また、久方ぶりの投稿となりました。

思ったことを文脈関係一切なしに

一気に書こうと思う。



前回の投稿からも含め、

とても沢山の
とても色んなことがありました。


そのどれもは、
かけがえのない経験、体験、
そしてそれらは


これからのわたしの人生において、
貴重な財産と相成ります。


その全てに
心より感謝しています。




わたしにとっての自分の人生とは。


「まず自分をたいせつにする事」を
超越したところにあります。


自己犠牲ではなく、
喜びから、


わたしにしか出来ないことを

相手のためにして差し上げられること。

相手の喜びは自分の喜びであること。




なので、
相手の不快になることは
いたしません。



なぜならば、

互いのエネルギーの流れが

循環しないからです。

流れはひとそれぞれですが。




先月、

あるきっかけで思い出した祝詞、


「六根清浄の大祓」を

また今回、思い出しました。




極て汚きも滞りなければ穢きはあらじ

( きわめてきたなきも 

たまりなければきたなきはあらじ)


内外の玉垣清浄と申す

(うちとのたまがき きよくきよしともうす)




どんなに汚ないと思っていても、それらは

滞りがなければ穢れは無い。と捉えています。




自分の負の部分を

内から外へ明るみに出すことの重要性。

アウトプット等も然りです。




どれだけ、

自分をさらけ出せるだろう。




どれだけ、真剣に

自分と正面きって

向き合えるだろう。




わたしはこれまで

本気で自分と向き合って来た。

痛みを伴いながらも耐えて

乗り越えて来た。




そう、言いきれる自分がいる。

自信を持って言える。




今夜は何だか強風だ。

何だかこわいくらいだ。




今を生きるわたしはきっと

その恐怖をまた乗り越える。




なぜか。

不安やおそれを創り出す

その奥の大元を

知る事、感じる事が出来たから。




しかしながら、

それは奥が深い。



なので、

Ce n’est pas facile.

簡単ではない。

とは言いきらずにいようと思う。




これから、純粋に

より知ることになるだろう。




そして

わたしは誰とも戦わない。

ただ、ただ、ひたすら、

自分と向き合うだけなのです。




なので、軽い。

戦わないから

自分と向き合うからこそ、

心身共に軽やかなのです。




自分の人生とは。

わたしにとって

そう言うこと。









数年間いつも寄り添ってくれた

この桜の木に、ありがとう。って

ご挨拶して来た。




Surround yourself with people 

whose eyes light up 

when they see you coming.


あなたが近づくと
目を輝かせて喜んでくれるような
人々と過ごすこと




Merci,


C’est moi!


Kyo