コロナ禍前にオーバーツーリズムが京都で問題視され、
改善策が検討され始めたが、結局コロナ禍でむやむやになり、
コロナ規制が解除となり、コロナ禍前より観光客が戻ってきて、
混雑した市バスで老人が骨折するトラブル等で、
市民生活に深刻な問題が再燃している。


例年、紅葉期はなるだけ一度も行った事無い所を物色している。
今回もなんとか数か所行く事が出来そうだ。

 


その一つ、織田信長の宿所であった上京区の妙覺寺。
その他、13代将軍足利義輝、伊達政宗など様々な人物の宿所になっており、
千利休による茶会も開かれている。中でも織田信長の一番の定宿で、
信長が京都に来た20数回のうち18回の宿泊をここ妙覺寺でしており、
信長のイメージである本能寺には実は3回しか宿泊しておらず、
その3回目に本能寺の変が起こっている。
本能寺の変の際、妙覺寺には信長の長男信忠が宿泊していた。
天正11年(1583)に豊臣秀吉の洛中整理命により現在地へ移転。



春に有名なしだれ桜の大門は、
豊臣秀吉が天正18年(1590年)に建築した聚楽第の裏門を、
寛文3年(1663年)に移建した山門。






受付は庫裏の様な造りの方丈と呼んでいる建物。



天正元年(一五七三)十一月四日の上洛の際も
信長は妙覺寺に宿泊し同月二十三日に盛大な茶会を催し。
この折、武家の正式な料理である「本膳料理」という
武家のみが口にできる料理を出している。

今回の特別拝観では、初膳、二ノ膳、三ノ膳、引き物、菓子、
皿や器といった会席具も含めて再現し、特別公開していた。
豪華な献立に驚くが、菓子以外の四種の膳には全て汁物が付けられていて、
合計6種類の汁物、多くない?( ´艸`)。



今回はメインは本堂前の庭園「法姿園」。










本堂前の庭園に至るまでに大玄関の玄関広間の円窓。








覗き込むと箱庭のような小さな坪庭。



本堂の白壁に少し紅葉が映り込んでいる。











日蓮宗は禅宗の様な庭園に対する決まりは無く、
極めて素朴な楓の植え込みの自然庭園。

 

 

 

 

 

 






妙覺寺は室町時代、永和4年(1378)に四条大宮に創建。
文明15年(1483年)には足利義尚の命により二条衣棚に移転し、
戦国時代は妙顕寺と同様に大規模な敷地をもっていた。
国宝「洛中洛外図屏風」にもその広大な建物が描かれている。










最近の事かどうか分からないが、机に反射する庭園が人気の的らしい。
瑠璃光院は岩倉の実相院の黒漆し塗りの床に反射する「床モミジ」の影響で、
すっかりお馴染みとなった“机にリフレクションするモミジの絶景”











こちらは本来は客殿であったが、本尊を安置し本堂としている。











それ故に客人は春夏秋冬この光景を楽しんでいたかも知れない。












正面に唐門が設けられ、












約束事に囚われない伸び伸びとした庭園。

 

 

 

 

 

 

 





まだそんなにも知られていないのか、
拝観者はポツリポツリ、








それでも人の入らない光景は、



それなりに時間要した( ´艸`)。






南側はこの時完璧に紅葉、
今日辺りは北側も完璧となり、
紅萌ゆる絶景になっている事だろう。



ラストチャンスは日中、ライトアップ共々12月3日まで。