もうそろそろ秋の気配を感じられても
良さそうなのにと思っていたら、
数日前の深夜、植物園近くの大通りを走っていたら、
けたたましく虫の声が聴こえた。
とは言っても植物園からは距離があるので、
植物園の秋の虫では無い事は明白。
結局その虫の声は数百メートルも私を追いかけてきた。

生物は往々にして環境の変化を敏感に感じると言われている。
地球温暖化はすでに60年ほど前の少年マンガ誌、
少しエロい青年誌に取り上げられていた、いわゆるマイナー誌。

昨日、左京区に住んでいる友人と話をしていて、
今年は何時もこの時期うるさい蝉の声が聴こえてこない!
そう言えば私の千本丸太町も、近隣に樹木は殆ど無いのに、
毎年そのけたたましい蝉の声は朝方の悩みの種だったが、
嘘のように気づかず夢心地から安らかに目覚めていた。
何も起こらない事を願うが、
すでにその真っ只中で日常生活を送っているのだろう。
残暑、2023.08.29.京都市上京区の気温37℃。


御託が始まる前に前回の続き、
朝日放送版「京之御所離宮」(5)の修学院離宮中離宮。

 



中離宮の表門。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



中離宮(中御茶屋)は、後水尾上皇の構想にはなかった。
上皇皇女・朱宮光子内親王の音羽御所を前身にしている。
その後、御所は尼門跡の林丘寺に改められ、
近代、寺の境内、建物の一部が皇室に返還され、
修学院離宮に組み入れられ、中離宮として整備された。

 

 

 

 

 

 

 



中離宮の中門。

 

 



「客殿」は林丘寺の旧御殿になる。
かつて、林丘寺の書院として用いられ、
霊元天皇の行幸に際して、御座所として使われた。
後水尾上皇と東福門院の奥向き用の書院として使われ、
東福門院好みの意匠が各所に施されていた。



東福門院とは後水尾天皇の皇后。明正天皇の生母。
徳川秀忠の五女で徳川和子、徳川家康の内孫にあたる。
名前の読みは元々は「かずこ」であったが、
入内に際し濁音を忌み嫌う宮中の慣習にしたがい、
「まさこ」に改められた。








室内は一の間、二の間、三の間、内の間、
一の間の腰張は菱形の群青と金箔の幾何学的な文様。











一の間の床、違棚は5枚の板による飾棚は、
峰に霞引く様を思わせ、「霞棚」と呼ばれ、
桂離宮・新御殿の「桂棚」、醍醐寺・三宝院の「醍醐棚」、
そして修学院離宮・中離宮の「霞棚」の日本三名棚。







下地の貼付けは金泥の雲形により、
床右手の壁に八条宮智仁親王らが詠んだ、
創建当時の「修学院八景」を題材とした、
16枚の和歌・漢詩色紙が下地に貼られている。

 

 

 

 

 



その他、地袋に扇面形、ほかに襖引手として一の間の菊花形、
二の間に七宝細工の尾長鳥形の丸紋引手、
木瓜形などの技巧の限りを尽くした引手がある。
これらの葵紋は東福門院が徳川家康の孫である事を誇示している。

 

 







一番下の棚地袋小襖には、友禅染の張場の様子を描く。
その上右に三角棚、その小襖に更紗模様
金具に振振毬杖(ぶりぶりぎっちょう)という子供玩具の意匠。
これは正月飾り、魔除けにも用いられた羽子板形による。









一の間長押に14個の釘隠しがあるが、
特に彩色の青銅製七宝細工の牡丹、椿など花車形は、
女院の住まいを象徴する色彩と素材が施されている。










長押には七宝の竹葉形釘隠。












菊と三葉葵を組み合わせた珍しい引手。











西面の引き違い杉戸には見事な「放下鉾」、







「岩戸山」も描かれていて、作者不詳とも、狩野敦信筆とも言う。

 



ごれは後水尾上皇が即位中に、
祇園祭の町衆がお祝いに駆け付けた時の山と鉾が描かれている。











西面入側の北端、

 

 


 

 

 

 

 

 

 

楽只軒に通じる階段との境の杉戸には「大鯉」と「鯉と鮒」が描かれ、
ともに円山応挙筆と言う。











網の綻びの部分までも描き込まれていて、
鯉の絵のあまりの出来栄えに、
鯉が毎夜、杉戸を抜け出して庭の池で泳いだ為、
後に金色の網が書き加えられたと言う。





一の間北側には天井が煤けた6畳間があるが、
以前は「仏間」として使われていた。

 



上方には「逆浪の欄間」とも呼ばれる、
下に曲線の波形と水玉の意匠が施された珍しい欄間。





客殿の北西に接して建つ楽只軒には、
軒名は『詩経』の「楽只君子万寿無期」によるもので、
後水尾院の命名である。



一の間の床柱は磨き丸太、
床と貼付壁に狩野探幽の子・狩野探信筆の金地の「吉野の桜」、

 

 

 

 

 

 





次回も引き続き、諸事情により「京之御所離宮」の上離宮篇、
悪しからず!