昨日も信じられない位暑かったが、今日も。
まるでこれから夏真っ盛り、と思ってしまうほど、
全く秋の気配がしない、秋の虫は鳴けど。

苦肉の策で京都情報を伝えているこのブログ。
引き続きNHKのDVD「日本庭園」より大仙院庭園。

 



大徳寺境内北にある塔頭の大仙院(だいせんいん)は、
1509年に大徳寺76世住職古嶽宗亘(こがくそうこう)によって創建され、
塔頭の中では最も古い歴史と、特に地位の高い特例別格地とされている。
庭園は室町時代後期の枯山水の傑作と言われている。

 

 

 

 

 

 



但し、いつの頃から室内もとより庭園も撮影禁止となっている。

 

 

 

 

 

 






書院南庭は至って初期の方丈庭園の原型を保っている。











襖などの建具が外された、
北東の室である「書院の間」の北から東にかけての景観は圧巻である。










土塀を背にした狭い地割に、多数の岩石を置し、
蓬莱思想、水墨山水画を組み合わせ、厳しい禅修行では考えられない、
絵画的な山水溪流を表わしている。










これらは北宋画の山水を表すと言う。











やはり中国の修行の場をある意味、借景としている。






枯滝石組の右の流れは都に通じ、
左の流れは方丈南庭の大海に至る。



主な石には名が付けられている。
滝組の南手前に千利休が石上に花を生けたという「沈香石」、











鶴島周辺に「法螺貝石」、「達磨石」、滝の西の亀島周辺に「座禅石」、
「独醒石」、窪みのある「仏盤石」などがある。

 

 

 

 

 

 

 

 



大徳寺の中でもこの個性的な庭の作庭は、
開祖・古岳宗亘、又、将軍・足利義稙の命を受けた相阿弥、
山水河原者の作庭によるとも言う。




庭は以前は杉苔で覆われていたが、
江戸時代後期の大仙院石庭の絵図により、
1953年に白砂敷きに復元された。



庭を横切る渡廊は前述の起こし絵図に基づき、
1961年に復元されたものである。










礼の間前で大海に「宝船(石舟、舟石)」を浮かべる。
一帯は都となり奥の「叡山石」、










手前に「臥牛石(亀)」が泳ぐ。











起点に戻り逆方向の水流を巡る。











この庭園の主役は何と言っても自然石。











これだけ珍しい石を揃えるのは至難の業。











室町幕府奉公衆・三渕氏の庭から石が移されたとも、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


足利義政寄進とも言う。











これより西庭に流れ込む。










中庭は昭和の小堀遠州、中根金作によるものである。










飛び石は露地庭に通じているのだろうか?

 

 

 

 

 







この辺りは初期の禅寺の庭の再現しているのだろう。
最初に拝見した豪壮な石組とは対照的。

 

 

 

 

 

 

 

 



あくまでも修行の為の神聖なスペース。

 

 

 

 

 

 

 





方丈南庭は白砂の中に2か所の砂盛を配したのみの簡潔な庭である。