1971年発売「マリリン・モンロー・ノーリターン」の歌詞は衝撃的だ。
出だしから「この世はもうじき おしまいだ・・・
中間フレーズで「この世はもうじき、おしまいだ 桜ちるちる、
菊もちる よくばり婆ァは、長生きで やさしいむすめは、早死にだ」
これを歌ったお方は小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家の野坂昭如。
すでに2015年12月9日(85歳没)で亡くなられておられ、
野坂昭如の当時の破天荒な行動は語るに尽くせないものがあるが、
今回の主役はマリリン・モンローなので割愛。

マリリン・モンローは世界中で最も認知されているセックスシンボルだ。
1962年8月5日に亡くなっているので、私が11歳の時だ。
映画好きの両親だったので、小学低学年から見る機会があったが、
親に同伴なので、この手の映画に触れる機会は無かった。
又、テレビ放映でも観る機会があったものの、
セクシーだが少しおバカなマリリン・モンローには
日本的な変形が施されていて、声は幼稚で生の声より甲高い。
リアルタイムに吹き替え無しに映画を観る事が出来なかった事もあり、
野坂昭如がモンロー愛を声高々に切々と歌うのが正直理解できなかった。

マリリン・モンローは映画中で何曲も歌を披露している。
その声はあの甘いベビーフェイスから想像できないほど低音だ。

二十歳前後から頻繁に映画を観る機会があったが、
主に前衛、カルト映画にしか興味が無かったので、
マリリン・モンローはやはり積極的に観る事は無かった。
しかし40年ほど前の30歳前後の時、あの不思議な声に魅力を感じて
マリリン・モンローの劇中歌のLPアルバムを購入して、
密かに愛聴盤にして大事にしていた。
LPレコードは幾たびかの引っ越しで処分、紛失で無くしてしまって、
一年ほど前に似たような内容のCDを手に入れて懐かしく聴いていた。
アメリカには歌の上手い女性ジャズボーカリストは沢山いる。
ビリー・ホリディには敵わないものの、
それと同等に感ずるものが彼女の声には潜んでいると、独り思っている。


話を映画に戻し、
コロナ禍で出歩けない時にマリリン・モンローの代表作品を数本観た。
女優としては決して高い評価を得ていないが、
スクリーンで登場するマリリン・モンローはダイヤモンドの様に輝いている。
映画俳優として脚光を浴びた活動期間は10年足らず意外と短いが、
これ程語りつくされる女優もいないのも事実。代表作も10本程度。
去年の末にかけて見落としている作品、
ちょい役でもいいから出演している映画を物色して、
今私の環境で観る事のできるマリリン・モンローの映画を一通り見終えた。


マリリン・モンローの映画の登場シーンは劇的だ。
数ある中から印象に残った場面を紹介。

舞台は真夏の大都会ニューヨーク。
避暑地に家族を送り出した結婚7年目の中年男が、
階上に間借りするブロンドの髪の美女に惹かれていく様をコミカルに描いている。
マリリン・モンローが地下鉄の通気口からの風でめくれる、
白いスカートを抑えるシーンは映画史に残る有名なシーン。



1955年作映画「七年目の浮気」はこの内容を知らなくても、
子供心に世の男性は七年目にはこの試練が待ち受けると思い込み、
地下鉄通気口からの風でめくれる白いスカートの光景が浸透していた。

妄想に取りつかれた中年男が部屋に招き入れるチャンスが訪れ、
当時の若い女性がその気になる音楽を用意する。
それがラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番。
ところがおバカな彼女はそれよりも
戯れに弾く「チョップ・スティックス」で盛り上がる。
日本で言う「猫踏んじゃった」。

 




さてこれが問題の場面。

 

 

 

 

 




こんな場所が地元尼崎にあったら、
おそらくすっ飛んで行っただろう( ´艸`)。

 

 

 

 

 




