第11回目KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2023が開催されている。
4月15日~5月14日の間に歴史的建築物、寺院、町家など。
約20会場で国内外写真家による展覧会。
今回は更に第1回目となるミュージックフェスティバル、
KYOTOPHONIEが各所で同時開催され、
元離宮二条城、京都文化博物館、誉田屋源兵衛竹院の間・黒蔵等
このGWは凡人の頭脳では把握できない程、カオスな状態になっている。
第11回目を迎えるKYOTOGRAPHIEでは「BORDER(境界線)」がテーマ。
少し前にスマホの超利便性により、
一億総カメラマン時代と言ってしまっていたが、
今や80億総カメラマン時代に突入( ´艸`)。
それほど写真は身近なものとなり、
重要な社会生活マストになり得ているのか?
そうだとするとこの京都国際写真祭は有意義なものだが、
いつも何かしら違和感を感じながら垣間見ている。
いつもそうだが、京都国際写真祭のホームページは分かりにくい。
取り合えず全体像を把握する為にページに入るが、
結局は実際の会場に行って印刷パンフレットに目を通して、
初めて全貌が見えてくる、超アナログ人間である( ´艸`)。
入って直ぐのかつての講堂では、
世界報道写真展「レジリエンス ──
変化を呼び覚ます女性たちの物語」。
世界13ヵ国から17人の写真家が記録した様々な「声」は、
性差別、ジェンダーに起因する暴力、性と生殖に関する権利、
女性の権利、ジェンダー平等と公正などの問題に対する洞察を提示。
元校舎を使っての展示はノスタルジアを感じるものだが、
ドンツキの部屋では李卓媛さんの「If Tomorrow Never Comes」
もし明日が来なかったら
その時は、今日を頑張ろう
明日からあなたを忘れないために
私はカメラに変身する
あなたがくれた昨日の名残り
あなたのために、私はこれで、ポートレートを撮る
明日につながる一枚を
向かいの校舎一階右端は別会場。
京都芸術センターでは3会場を巡ったが、
もうひと会場ありそうだった。
京都芸術センターのある室町通りは呉服問屋街、
以前は祇園祭以外は一般人はあまり見かけなかった。
最近はホテル、飲食店、ショップ等も増え、コロナ禍規制の解除で
訪日観光客も一段と見かけるようになっていたが、
この会場でも普通に見かけた。
隣の部屋ではスマホ時代のアーティスト。
後藤友里「pop ropes」
人に会えない生活の寂しさから、マッチングアプリを始めた。
アプリを開くのは決まって眠れない夜だった。
この孤独を埋めてくれる誰かを探していた。
スマホの画面上に写真付きのプロフィールがランダムに現れる。
NO と LIKE、気まぐれに左右へと指を弾いていると誰かとマッチングした。
その誰かが私のプロフィールを見て、同じようにスワイプしたことがわかる。
それだけで眠ることができる夜があった。
これは私が経験したかもしれない恋の話だ。
運命の人を夢見て、私はメッセージを送る。
以上2会場の展覧会はKYOTOGRAPHIEとは別のプロジェクト、
KYOTOGRAPHIE選出作家の登竜門的にKG+SELECTとして、
同時に始まった公募型のコンペティション。
10名のアーティストが各会場で作品を披露している。
そこからかなり離れた第十五会場。
新町通綾小路下ル船鉾町の伊藤佑町家跡地。
野外でのこの会場では立体作品が展示されていた。
作家のインマ・バレッロはニューヨーク在住のスペイン人。
20年以上にわたり、粘土、陶磁器、金属、ガラス、
木材を使った大規模な作品を制作している。
2019年、日本で陶芸および金継ぎで割れた陶器を修理する技術を学んでいる。
本作〈Breaking Walls〉に向けて、京都市内の窯元や陶芸家、
学生たちなど多くの人々の協力を得て陶磁器が集められ。
その破片は金属製のメッシュフレームに詰められ、壁が完成。
このプロセスではスペインと日本の修復技法が呼応し、
金属と陶磁器の破片が共に新しいかたちを創造する。
会場に立つ二重の壁の間は歩けるようになっている。
作品を踏むのは少しためらうが、
その空間は人々を迎え入れてくれ、
作者はこの壁を何かを区切る境界線としてではなく、
コミュニティが集う空間として捉えているらしい。
江戸時代の稀代の造園家・小堀遠州は
数々の新しい試みを日本庭園に注いでいた。
もし、令和に小堀遠州が甦るなら、
白川砂で造る砂紋の替わりにこの破片を用いるかもしれない。
ともかく多くの作家と会場、
限られた時間でどこまで回れるか不透明だが、出来る限り( ´艸`)