だけどね、私は何だか分かってきたような気がするんだ。
人として守るべきものとは何か。
誇るべきものとは何か。
私たち人間は、とにかく性悪ですぐ悪い方向に流れてしまうものなのだ。
だから、そうならないように約束事を決める事にした。
憲法や法律とは人の世が悪くなりませんようにという『願い』なのだ。
我が国は武力による解決は愚かな行為なのだと学び、もう二度と戦争はしないと誓った。
じゃあ、憲法9条で日本だけが平和になっても他の国はどうでもいいのかって?私はそうは思わない。
だが、なぜ紛争の解決策が武力じゃなきゃならないのだ?
諍いは暴力で解決しろとガッコーで教わったか?
強いものに媚びへつらってヘコヘコと言いなりになれと教わったか?
日本はそんなに程度の低い国なのか?
日本人はそんなに愚かで危険な民族なのか?
日本が大嫌いな韓国と北朝鮮だって、ちょっとまえに衝突しそうだったが、話し合いで解決したぞ。
平和憲法が宗主国様に押し付けられたものだというのであれば、逆に宗主国様に押し付け返してやればいい。それどころか、全世界に向けて輸出してやれ。これが世界を平和にするための貢献ではないのか?
また、戦争法案に反対する理由はそれだけではない。
憲法を守らなくなった権力の暴走を止めなくては、私たち市民の命に危険が及ぶことになる。そもそも権力を見張るのが私たちの役目だったはず。
『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない』と日本国憲法第12条にもある通りなのだ。
私はこれからも、みんなが旅が楽しめる平和な世の中を守りたい。
だが、私はみんなが分かりあえるなんて思っていない。
現に無関心に現実逃避して自転車で走りまわることだけ夢中になる奴ばかりだしね。
身の回りに私と同じように物事を考える奴など一人もいないし。
もしかしたら、友達なんて1人も居なくなるかもしれないが、それでもくじけることなく声をあげ行動し続ける。私は常に1人でいい。旅はひとりがいい。
たとえ、今やっている事が無駄だとしても、未来に繋がればいい。
いつの日か、自分を誇れる変態男に・・旅人に・・。
デモ隊が勇ましい掛け声をあげながら道を行く。
空を見上げると浮かんでいるのは、まだ麗しい日本の夏の雲であった。
今回のエンディングテーマ!『I'm proud』
https://www.youtube.com/watch?v=c6DsGJRo4Kw
真っ白闇の知床旅情!の巻
8月13日
夜明け前の公園で超高機動豪華ペンション『気まぐれカラス』の閉館作業をしていると、音を立てて大粒の雨が降り注いできた。
ふぅ~・・危なかったぜ。雨のビンタ食らって起きるのだけはゴメンですわ。
私は雨に濡れるウトロの町を出発し、愛機に乗って知床峠へ続く坂道を登り始める。しだいに雨は止み、薄明るい朝の日差しが、すでに眼下に見えるウトロの町並みを照らし出していた。
フッ・・白夜は明けるってか。
私はご当地ソングである『知床旅情』を口ずさみながら、坂をゆっくりと上る。
知床の厳しく豊かな自然と共に生きる、人々の営みが目に浮かぶような、優しいメロディーの前奏から始まるこの曲は、私の頭がまだフサフサだった頃に流行った曲である。
一番は、夜明けの海を眺めながら、どうやらこの地から立ち去ってしまったらしい♀の面影を偲んでいるおっさんの姿が描かれ、二番は、おっさんがお酒の勢いを借りて勇気を振り絞り、♀を夜の海辺に連れ出し、ボクちゃんには何だか良く分からない事をやってしまったようだ。
そして、三番では『私を泣かさないでよ・・』と言いながら、♀がこの地を立ち去ってゆく場面が描かれている。
オイ・・おっさんとの間に一体何があったのだ?
もしかして二番の、夜の海辺で起こった何かが原因なのだろか・・?
