昨日、東本願寺の通常非公開の渉成園「臨池亭」が
公開されるとの事で伺ってきた。

 


共に隣接する滴翠軒室内も公開されていたが、
こちらは人数制限があり、更に予約制なので諦めていた。

 

 

 

 

 

 

 



渉成園には何度か伺っていて、
建物から池の眺めを拝見したかったので期待していたが、
残念ながら池の水はこの様に抜かれ、
係り員に尋ねるとメンテナンスだそうだ、残念。









これでは池と建物の雰囲気が分からないと思うので、
5年前に撮影した写真をご覧くだされ。










左の手前が臨池亭











奥が滴翠軒。










早速上がり込んで、

 










臨池亭の背後には枯山水庭園も設けられていて、











瀟洒な造りはどこか桂離宮に通ずるものがある。












滴翠軒に通ずる渡り廊下。

 

 










予約制の滴翠軒室内はこの様に開放的なので、











室内に入る事は出来ないが、全貌が明らか。
滴翠軒では『渉成園記』を記した文人「頼山陽」の生誕日に合わせ、
『頼山陽と煎茶』の著者・島村幸忠氏による講座が、
煎茶を頂きながら開講されようとしていた。



確か定員が20名でキャンセル待ちで、
空きがあればと思っていたが、

 



団体行動、行列、予約が嫌いな私なんで、
やはり申し込まなかっただろう( ´艸`)。










滴翠軒と渡り廊下のコーナーには楓が植わっていて、
秋にはえも言われぬ景色が展開するのだろう、キット。










背後のビルは気になるものの、
池に水が張られていたら、どれだけ気持ちの良い事か!










滴翠軒室内は1月21日のみ、
臨池亭室内は1月21日(土)22日(日)の二日だが、
渉成園の拝観はほぼ無休で行っている。









完璧な姿は観る事は出来なかったものの、










通常では見れない池の底が、










大瓦の廃材が使われている事や、










池の仕組みが分かってこれはこれで良かったのか?

 

 

 

 



この後、嵯峨天皇の第十二皇子の源融が造営した
大邸宅・河原院跡の一部と伝わる渉成園を一巡り。

 


その敷地は南は六条大路、北は六条坊門小路、東は東京極大路、
西は萬里小路に囲まれた4町、若しくは8町とも言われ、
その広大な敷地には陸奥国塩竈の風景を模して庭園を作り、
難波、尼崎から毎月30石の海水を運んで塩焼きを楽しんだという。


しかし、江戸時代の俳人で考古学者の北村季吟が著書で
「渉成園の造営の際、源融公愛用の塩竈が発掘された」
と述べた事によりより決定づけられてきたものの、
現在は鎌倉末期に成立した「拾介抄」の記述の
位置の違いにより否定されているらしい。
河原院が成立したのは850~870年として、
紫式部が『源氏物語』で取り上げた時期には現存したとして、
融の死後は子の昇が相続し、昇は宇多上皇に献上して、
後に融の三男の仁康に与えられ寺となったが、
仁康が祗陀林寺を創建する際に河原院の本尊が移され、
その後は度重なる火災により焼失、荒廃している。
約300年後、鎌倉末期、1333年頃に成立した「拾介抄」に
どれだけ正確なデーターが汲み取られていたかは、それも疑問。

何れにせよ『源氏物語』少女帖に登場する六条院は、
源融の大邸宅・河原院をモデルにしたと思われる。
四町は各々四季を象徴し、辰巳(東南)の町が春、
丑寅(東北)の町が夏、未申(西南)の町が秋、
戌亥(西北)の町が冬。春の町には紫の上、
夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、
冬の町には明石の君が住まわれ、
それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られた。

 

桂離宮造営者の八条宮家初代の智仁親王は
離宮造営の際、『源氏物語』少女帖に登場する六条院から
インスパイヤを受けたと言われている。



真意はどうにせよ、
桂離宮と渉成園はどこか匂いが共通するものが感じられる。










印月池に浮かぶ北大島に建てられた、
趣向を凝らした縮遠亭、

 

 

 



この時は修復工事中で完全に幌で覆われていた、
池に茶室の一部が迫り出して建つ「漱枕居」。



北大島と丹楓渓を結ぶ木橋の回棹廊。





このヒノキ科のビャクシンか1930年頃に枯死したが、
今で残されその幹にはハゼの新たな生命が宿っている。



その背後に小さく京都タワー。




実際の渉成園は1641年に三代将軍・徳川家光から当地が
東本願寺に寄進され、詩仙堂の造営者で詩人・書家の
石川丈山の趣向を入れた作庭がなされ、



四季折々の花が咲きほこり、
この「傍花閣」は花見する為にだけ造られ、階上に4畳半の部屋、
天井中央に石川丈山考案の十二方位板が設けられている。









左右の側面に山廊と呼ばれる階段の入り口、
一条寺の詩仙堂の3階建の「嘯月楼」同様、
創意工夫が施された造りになっている。




これで一巡りが終わり帰ろうとしていたが、
園内はいつもと変わらず拝観者は少なくのんびり!

 


しかし、通常の出入り口付近に女性と若い方が多く、
何かと見てみると、東京藝術大学COIによる
不思議な『こうりんークローン文化財』展がなされていて、
この報告は次回。