不安定な天候が続いている。
京都市内の今の時期は蓮が開花しだし、
天龍寺、東寺では見頃を迎えていると聞いているが、
いつ降るか分からない空を見上げて三の足を踏んでいる。

少し前に大原の里に出向いた。
国道367号、いわゆる鯖街道は数限りなく往来している。
初めてこの街道を通ったのは21歳。
神社仏閣があまり好きでは無かったが、
お寺好きの友人に付き合って雪の三千院に伺った。
その後も女好きの友人に付き合っても来た事があった。
それでも神社仏閣にはさして興味が持てず、
35歳前後でお付き合いで旅行出版社の仕事をするようになり、
紆余曲折あれよあれよと50年も京都にいる事になった。

 



この撮影場所は辻しば漬本舗前、
現在のファミリーマート 大原三千院店辺り。
後方には三千院に至る坂道、前方はこの前行った寂光院、
右奥は古知谷、鯖街道を北上すれば朽木村、そして小浜、若狭湾。
左奥を進んで行けば鞍馬、貴船に抜ける事も出来る。
この位置は高台では無いが見晴らしが良く、
いつも何故か解放感を味わえる場所でもある。



田園地帯に点在するエンジの植物は赤紫蘇だ。



鯖街道はあまり変わっていないようで、
知っている者にとってはやはり変わっている。






市街に戻る途中、土井の柴漬け本店の手前、
高野川と国道367号が交差する所に鳥居がある。



すっかり朱の色は剥げ落ちているが、
花尻橋の北詰に花尻の森が広がる。
もちろん一度も潜った事も無かった。




小野源太夫社(おのげんだゆうしゃ)は
山並みに境内が造られているかと思っていたが、
小さな祠以外は、主だった建造物は見当たらない。



創建など詳しい事は分からないが、
源頼朝が松田源太夫という御家人を遣わせ、
寂光院に隠棲していた建礼門院徳子の動向を
監視させたと言う屋敷跡の説とおつうの伝説。

 

 

 







ネットで京都の神祠について詳しい紹介されている方によると、

おつうの伝説
「むかし、大原の里に、おつうという娘が住んでいた。
ある日、上洛の若狭の殿さまの目にふれて、
おつうは、若狭に玉の輿に。夢ごこちの毎日を過ごしていたが、
おつうが病になると、殿さまの心も変わって、
おつうは大原の里に戻されてしまった。」
「おつうは悲しみのあまり、大原川の女郎ヶ淵に身を投げた。
するとその美しい姿は大蛇に変わり、
都入りする若狭の殿さまの行列を大原の花尻橋で襲った。
あばれ狂う大蛇は、松田源太夫という侍により一刀のもとに切り捨てられた。」
「しかし、大原の里はその夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われ、
恐れおののいた里人たちは、大蛇の頭を乙が森に埋め、
尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めた。
今でも、大原の里にかかる朝もやは、大蛇の姿に棚引き、
乙が森では、おつうの鎮魂の行事を残す。」廻游日記 ~京の神祠~より





祭神は猿田彦命、背後の大木が御神木。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 





この場所は大原の入口にあたりで、
「花尻」「花散」の森と呼ばれ、3月下旬~4月上旬頃、
森の中でやぶ椿が苔地や御神木などの近くに花を落とし、
散り椿の光景が美しいと言われている。

 

 

 

 

 




もののついでにケーブル八瀬駅にも立ち寄る。

 

 

 

 

 

 

 

 





去年の紅葉季節に知った八瀬もみじの小径。








その時気が付かなかった見掛けない物体?



何だろうと案内板を見ると「ラジオ塔」。
私の世代は「テレビ塔」は実際見て知っていたが、
それ以前に「ラジオ塔」が存在していたのか、










しかし街中なら分かるが、何でこの場所?疑問が残る。
この上には八瀬射撃場があるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 





一度か二度しか乗った事無いケーブル。

 

 

 

 

 

 







こちらのケーブルも廃線が噂されていたが、
今の所持ちこたえているようだ。