私の美声に誘われたのか、エゾシカやキタキツネがぞろぞろと姿を現した。
・・いや、そんなわけないだろう。
私は自分が歌っているところを録画して聞いた事があるのだが、あまりに下手すぎて死ぬかと思った。だからこうして独りで歌っているのさ。
そもそも、私のようなクソ人間はむやみに大自然の中に立ち入るべきではなく、遠くから見守るものだ。
私のように自然は自転車で走りまわるただの遊び場だとしか思わず、それを守ろうなど1ミリも思わないうん○こカス野郎は、いるだけで周りの環境に悪影響を与えてしまう。
私は遠くから野生アニマルの写真を撮るだけで満足し、そそくさと先を行く。
どうせダメだろうと思っていたが、青空も見えてきて気分は上々であった。ペダル踏む足も心なしか軽くなり、どんより曇っていた私の胸の中が一気に晴れ渡った。
もしかしたら、峠の頂上では景色が見られるかも知れない・・。
・・・と思っていたら、どこからともなく雲が湧き起こり、辺り一面が真っ白な闇に閉ざされていく。
ああ・・羅臼岳が白い雲の向こうに消えてゆく。
何だか首がぐったりと垂れ、ペダルがずしりと重くなってきたような気がしたが、私の心の中も真っ白になって、ついに何とも思わなくなってしまった。
頂上にたどり着き、私は近くにいたおっさんに声をかけて『知床峠』と刻まれた石碑の所で写真を撮ってもらった。
『それにしても、何も見えませんね。来るのは初めてですか?』
私がそう尋ねるとおっさんは、実年齢よりもさらに老けこんで見えるような憔悴しきった顔で答えた。
『はい・・初めて来ましたが、何も見えませんね。』
それではお互い気をつけて良い旅を。と言って、私たちは別れた。
設置された地図から、本来はここから北方領土が見えるようである。
だが、日本は主権国家ではなくアメリカの植民地なので、北方領土を主張できるのかという疑問もある。
まず日本の憲法よりも上位として扱われている、日米地位協定によって、日本のどこにでも米軍基地を作って良いという事になっており、アメリカ軍の飛行機は自由に日本の空を飛びまわれるらしいので、ロシア側が北方領土を返還するとか、そんな自分たちにとって不利になるような事はしないだろうと思うのだった。
日本の未来は真っ白で何も見えない。
いよいよ権力が憲法を守らず暴走を始めたな。
私がこうして自由に旅が出来るのは、権力が憲法を守っているからにすぎないのだ。
児童ポルノ改正法だのマイナンバー制だの・・私たちの自由を奪うための法律を成立させつつ、私たち市民がどれだけ政治や社会に関心があるのか、考える事が出来るのか様子を見ているのだ。
最終的には、憲法から『基本的人権』を削除すること。
もうお前らを『人』として扱いません。『モノ』として扱うよ。
お前ら市民にはもう自由も権利もありませんよ。
一部の人がお金儲けをするために死ぬまでコキ使い、戦争に行かせたりして使い捨て以下の道具になってもらうよ・・そんな社会になる。
それでも自分だけ良ければいい。目先の楽しさばかり追い求める私のように、無関心に旅とか出ちゃうバカばかりなのだから、もう終わりだ。
まあ、終わりがあるから良いのかもしれないな。存続させることに意味など無いのだろう。私たちにはもう何もないのだから。
真っ白ならまだ綺麗でいいよ。
本当は真っ黒なのだから。
私は何も見えない景色を見てかぶりを振り、峠を下って行った。
下り坂の途中にある『熊の湯』という飛び出すほど熱い露天温泉に入り、羅臼の町までやってきた。
道の駅で休憩しようと中に入ると、すぐさまカニの売店のおばちゃんが転がるように私の所にやってきて、カニの試食を勧めてくれた。
だが、それが試食というには結構な量なのである。
『せっかくで申し訳ないけど、俺はここでカニを買う気はまったく無いよ。』
私が正直に言うと、おばちゃんはにこやかに笑ってこう言うのだった。
『え?別にいいよ。今度ここに来た時、今日の事を思いだしてカニを買ってくれればいいかな。それが私の作戦なんだよ!はっはっは!!』
私はこの言葉に心を撃ち抜かれてしまった。
おばちゃんルパンにとんでもないモノを盗まれてしまった。
『何だかもう少しカニが食べたくなってきた!おばちゃん、適当に見つくろってくれい・・!!』
私は出された美味しいカニを食いながら思った。
どこかの島国で行われる大運動会でキーワードになった『おもてなし』とは、何かと考えさせられるなぁ・・。目先の利益ばかり考えるから、バカ高いスタジアムが欲しくなったり、エンブレムのデザインをパクりたくなるんだろう。
私はカニを食い終わり、ごちそうさまと言い残してまた愛機を発進させた。
この愛機『みにべろりん姫』で北海道を走るのは、3回目だな。今回の旅で自転車パートはこれでお終いだから、もうちょっと頑張ってくれな。
麦わら帽子をぐっとかぶり、弟子屈を目指して走っていると、急に右のペダルかすっと軽くなり、空回りし、何かが地面に落っこちる音が聞こえた。
あろうことか、こんな最果ての地でペダルが折れたのだ。
ぎゃはははははは!!!