映画を観ていてストーリーとは別に当時に環境を知る事も多い。
1955年当時のマンハッタンでは少し裕福な家庭ではクーラーが持てたが、
間借りの彼女の部屋にはクーラーらが付いていなかった。
そこで彼女はこの暑さを凌ぐために「下着を冷蔵庫で冷やしている」と伝える。
冴えない中年男性の妄想を一層掻き立てる。
この監督は名匠ビリー・ワイルダーだが、
この言葉はマリリン・モンローが咄嗟に出てきたアドリブではないかと思う。
彼女は高校中退の高等教育を受けた事は無いが、
アンディ・ウォーホール並みに印象的な名言を残している。

最も有名なのが「夜は何を身に着けて寝ているのか」と質問され

「シャネルの5番よ」。
ニューヨーク・ヤンキースの元スター選手ジョー・ディマジオと結婚して
日本に来日した時同じような質問され、
当然日本の記者たちは「シャネルの5番よ」を期待していたが、
「ラジオを付けている」と即座に機転の利くアドリブで返す賢さも持ち備えていた。

その名言にもかなり過激で乱暴な表現はあるが、
ベビーフェイスの下に隠れた彼女のしたたかさと孤独が垣間見られる。

●十四歳のときから私は女たちを苛立たせる才能をもっていたの。

●たとえ百人の専門家が、「あなたには才能がない」と言ったとしても、
その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。

●「男社会」なんて気にしない。ただし女でいられるならね。

●笑顔は女の子ができる最高のメイクよ。

●私はこれまでの人生でずっと「私は愛されない人間なんだ」と思ってきたの。
でも私の人生にはそれよりもっと悪いことがあったと、はじめて気がついたの。
私自身、心から人を愛そうとしなかったのよ。

●私は女だし、女であることを楽しんでるわ。

●男の子は女の子のことをまるで本かのように思っているの。
表紙が目立たなかったら、中身を読もうともしないの。

●ハリウッドはキスには10万円を払ってくれるけど、
人間性には1銭も払ってくれないところです。

●もし私がすべてのルールを守ってたら、
成功なんてしていなかったでしょうね。

●一人になれた時、自分をとりもどせるの。

●36歳だって、12歳から17歳ぐらいの男の子が口笛を吹いてくれる内は、
まだまだすてたものじゃないわ。

●誰かと一緒に不幸になるよりも、一人きりで不幸になるほうがいいわ。

●頭のいい女の子は、キスはするけど愛さない。
耳を傾けるけど信じない。そして捨てられる前に捨てる。




大阪人の専売特許として、手で拳銃の真似して、
口でバーンと発して、相手が打たれたポーズをする。
これは大阪人が考えたと思っていたら、
ニューヨークマンハッタンが発祥の地のようだ( ´艸`)。



彼女はセクシーコメディ系の映画より、
演技力が問われるシリアス系の映画に出演したいと零していた。
1954年「帰らざる河」の登場は西部開拓時代の安酒場のホール。








下品な色目にこのやらしいコスチュームが似合う女優はやはり彼女だけ。

野坂の「マリリン・モンロー・ノーリターン」はおそらくここから。

 

 

 

 


2分位の短いシーンだが歌いながら表情が刻々と変わる。

 

 

 

 

 

 



これはまだちょい役時代の1952作『モンキー・ビジネス』






同時期の「結婚協奏曲」


マリリン・モンローの初々しい初期の姿が楽しめるラブコメディ。
この時期の扱いは似たり寄ったりだが、
「ノックは無用」で主演でサイコパス役は貴重な演技だ。




これは亡くなる二年前の『恋をしましょう』

しょっぱなに大胆に「私の名はロリータ」。
少女性愛者、少女に翻弄される中年男のナボコフの小説「ロリータ」は、
今でこそロリータファッションなどで公に認知されているが、
この当時ポルノ小説として扱いを受けていて、ロリータ=少女性愛者が成り立ち、
映画界の中にあっても奇異な目に移ったはずだが、さり気なく取り入られている。
やはり当時アメリカの片田舎では少女の性虐待は表面化されていないが、
潜在的に問題を抱えていて、神経質の筈なのに。
マリリン・モンロー自身も幼い頃に孤児院、友人・親戚の家をたらい回しにされ、
その間に性的虐待を受けている。


プレイボーイとして有名な億万長者のクレマン(イヴ・モンタン)は、
自分を皮肉った芝居が上演されると知り、リハーサルを覗きに行く。
舞台で歌い踊るアマンダ(マリリン・モンロー)に一目惚れしたクレマンは、
彼女に近づくための偽名を使い......

