秘湯!奥鬼怒、加仁湯温泉!!
奥鬼怒温泉郷、加仁湯温泉(かにゆおんせん)は東京からロードレーサーで200km、さらに一般車通行禁止の林道を4km行った栃木県の山奥にある、まさに秘湯の中の秘湯である。
だけど東京から、たかが200kmだろ?
まあ、このボクと愛機『クレイジィ・エンジェル』の力をもってすれば!
12時間くらいでたどり着けるんじゃねえの!?
往復約400km・・ちょっともの足りないが、楽しい旅になりそうだぜ。
だが、俺は思い知ることになるのだった。
自分がいかにちっぽけで、弱っちい存在であるのかということを。
俺が愛してやまない大自然は、いつも味方をしてくれるわけではない・・ということを。
東京を出発して13時間の刻が流れていた。とっくに加仁湯にたどり着き、混浴でおねいさんと戯れていなければならない頃だ。
だが俺は、未舗装のガタガタ道が続く林道にただ一人、立ち尽くしていた。
ロードレーサーではもう、この道を走っていくことが出来ないからだ。
もはや、日帰り入浴の利用時間までに到底間に合わないからだ。
何ということだ・・見たかった日光の紅葉がとっくに終わっていて、行きたかった温泉にも行くことが出来ないなんて・・。
いつまでもこうしている訳にもいかず、来た道を引き返して行った。
足取りが重く、踏みしめる砂利がぐさぐさと靴底に突き刺さるようだった。
俺は、去年やってきた「女夫淵温泉」の湯に浸かりながら、なぜこのような失敗につながったのか自問自答していた。
この温泉は混浴なので、おねいさんがすぐ近くでお湯に浸かっていた。
これはもう、奇跡だと言っても過言ではない。
だが・・俺は他のことで頭がいっぱいで、その肝心な事に気が向かない。
途中の休憩時間が長すぎたせい?
否っ!!う●こがスゲー産まれたがってたんだ!仕方ない!!
今年の日光の山は、地殻変動でいつもより1000mくらい高くなってた?
んなわけあるか!!日光の山は手強い。大自然を甘く見すぎていた!
くやしいが、俺は負かされたのだ。
行きたかった場所に行かず、おめおめと帰る・・それも嫌だっ!!
こうなったらやることはひとつだ!!
俺は決意して、温泉から上がった。
明日、加仁湯温泉にリベンジだっ!!
自走で帰る時間は無くなるが、そんなことはもう、どうでもいい!!
一旦、川俣温泉まで戻ると民宿を探し、一泊することにした。
そして翌朝・・。
一緒に温泉に入らんかね?
加仁湯へと続く林道を徘徊していたニホンザルたちは、俺の姿を見ると、ただならぬ妖気を感じたのか一目散に逃げて行った。
小鳥たちが仲間を眠りから覚ますようにさえずり、梢をせわしく飛び回って色づいた葉を揺らす。早朝の林道に人は俺一人しかいない。
何だか、この世界のすべてが美しく素晴らしいものに思えた。
林道を歩いて1時間半・・
加仁湯温泉に到着した。
山奥に場違いのような、鉄筋4階建ての近代的な建物が2棟・・あまり秘湯って感じではないが。
入浴料500円を支払い、硫黄泉の香りが漂う、露天風呂に続く廊下をずんずん歩いて行った。
おっと、いけねぇ・・!!
わざとらしく赤い暖簾がかかっている♀脱衣所へ吸い込まれそうになり、仕方なさそうに♂更衣室に入って、産まれたばかりの姿になった。
やっと来たか・・この瞬間が。
俺は真っ白に光り輝く世界へと飛び立っていった。
大自然の中に白い湯気を立ち上らせ、湯の花で白濁したなめらかな温泉では、すでに数人の楽しそうな声が聞こえる。
はいチーズ!!
陽気なおっさんとおばはんたちが、みんなで記念撮影していたので、俺もそれに混ざった。
秘境の温泉って、開放的でいいなぁ・・赤の他人という垣根を越えて、自然と人との共存、みんな仲間なんだっていう一体感を感じるぜ。
お金の力による豊かさって・・社会的な地位って、何なんだろう・・
俺はこうして旅ができる人生があれば、他に何もいらなかった。
温泉を出発すると、また林道を歩いて愛機を置いてきた女夫淵温泉に戻っていった。
川治・鬼怒川温泉へと抜ける道の途中に、熊肉の串焼きが食べられるお店があった。
熊肉はとてもおいしかった。
くせもなく、牛肉よりうまいかもしれない。
熊のように強くなれることを願いつつ、愛機は深遠なる山間の下り坂を一気に駆け下る。
ミルクが溶け込んだような、淡いグリーンの湖水を抱いた川俣湖にかかる橋を渡り、山腹から白い糸を垂らすような滝を眺め、自然の強大な力が岩を砕き、山を裂いて深く落ちくぼんだ渓谷を通り過ぎる。
トンネルをいくつも抜けると下り坂は川治温泉をかすめて、さらに鬼怒川温泉まで続いていた。
PM2:00
鬼怒川温泉駅前に到着した、ピンク色のロードレーサーは、主の手によって大事にゴミ袋に包まれた。
だがもちろん、捨てるわけじゃない。
俺は愛機を担ぎあげると、故郷の東京下町まで一直線に連れて帰ってくれる電車・・
東武特急スペーシア「きぬ」に乗り込んだ。
きっと来年もやってくるだろう。
極彩色の紅葉に彩られ、一年でもっとも光り輝いている日光や奥鬼怒の山々を思い描く。
大自然の中、風と渾然一体となって駆け巡る姿を、俺は東京へ帰る列車の中で夢見ていた。