私は誰も通りかからない北海道の道の上でとりあえず大爆笑し、そして頭を抱えてうずくまった。
うおおおお!!
どうしよう!?
この「翼の折れたエンジェル」みたいな状況、どうしよう!?
それでも私は先を行く。こんなところで立ち止まっていても仕方ないのだから。
私はやってきた。
旅人の聖地と呼ばれている場所に。
ペダルは折れてしまったが、心は折れなかった。
牛さんがのんびりと草を食む草原を越え、どこまでもまっすぐな道を走ってきた。
クランクの根元にほんのちょこっとだけ残った部分に右足を乗せて、何とか走る事が出来るのだ。おかげでお気に入りの靴に穴があいてしまったが、足を守るという役割を果たしてくれたことを感謝する。
ここは日本中の旅人が集まる場所・・
中標津にある『開陽台』である。
私と同じように、この地を目指してやってきた自転車や嘔吐倍の旅人のマシンが並び、それはまるで、遥か遠くの地からやってきた渡り鳥の群れが大平原で羽を休めているかのようだった。
私はさっそく木製の階段を上り、さらにその上にある展望台に登ってみた。
360度のびやかに、波打つように広がる緑色の大地。
そしてその向こうにはどこまでも広がる青い海。
さらに向うをずっとずっと辿れば、いずれまたここに戻ってくる。
こうしていると分かってしまうのだ。この丸く美しい地球に人間は不要。
人間などいない方が地球は美しい。
しかし、私はこれからも生きていく!!
だから自然と寄り添って生きるために、どうすればいいのかと考え続ける。
私はもう「足る」という事を知り、必要以上に欲しがらないよ。
他人の思惑にはもう惑わされない。
楽しさばかり追求していると、その楽しさ自体が奪われてしまうのだ。
物事はもっと広い視野で見なくてはならないのだと、この北海道の大地は私に教えてくれるんだ・・。
・・とか壮大な想いに浸っていると腹が減ってきたので、下の階の軽食コーナーに向かった。
テーブルではちみつ入りのソフトを食っていると、ここに訪れた旅人の北海道への思いがたくさん詰まったメッセージカードが、たくさん貼りつけてあるのが目に付いた。
私はそれを見て、つい胸が熱くなってしまったよ。
旅人である私が守るべきものは、旅人みんなの夢を守ること・・。
旅ができる楽しいみんなの未来を守ること・・。
私はペダルが折れたままの愛機に乗って、まっすぐ続く道をひたすら走って行った。
もう私たちに出来る時間は限られている。
下らぬことばかりうつつを抜かしている時間はないのだ。
私は夕方頃、弟子屈にある摩周駅に到着した。
これからあとは、列車に揺られて帰るだけなのだ。
愛機よ、片方しかないペダルで頑張って走ってくれて、ありがとう。
私はリンコー袋に愛機をトランスフォームさせて仕舞った。
ホームで待つ私を、一両編成の列車が迎えに来る。
10年以上も前にママチャリで来た俺は、いつまたここに来るかどうかもわからない『気まぐれカラス』さ。
だけどな・・まったく、今回は白い雲の中に隠れやがって・・どっちが気まぐれなんだよ。
姿を見せたら俺がもう来なくなりそうだから、わざと隠れていたんだろ?
