昨日の京都は少し寒かった。
それでも寒さが続く中の寒さとはかなり違い、
耐えられる、と云うより気にならない程度。
嵯峨釈迦堂事、清凉寺の梅も、もうそろそろと思い一週間前。
3時前だったの下校の小学生、
保育園迎いの若い主婦が西門の辺りで混雑中( ´艸`)
西門を潜って直ぐに嵯峨薬師寺の山門がある。
面白い書体の扁額には日月門、
上醍醐寺の入り口と同じ名前。
東山の珍皇寺に小野篁が冥府に通った井戸があるが、
かつてこの近くに嵯峨六道町に福生寺という寺があり、
小野篁が冥界から娑婆に戻る際には、寺の井戸を使っていたとされる。
東山の珍皇寺の六道の辻を「死の六道」と称し、
この地は「生(しょう)の六道」と呼ばれていた。
本堂横の南天が紅梅に負けじと赤く染まっている。
阿弥陀堂前の紅梅は思ったより綻んではおらず、
背後の十月桜の方が目を引いた。
おそらく今日辺りが紅白が揃っているかもしれない。
多宝塔前にも紅白が揃うが、
ここでも一足早く紅梅が綻び出していた。
馬酔木も、
多宝塔の背後には光源氏のモデルとされる、
源融公の墓所があるのをご存じだろうか?
現在、NHKの大河ドラマ「光る君へ」が放映されていて、
『源氏物語』を書き上げた紫式部を主人公に描かれているらしい。
源融公は晩年に写経や造仏を盛んに行っていて、
業なかばで亡くなってしまうのだが、
その子供たちによって建てられたのが「棲霞寺」と言われている。
987年に奝然は宋より請来した釈迦如来像などを棲霞寺に安置し、
宋の五台山清凉寺に倣った寺院の建立を目指したと伝わる。
残念ながらその思いは果たせないまま、
弟子たちによって「棲霞寺」の一郭に釈迦堂として発足したのが、
清凉寺(嵯峨釈迦堂)の始まりとされている。
かつて「棲霞寺」にあったという国宝の阿弥陀三尊像は現在、
清凉寺の霊宝館に保存され安置されていて、
源融公が自分の顔を基に彫らせたと云われている。
霊宝館は毎年春季(4月~5月)、秋季(10月~11月)に特別公開されるので、
源氏物語のファンの方は、
間近で拝める阿弥陀三尊像に「光る君へ」の思いを馳せるのも。。。