昨日の来迎院からの続き。

 


受付のお爺さんから10~15分と聞き一安心。











杉木立が如何にも清々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



足場は平坦では無いがスニーカーで十分、
軟弱な私でも行けそう。












ここから比叡山も行けるのだ。












もう少し掛かると思っていたがあっけなく着いてしまった。












手前に自然石が転がっている。







まるで礼拝石のように、

 



ならば座って観覧、拝聴する( ´艸`)。









天台宗の良忍上人はじめ、家寛、湛智など代々の声明法師は、
この滝に向かって声明の習礼をされたと言う。
初めは声明の声が滝の音に消されて聞こえず、
稽古を重ねるに従って滝の音と声明の声が和し、
ついには滝の音が消えて、声明の声のみが朗々と聞こえるようになったと言う。
※声明とはインドで始まった仏教音楽で、節をつけて唱えるお経の事。



又、源氏物語第三十九帖「夕霧」第六段、
落葉の宮から光源氏の子・夕霧宛てに送られた手紙の中の歌に、

「 朝夕に 泣く音を立つる 小野山は絶えぬ涙や 音無の滝 」




空也の滝の様な厳しさはもちろん無かったが、
悲しみより何とも言えない心地よいせせらぎの音色だった。











この道のりは「響の道」とも言われているらしいが、
急に色彩が変わり、変化に富むオモシロイ散策路の模様。

 

 

 

 

 






先ほど渡った一本橋、この枯れた川は律川ではないだろう?











この沢山のベンチ、何かの観賞用?分からない。

 

 

 

 

 






そうこうしている内に、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発地点の来迎院の参道口に戻って来た。











三千院のちょうど裏手。







大原の紅葉に限っては今年はいつになく良好のようだ。



大原三千院を挟むように流れる律川(りつせん)と呂川(りょせん)。
共に声明の律曲、呂曲に因んで名付けられたもので、
調子を合わせることの呂律(りょりつ)が、
転じて呂律(ろれつ)=ことばの調子という語源にもなっている。

 

 

 

 

 





もう直ぐ三千院の表参道、
ここまではほとんど人に出会わなかったが、
紅く染まった橋の付近から祭の様な歓声が聴こえてくるようだった。