なあ・・そうなんだろう?
また来るよ・・今度こそ姿を見せてくれ、約束だぞ?
別れの時は来た。旅がらすは帰ってゆく。
それを知床の空から眺めながら、白いカモメが笑っているような気がした。
今回のエンディングテーマ『知床旅情』
私はしがない旅人でござんす!の巻
8月12日
『一晩お世話になった駅に敬礼ッッ!!』
私は広い待合室に自分ひとりしか居ない、無人駅の爽やかな朝を迎えて上機嫌であった。
この駅は夕方から朝にかけて無人になるという、いかにも北海道らしい駅で、『駅員がいない時間帯は、自由にホームに出て乗って行ってね♪』みたいな事が書かれた張り紙が実に微笑ましい。
なぜ私は便利な旭川で一泊せず、駅前にはバスターミナルと、少し離れたところにセイコーマートしかない、この田舎駅で野宿したのか?
それは旭川発の鈍行列車のほとんどが、この上川駅止まりであり、終点の網走まで行くには、早朝の上川駅発の始発列車に乗らない限り、到着が夜になってしまうからなのだ。
それにしても、これほど本数が少ないとは・・石北本線の存続が心配になる。これからも走り続けて欲しいものだが、この地に住んでいるわけではない、旅人である私の勝手な願望なのかも知れないな。
そもそも『旅人』って何かね?
スマホで意味を調べると、旅行をしている人とある。
つーことは、バスの団体旅行で押し寄せてくるおばはんやおっさんだって旅人だし、それにくっ付いてくるガキんちょも、みんな旅人なんだなぁ。
ひとりで孤独にさすらうのが<旅人らしい>なんて思いこむのは、何かエロ本とかの影響を受けているからなのだろう。
まあ、どんな『旅』が優れているも劣っているもないさ。
まったく人間って奴は、自分がやっている事は優れているだの、素晴らしいだの、正しいだのと思い込む変な生き物だよ。
『私にとっての旅』とは、単に非日常を楽しみ、面白くもなんともない現実から逃避するためのモノではなく、別の角度から日常を見つめ直すためのモノだと思う。
そして、大好きな旅が出来るのは、まず平和が保たれているという事、心を潤してくれる大自然があるからだ・・と私は気が付いた。
便利さ快適さばかり追求して地球に毒を垂れ流し、ゴミを捨てる日々。
これが日常で良いのだろうか。
目先の楽しさや即物的なモノにばかり価値を置いてはいけないのだ。
人として本当に誇るべきものとは何か?
守るべきものとは何か?
もしかしたら、永久に辿り着く事ができないかもしれないけど、その答えを探し続けていくものなのだと、旅は私に教えてくれているのだ。
朝6時16分発の鈍行列車は、ちょうどお昼頃に終点、網走に到着した。
次の列車まで時間があるので、2年前も訪れた『道の駅流氷街道網走』へ行ってみる事にした。
私は道の駅の、生簀の中で飼われているカニさんを見下ろしている。
海の中にいるときは野生生物。水族館にいるときは展示品・・
そして生簀にいるときは、もはやただの食べ物。
・・じゃあ、人間は?
もはや、大自然の中では生きられず、社会という生簀の中で飼われているだけの俺たち人間は・・?
カニさんは、これから自分たちが迎える運命を知ってか知らずか、生簀の中でのそのそと歩きまわっているだけであった。
また鈍行列車に乗り、今度は知床斜里駅で下車する。
愛機<みにべろりん姫>に乗って、私は直線的にのびる『知床国道』をひたすらまっすぐ走り、国道は途中で左にそれてしまうが、曲がらずにさらに道をまっすぐ行くと、上り坂の途中に『名もない展望台』がある。
私は展望台から感無量といった面持ちで、北海道の雄大すぎる景色を見渡している。
私が好きな鉄道・自転車旅行、エロ本・・そして変態。
この北海道旅行では、そのすべてが満たされてしまうのだな。
我ながら良き趣味を持ったなどと自画自賛する、愚かな俺。
そもそも趣味とは何か?
