例年ならばこの時期の京都では、
多少違いはあるものの慌ただしく動き回っているが、
今年は心配していたように紅葉の状態が芳しくない。
そんな数日前、昔の友人から彦根城の誘いを受けた。
彼はこの数年は全国の城巡りを趣味にしていた。
私自身建築物、庭園には興味があるが、城はとんと興味がない。
ところが彦根城横には立派な池泉回遊式庭園があるので、
京都の紅葉はまだ先になりそうなので、お付き合いする事にした。
私より5、6年上なので80歳手前の友人。
大病を患ってからより老人に近づいていたと思っていたが、
それが見違えるように生き生きと元気になっていた。
京都市内から約3時間、ようやくお堀に辿り着く。
あいにくの曇り空。
城に興味が無いと言っても、
旅行関係の仕事をやっている時に一度だけ伺っている。
当時はこんなに整備された感じではなく、
鄙びた山の上の寂しい城のイメージ、
彦根藩の2代目藩主・井伊直孝にゆかりのある、
ひこにゃんも存在していなかった。
40年ほど前の記憶はあてにならないが、
思っていたより険しかった。
当時の人はアディダス、ニューバランスも無かったのに草鞋で、
足腰はとんでもなく頑強だったのだろう。
私はすでに息が上がり足元はヨレヨレ、
80歳手前の友人はスイスイと天守閣、
何とか天守閣に辿り着いて、登るかは迷ったが、
せっかくと思い登ってしまった。
想像以上に狭い内部はほぼ垂直の階段、
一階で引き返そうとするも一方通行となっていて結局最上階まで、
ロッククライミングと思えばよいが、
この手の高層建築を称賛する大衆の共通点は見晴らしになる。
しかしそれを撮影してみても感動的な場面は滅多にない。
だから撮るつもりは無かった、西の彼方に小さな島、
てっきり竹生島と思ったがどうも多景島らしい。
友人が健康を取り戻した理由が分かった。
城巡りをしていると知らぬ間に足腰が鍛え上げられ、
私以上に健康体を維持しているのでは、
と言って私が城に関心を持つ事はおそらくない。
戦争の為の要塞、先ず第一に建築空間として美的に感じる要素が無さ過ぎ。
しかし城壁はどこも個性的で、
ピラミッド、インカ、マヤ同様に見ていて飽きない。
兵どもが夢の跡
どうにか無事に下山できたよう。
晴れない空もそうだが、紅葉が遅れていてあまり見せ場が無い。
ここからは国の名勝「玄宮楽々園」エリア。
彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された
井伊家の下屋敷であった御書院。
目の前には枯山水庭園、左奥には玄宮園。
城と雄大なラウンドスケープを生かした典型的な大名庭園。
天守を借景として中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、
畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物が配され、目の前の橋は七間橋。
玄宮園は中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝の離宮庭園を参考に、
「瀟湘八景」を「近江八景」に置き換えて作庭されたと伝わる。
鶴鳴渚、どう見ても城が主人公である。
天候がよく紅葉していれば格別と思ったが、
帰りにお堀近くで滋賀の人気店「たねや」で買い物。
3年前に初めてラコリーナ近江八幡で「たねや」を知ったが、
こちらも他府県ナンバーの客で賑わっていた。