フランスの名優イヴ・モンタンがマリリン・モンロー相手に
滑稽な鶏の鳴き声を真似するシーンは腹を抱えて笑ってしまう。

 

 

 

 




マリリン・モンローは出演者、監督など、
彼女に言い寄って来る男性と深い関係なる、尻軽女?
当然イヴ・モンタンも恋仲になり、
俳優マーロン・ブランドや劇作家アーサー・ミラー
モンローはディマジオの友人フランク・シナトラとも、
認める男性が彼女を心底愛し求めれば素直に応える、聖娼婦?




極めつけは当時の大統領ジョン・F・ケネディを祝福した歌。
弟のロバート・ケネディとも性的関係を持ったとされている。


この時彼女はラインストーンで身体のラインが強調された
ベージュ色のドレスを身に着けてステージに登場した為、
見た人々の多くが裸で登場したと見間違えた。
このとき大統領夫人ジャクリーン・ケネディは、
式典にモンローが来ると知り欠席している。

 


この時の映像はどの映画よりリアルで、映画を超えている。
「ミスタープレジデント」を艶めかしく歌い上げる様子は
どう見ても酩酊しているか、薬をやっているようにしか見えない。


結局マリリン・モンローはこの二ケ月後に不審な死を遂げる。
政治家として致命傷になると思われ、
これがよく言われるケネディ家によるの暗殺説。
ところがジョン・F・ケネディも一年後1963年11月22日、
テキサス州ダラスで遊説のため市内をパレード中に暗殺される。

この主犯格は「本能寺の変」より錯綜していて、

+マフィア壊滅作戦に反発したマフィア主犯説

+ベトナム戦争からの撤退をめぐってCIA説

+軍産複合体の意を受けた政府主犯説

そして、イスラエルの核開発に対し強硬姿勢を取ったからと、
未だに真相が明かされず藪の中。


彼女が自身でも最も納得いけた作品は『ナイアガラ』ではないだろうか?

私もこの作品が大好きだ。

 

 

 

 





ベットでタバコを吸いながら、けだるく登場!










マリリン・モンロー作品中でも唯一のスリラー映画である。
ナイアガラの滝を臨むロッジに夫と宿泊している妻のローズ。
問題を抱えている夫婦。







眩いショッキングピンクのドレス纏い、
手にはお気に入りのレコード"Kiss"。






そしてレコードに合わして夫の嫌いな曲を口ずさむ。


この時初めてモンローウォークを披露!

 

 

 

 

 


嫉妬深い夫を若い情夫にナイアガラに落して暗殺。
しかし死んだのは若い情夫で夫は妻に殺意を抱く。

この事を知ったローズは気を失い病院に搬送される。
この数分の魘され悶えるマリリン・モンローの演技は圧巻なので連写!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


本名:ノーマ・ジーン、1926年6月1日誕生1962年8月5日没(36歳没)
マリリン・モンローの死に対して友人で作家のトルーマン・カポーティは、
「人生は何とつまらないモノなんだ。」と嘆いていた。

 

 

 




野坂昭如の「マリリン・モンロー・ノーリターン」の思いは、
数々の作品を観てようやく理解できたが、
亡くなった事を嘆くのではなく、これの方が良かった気もする。生きていてもマリリン・モンローが愛し愛せる男性は、
おそらく登場する事は無かったであろう。
又、そんな姿を正直見たくないないのも、心の底にある。

マリリン・モンローが生きた様は陳腐な都市伝説では語れない、
すでに二十世紀の神話で私のとっては永遠のミューズである。
イノセント・ガールは永遠の微睡の中で時折目を開けて微笑み、
また眠り続けて、時折、映像と音の世界で生き続けて欲しい