スマホで調べると、『仕事や職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。』とある。
趣味すなわち『楽しみ』なんて自己満足なので、やる・やらない・やめるも自由でしかもテキトーでいいはずなのだが・・
趣味が無い人はつまらない寂しい人なのだ。
だから他人の目を気にして趣味が無いと困る。
趣味を何とかして継続し、より熟達しなくてはならない。
・・とか言う人がいるのは、どういう事なのだろうか?
また、最近趣味をやってないから、そろそろ再開するとか、趣味が多すぎるからこれ以上増やしたくないとは何だ・・?
趣味を楽しむためにはルールやマナーが大切だと、やたらと声高に叫ぶ人もわけが分からない。
それでは今まで、他人に一切迷惑をかけずに生きて来たのか?
人間などみんな、生きているだけで迷惑のかけあいであり、多少の事は寛容の心で折り合いをつけるのだと、学んでいくものではないのか?
本当に好きで趣味をやっているのか?
他人に『俺はつまらない奴ではないぞ!楽しい奴なんだ!』とアピールするためじゃねえのか?
私は自慢じゃないが、鉄道は好きだが専門知識などサッパリだし、自転車だって好きだが、パーツだの車種だのライディングテクニックだの全然興味が無いので、『自転車談義』などに花が咲いちゃったら、つまんな過ぎて逃げ出すぞ。
もしかしたら、現代社会では自由に趣味を持つという事自体が、自由を奪っているのかもしれない。
『自由とは不自由』だという事か。何ともやるせない。
だとしたら、本当の意味での自由とは何か?
趣味など・・楽しみなど無くても何とも思わず、飯だけ食ってジッとしている。
・・それは出来ねえな!!
動く事を前提とした身体を持ち、考える事を前提とした脳を持つ人間には不可能のように思えるし、とりあえず今の私には絶対に無理である。
私は遥か27km先まで続くという直線道路を、坂道の上から眺めて思う。
・・でも、そうなったらすべてが楽になれるんだろうなぁ・・と。
私は知床半島名物、オシンコシンの滝を見物し、今日の野宿場所であるウトロへ愛機を走らせていると、静かな海に沈みゆく太陽が描く、銀色の道筋が出来ていた。
そんなに他人の眼ばかりを気にするなとは言っても、そうはいくまい。
他人と同調しようとするのは、身を守るための人間の本能なのだ。
しかし、同じく身を守るために同調してはいけないという事もあるのだ。
愛機を停めて、しばしその情景を眺めていると、一羽の海鳥が光り輝く海面のすれすれを羽ばたいて、沖の方へと消えてゆく。
それはまるで、誰の目も気にせず旅を続ける、自由奔放な旅人のようであった。
<つづく>
幻想の道北よさらば!の巻
8月11日
私は、まるでギリシャのパルテノン神殿のような白亜の支柱がずらりと並ぶ、ドーム状の建物の中で目を覚ます。
この建物はその昔、鉄道の駅から、樺太へ向かう連絡船の桟橋までを結ぶ、通路と防波堤の両方の役割を担っており、連絡船が無くなった現在でも、最北端の荒波と強風から人々を守り続けている・・
その名は稚内名物『北防波堤ドーム』である。
どうやら懸念していた竜巻は起こらなかったらしく、ずらりと並ぶテントからは旅人たちが立てるいびきが聞こえてくる。私はその平和な光景に思わず笑みを浮かべ、愛機<みにべろりん姫>に乗ってこっそりと出発した。
陰鬱とした灰色に沈んだオホーツク海に面した国道を走っていると、空には掃除機にたまったほこりのような雲がべったりと貼り付いており、今日は断固として晴れてやらねえぞ!!という、大自然の固い決意を感じる。
俺が来るとすぐこれだぜ。
青い空も海も、隠れちゃって・・まったく恥ずかしがり屋さんだなぁ・・
実に私の北海道旅行らしい天気である。雨が降ってないだけツイてるじゃないかと自分に言い聞かせ、途中から国道を外れて緩やかな坂を上って、宗谷丘陵へと向かって行った。
緑の草原にひとり座り込んで、一体どれくらい時が経っただろうか?
