長年京都の桜を撮っていると、
どうしても画顔がマンネリ化してくる。
それでも小さいようで大きな京都、
毎年何とか新天地を求めて徘徊するが、
それも限られた時間と物理的な行動範囲で
思う通りにはならない。

今年はどう考えても桜の開花は凄い。
ホントは自由自在に動き回って、
色んな場所を記録に留めたい思うモノの、
そんなに単純に動けるほど無垢でもない( ´艸`)。

 



これは先日くろ谷さん、真如堂の後、立ち寄った吉田山。











吉田神社は桜の名所では無いが、吉田山の山頂近く、
末社の竹中稲荷社は隠れた桜スポットで人気が高い。

 

 

 

 

 

 

 

 



七角形状の石畳参道の、不思議な境内、
中央の舞殿の周りには本殿以外に末杜と思われる鳥居と祠。











山頂に通ずる階段はおそらく吉田神社へ





宇賀御魂神・猿田彦神・天鈿女神を祀る竹中稲荷社は
吉田神社よりも古い歴史を持つと伝わり、
古記に在原業平の住居が「神楽岡稲荷神杜の傍にトす」とあり、
天長年間(824~834)にはすでに社殿があった事が窺える。
江戸時代末期には多くの参詣者で賑わいを見せていたが、
1872年(明治5年)に吉田神社の末杜になっている。



東正面に如意ヶ岳が見えるが、
大文字の文字が桜の枝で確認できない。










アマチュアカメラマンが引っ切り無しこの光景を撮っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 










竹中稲荷社の一ノ鳥居の向かいは宗忠神社。



真如堂の向かいになるが、
階段が億劫で最近は登った事無かったが、
裏山からはだとそんなにも気にならない。









しかしどうせ参道階段の桜を撮るなら、
やはり一ノ鳥居からと思い下まで降りて結局往復( ´艸`)、







竹中稲荷社まで戻ってきて、

 


吉田山の西側から降りる事に、







直ぐに吉田神社の斎場所大元宮の手水舎、

 










普段は非公開の本殿。

 


お正月の1月1日~3日と毎月1日だけ公開されるが、
後方には後房と呼ばれる6角形の祈祷所が付設し、
本殿の変わった8角形の茅葺屋根は、
密教、儒教、陰陽道、道教などの諸宗教、
諸思想を統合した吉田神道の理想の形を表している。









その側面には古木のシダレ桜が緩やかに靡いていた。