もうかれこれ三週間程撮影に行けていない。
リアルな京都情報を伝えるブログとしては失格である。

今日も午前中に二条駅のスーパーと丸太町の図書館には行ったが、
その暑さにぶったまげている。39℃、昨日も同じ位だった。
ともかく歩く時はなるだけ日陰を通るが、
陽が高くなるとその影の道は無くなり、まさしく灼熱地獄。
吹き出した汗を拭い、ようやく家に辿り着き、
体温越えの身体でチープなアイスに食らいつき、
眩暈ギリギリで正気を取り戻す。
明日も39℃、この先一週間も35℃越え、撮影予定立たず( ´艸`)。



この日も晴天の暖かい日だったが、撮影日付を確認すると2023.3.11.











楽友会館(らくゆうかいかん)は、
京都大学の吉田南構内にある建物である。











玄関が特徴的な建物だ。












東大路通りからは近衛通りの交差点を東に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



1925年(大正14年)に京都大学の創立25周年を記念して、
当時京都大学工学部建築科助教授森田慶一の設計により立てられ、
鉄筋コンクリート2階建の瓦葺でスパニッシュ・ミッション様式の外装と、
東京高等工芸学校教授森谷延雄による室内装飾は大正建築の特徴をよく伝えており、
1998(平成10)年に国の登録有形文化財に指定されていまる。






 

 

 

 

 

 

 

 



入って直ぐの二階への階段は印象的である。

 


縦に明かりとりの窓にはステンドグラスが使われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



縦に4列、横には5列。











元々は教職員の方々の学術交流のサロンとして使用され、
レストラン施設も備わり、一般の方も利用することが出来たらしい。
そのレストランは閉鎖されていたが2010年に当時の趣きを残して、
会議室や喫茶食堂を備えた会館として再開されていたらしい。

 

 





一階のこの奥が喫茶食堂「近衛Latin」のようだが、
コロナ禍の2021年3月27日をもって営業を終了。











ラウンジの2部屋は当時のまま、時間が停まったかのように。

 

 

 

 

 

 

 






もっと以前はサロンとして、
麻雀やビリヤードなど楽しめるスペースも設けられ、
「日本唯一の国営雀荘」とも呼ばれていたらしい。


楽友会館は1945年10月以降、
進駐軍の将校クラブとして運営されていた時があり、
その騒音は近くの吉田寮生の悩みのタネだった。
1951年9月、吉田寮は楽友会館の即時返還要求を決議し、
署名1000筆を集め、大学、同学会、進駐軍にも働きかけた。
楽友会館は翌1952年に返還され、吉田寮が一部運営していたそうだ。



現在、北海道の札幌市、沖縄の温度が真夏の京都の温度に近い。
沖縄が京都より涼しくて、北海道が以前の京都より暑くなる。
急激な変化はより急激に変化を呼び命を脅かす事も、考えよう!