前回、NHK日本庭園の感想として、
銀閣寺の名称についてもっともらしい事を述べたが、
その他の庭園については特筆すべきものが無いと言ってしまった。

とは言うものの経験した事の無い暑さが続く京都、
うじうじしながら様子を窺っているが、
35℃を下回っても京都の蒸し暑さは天下一品、とてもじゃないが
汗だくでカメラのファインダーを覗く気にはなれない。
しかし特筆すべきものが無い中にも、
世界遺産の寺院庭園は紹介する価値はやはりある。
またまた、都合の良い御託を述べる天邪鬼( ´艸`)。

龍安寺、天龍寺は京都、日本を代表する寺院として名が轟いている。
共に日本の禅宗五家の内の一つ臨済宗、寺院名に「龍」が入っている。
伝説の生きもの「龍」は中国では神獣・霊獣であり、
神聖視され国家、国民にとって力と繁栄の象徴の様に扱われている。
中国より伝来した日本の禅宗寺院は当然「龍」を神聖視する傾向が見られ、
法堂の天井画、本堂の襖絵にも多くの龍が描かれている。
もっぱらこの描かれている「龍」は水を操る龍神伝説、
神泉苑に伝わる雨乞いの善女龍王など、火災除けの守り神。



世界で最も有名な寺院庭園は龍安寺の石庭である。
京都好きなスティーブ・ジョブズも訪れ、古くは1975年、
英国女王エリザベス2世とエディンバラ公フィリップが訪問し、
一躍世界的に知られ事になるが、その40年ほど前に桂離宮を絶賛した、
あのドイツ人建築家ブルーノ・タウトが訪れ紹介し、
簡素化された枯山水は一部の美術関係者には興味の対象となっていた。


修行にストイックな禅宗寺院の本堂前庭園、方丈庭園は本来、
宗教儀式を行う神聖な場所で白砂以外は何も存在させず、
もしあるとすれば修行を行う座禅石。

 



それが今では美術観賞として成り立つにはそれなりの理由がある。










禅宗に限らず無の境地は仏教の到達点、悟り。
座禅により無欲になり瞑想は禅宗にとって重要な課題。
それ故に趣味趣向を伴う美術鑑賞、茶道、華道、芸事は忌み嫌い、
禁止事項であったが、武家社会が勢力を持つようになり事態が変化。

 



前回の銀閣寺でも登場したが、
『都林泉名勝図絵』に室町時代の同朋衆の相阿弥作とし、
洛北名庭の第一とし、「虎の子渡しの庭」と言う。



中国の「癸辛雑識」中の説話にある、
虎が子を連れて渓流を渡る姿に喩えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



虎は3匹の子を産むと、必ず1匹の豹の子が混じる。
豹の子は鬼子と化し、他の虎の子を食うので、
1回目に豹の子を対岸に送り、母は豹の子を残し単身で戻る。
1匹の虎の子を再び対岸に送り届け、
対岸に先ほど渡した豹の子を再び背負い引き返す。
今度は豹の子のみを残し、1匹の虎の子を対岸に送る。
母虎は単身で引き返し、最後に残した豹の子を背負って対岸に届ける。
母虎は河を行き来し、豹の子は3度も母に背負われる事になり、
母は子を背負って都合3往復半(7回)渡河しなければならない。

 



他にも陰陽五行思想、鶴亀、蓬莱の庭等、
すべからず中国の故事、説話、教えを基に成り立っている。
同様に襖絵の山水画、法堂の龍も同じような理由だろう。
やはり趣味趣向ではない、あくまでも教えであり、
仏の道である証が必要であったのだろう。茶禅一味はその典型だろう。

 

 

 





芸術的な庭園、美術館の様な襖絵は多くは臨済宗に残っていて、
当時の武家社会の結びつき、財力を物語っているのだろう。

 

 

 

 

 

 





それらの理由からかんがみて龍安寺の石庭を眺めてみて、
虎の子渡し、陰陽、鶴亀、蓬莱、又、座禅、瞑想なんかに関係なく、
純粋に空間構成の妙味を感じられる庭である。

 

 

 




天龍寺の庫裏は他の寺では感じられない迫力がある。

 



創建以来8度にわたる大火で当時の建物は現存していないが、
大方丈裏の庭園は約700年前の夢窓国師作庭の面影をとどめており、
わが国最初の史跡・特別名勝指定でもある。










中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、
大堰川を隔てた嵐山や亀山を取り込んだ借景式庭園である。

 

 



やはりこちらの庭園も江戸時代から観光名所として
寛政11年(1799)に刊行された『都林泉名勝図絵』の描かれている。



夢窓国師(夢窓疎石)の名前は禅僧としての業績の他、
禅庭の完成者の一人であり、枯山水庭園の祖とも言われ、
日本各地に名園を残している。

 

 

 

 

 

 

 



最も有名なのが西芳寺の庭だが、
こちらの天龍寺の曹源池庭園も劣らず有名である。

 

 

 

 

 

 





石組の発案者でもある夢窓疎石、
それを意識したかの「疎石」の名前は、
枯山水庭園に呼応しているようでもある。










この一見乱雑な石組にも中国の故事が秘められている。











実際はこの領域まで近づけないので、説明書など見てもピンとこないが、
やはりNHKの優秀なテレビクルーなので、鮮明に浮かび上がる。











曹源池の名称は夢窓疎石が池の泥を揚げた時、
池中から「曹源一滴水」と記した石碑が現れたことに因むと言う。

 

 

 

 

 

 

 





これらの枯滝石組は中国黄河中流域にある龍門瀑の故事に由来する。











龍門瀑は流れが激しく、
滝を昇りきった鯉は天に昇り龍に化すると言われていた。

 

 

 

 

 

 

 





禅ではそれに例え、厳しい修行の後に悟りを開き、
仏になる戒めとしていた。







と言う事は、天龍寺の名前の由縁でもあるのだ。



あまり深く考えなくとも、今の時代、見方は千差万別、

気にせず好きなように見れば良い。

 

 

 

 

 

 





こちらは大方丈の襖絵ガラスに映り込む曹源池の見方を披露していた。