ついうっかり、なだらかな丘に美しい放牧地が広がっているのを想像してしまっていた。
しかし、私はもう加減に認めなくてはならないのかもしれない。
真っ白で景色なんぞどこにも無いのだという事を。
色即是空。空即是色。
そうさ。そもそも『景色なんぞどこにもない』のだ。幻想なのだ。
この世はすべて『無』なのであり、我々が見るもの感じるものすべては、ありもしないものを、あるのだと思いこむ単なるイリュージョンに過ぎない。
何でいつもこうなんだチクショーいい加減にしやがれ!とか思う必要もない。
これが通常なのだからこれが当たり前であり、もはや何とも思わない。
その後の事は多く語る必要もないだろう。
お土産屋さんが立ち並ぶ宗谷岬で『日本最北端の地』と書かれたモニュメントでとりあえず撮影をし、相変わらず鉛色をした寒々しい海を睥睨して立ち去るのみである。
振り返ると、青い空が雲間から覗き始め、さっきまで全然見えなかった宗谷丘陵がお目見えしていた。
試しにちょっと引き返してみると、みるみる雲が立ち込め始め、緑色をした丘が隠れてしまう。離れるとまた雲が割れて眩しい陽の光が丘を照らす。
ななななんと!これは!!?
私はもう振り返らない。
常に前を向いて歩き、明日の風を感じろ。
俺の人生はいつもそうだったじゃないか。
あばよ、日本最北の地。
私は麦わら帽子をグイッと力強くかぶり直し、稚内に戻ると鈍行列車に乗り込んで最北端の町を後にした。
無人駅、智恵文<ちえぶん>。
砂利を積み上げて均しただけのようなホームにひとり降り立つと、車掌車を改造した駅舎がポツンと置いてあった。
他の乗客たちが『何でこんな所で降りるのか』と言いたげな眼で私を見る。
さあね。それは俺をここに呼んだ旅の空にでも聞いてくれ・・。
私が麦わら帽子のつばを指で持ち上げ、みな達者でなと挨拶すると、旅の空からポツポツと雨が降ってきたではないか。
・・あれぇ?お呼びでは無かったようだ。
こんな所に俺をおいて行かないでくれと叫ぼうともすでに遅く、列車は汽笛を鳴らして去って行った。
何で私はこんな所で降りてしまったのだろう?
その場に崩れ落ちそうになるのを何とか堪え、ひまわり畑があると地図に記された場所へと向かった。
その場所は、広大な面積の畑が大きく波打つように広がる、ダイナミックな所であった。
えーと・・ところで、ひまわり畑とやらはどこにあるのだろうか?
その辺をウロチョロしていたら迷子になってしまってしまい、常人なら涙を浮かべているところだろうが、私は気合で名寄の町までやってきてしまった。
フフン・・結局、ひまわり畑など、この世に存在しなかったのさ。
かぶりを振りながら名寄の駅で愛機を畳んでいると、なかなか面白いモノを発見してしまった。
『名寄のひまわり開花情報』と書かれた案内板に、今現在ひまわりが咲いている場所が、観光客のみなさんに分かるよう懇切丁寧に説明されているではないか・・。
名寄のひまわりは、その年によって作付をする場所が異なるとかいう話を聞いたことがある。どうやら私は、ひまわりが咲いている場所だけを巧妙に避けて来てしまったようだ。
ひまわりは見たかったが、今の俺はこの案内板だけは見たくなかった!!
私を乗せた鈍行列車が終点の旭川に到着した。
次の列車まで時間があるので、また旭川ラーメンでも食うとするか・・。
幻想だった最北端の景色やひまわりと違って、ラーメンの美味さは現実だ。
私は愛機を走行形態にトランスフォームさせ、夜の煌びやかな旭川の街へ消えた。
<つづく>