寂光院や三千院のある大原の里は、
念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった。
大原草生町の翠黛山麓に寂光院はある。
建礼門院と関わりある尼寺として法脈を継いでいる。 
かつて境内に多くの万両が自生した事から「万両寺」とも呼ばれた。
寂光院の草創について明確なことはわかっていないが、
寺伝では推古天皇2年(594年)、
聖徳太子が父・用明天皇の菩提のため開創したとされる。



嵯峨野に紅葉の美しい常寂光寺があるが、
こちらとは関係なく、今回が初めての紹介になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



とは言っても、30年以上前に取材で一度だけ訪れた事があった。

 

 

 

 

 

 

 

 


しかし何ひとつ記憶に無く、その時何を観ていたのか?







私の好きな石段参道があったのに、



予想以上に苔も生えている。











正面の山門は潜らず、苔に誘われ左の石階段を登る。












汀(みぎわ)の池横の鐘楼は江戸時代に建立された「諸行無常の鐘」。







池水に汀の桜散り敷きて
 波の花こそ盛なりけれ (『平家物語』大原御幸)

 



文治2(1186)年4月下旬、
後白河法皇が忍びの御幸で建礼門院の閑居を訪ねたおりの一首。

 

 

 

 

 

 

 





本堂は淀殿・豊臣秀頼の命で片桐且元が奉行として
慶長年間に再興したものであったが、2000年5月9日に放火で焼失。
この際、本尊の地蔵菩薩立像(重要文化財)も焼損し、
堂内にあった徳子と阿波内侍の張り子像も焼けてしまった。
現在の本堂は2005年6月2日に再建され、
同時に新しく作られた本尊や徳子と阿波内侍の像も安置されている。


本堂内は撮影禁止、
新本尊像は財団法人美術院国宝修理所によって、
3年半をかけて制作され2005年に完成した。
ヒノキ材の寄木造で旧本尊の新造時の姿を忠実に再現している。

パンフレットより

尚、旧本尊の木造地蔵菩薩立像は像高256.4センチで、
像内に納入されていた願文に寛喜元年(1229年)の記がある。
旧本尊の周囲の棚には地蔵菩薩の小像が多数あり、
胎内にも多数の地蔵菩薩の小像が納入されていた。
周囲の棚に3万体、胎内に3万体の地蔵像があるということから、
旧本尊は「六万体地蔵菩薩」と称されていた。

2000年に起きた本堂の火災の際、本体は焼損したが、
胎内の小さな地蔵像が無事残されていて、
宝物殿で焼け焦げた地蔵像が拝観できる。



本堂の東側には「四方正面の池」はよく観ると、

 


三段の滝が流れ落ちていて、
池の四方は回遊出来るように小径がついており、
本堂の東側や書院の北側など、
四方のどこから見ても正面となるようになる事から命名。

 

 




この小径に気づいていたら廻ってみたのに残念。

 


その時は分からなかったが、画像をよく見ると
観音様にコーヒー缶か日本酒缶が供えられているようだった。











昨日は蒸し暑さも無く、










上がって来る時に見かけた苔生した中門。







こちらにも立派な池泉回遊式庭園がありそう!



奥に茶室「孤雲」があるが、
これ以上は入る事は出来ない、残念!

 

 

 

 

 

 

 

 

 




思ったよりこじんまりしていたが、
自分の記憶力の悪さに呆れる ´艸`)。











カエデもたくさん植わっているので、
紅葉期はもっと鮮やかになるのだろう。











西門を出た所に建礼門院御庵室跡があったが、
その横に立ち入り禁止の神明神社?





境内の外、東側には建礼門院徳子を祀る大原西陵もある。
陵墓はもともと境内にあったが、
明治以降は宮内省の管理下に移り、境内から切り離されている。



いつも行き当たりばったりの物見遊山。
今回はもう少し事前に調べるべきだった( ´艸`)。