山門を思い存分撮影し、阿弥陀寺本堂を目指す。

 


最初はこのように緩やかな坂道。










参道脇の山肌はかなり荒れているが、












本堂まではたかだか700メートルくらいなので余裕!











清流の水たまりを眺める、まだまだ余裕!











しかしこの辺から急に坂が急になる( ´艸`)。











先に行った2組のおばさんグループが戻ってきて、
「この先にお寺あるのですか?」
私も初めてなので「多分あるでしょう!」としか答えようなかった。
これで再び登り始めると思っていたが、おばさん方はその気は全くなく、
山門横の駐車場に引き返して行った。

 

 

 

 

 



更に足元は先日深夜の雨が乾いておらず、足場も悪い。
レギュラー京都観光の靴だったので、相当きつかったのだろう。
おそらく参道の三分の二程度でリタイヤ!

 

 

ここまで上がって来るまで、何かしら以前感じた空気感を感じていた。
それは5年ほど前に伺った洛北雲ケ畑、鴨川の源流に位置する
志明院の聖域に入った時の感覚である。

しかし私もすでに息継ぎで二回も休み、
最終的に三回も休み事になった。



ようやく石階段、建物らしきものも見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 





しかし入り口付近にも3、4台止められる駐車場があって、
足腰が不自由な方がるようできるようになっていた。
この時は工事関係者の車が止められているだけだった。

 

 

 

 

 





拝観なさらない方の注意書きがなされていた。
お寺にお詣りもしない方が、SNSに写真を載せる為だけに、
自由気ままな行動なさる方についての苦言の様な事が書かれていた。










実相の滝、古知谷カエデの傍に段々に続く小滝群。
別名十三の滝とも呼ばれるらしい。










険しい山肌に作られた石垣、寺の建築、階段、苔肌。











樹齢800年の古知谷カエデは幹は4~5本に分かれ、高さは20mを越える。











紅葉は終え、既に落葉しているようだった。











左は十三の滝、右の参道脇は段々状に整地され、
自然石の石垣が一体となす。

 

 

 

 

 

 





阿弥陀寺は浄土宗の僧・弾誓(たんぜい)開基なされた如法念佛の道場。
9歳で出家し、美濃国塚尾の観音堂での100日の参籠を経る。
木食(もくじき)僧として、各地で修練苦行を重ねた。
木食とは穀断ちにより、木の実、草のみを食する行を受けた僧をいう。

 

 

 

 





佐渡ヶ島の壇持山で生身の阿弥陀仏を拝し、
五条大橋で北の空に紫雲たなびき光明が見えたため、古知谷に赴いた。
古知谷で山中深い岩穴での念仏三昧の修行を行う。
松の木陰を庵にして、鉦鼓を枝に掛け、岩上に坐して西の山に向かい、
明け暮れて念仏したという。自らの像を草刈鎌で彫り、
その木像に自らの頭髪を植えたと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



本堂には弾誓上人の植髪の尊像が安置してあり、
現在もこの植髪は両耳の近くにすこし残っているが、
私の視力では確認す事が出来なかった。



弾誓上人が入定される一年前に修行僧に頼んで掘らせた巌窟があり、
弾誓上人が石龕に生きながら入られ「ミイラ佛」となられた、
上人のミイラが端座合掌の姿勢で安置されている。










又、阿弥陀寺は春先の九輪草(クリンソウ)でも有名で、
その季節から数々の草花が境内に咲きほこるらしい。










この時は殆ど咲いていなかったが、
こんな不思議な花が咲いていた。










帰り際にご住職に茶室「瑞雲閣」の事を尋ねると、
この建物は阿弥陀寺の復興の為に寄進なさった方の
仮の住まいで、中国風の山門はその方の趣向だったらしい。









正面に見えた聳える建物は、
以前は宿坊として使われていて、
これもその方の寄進。

 

 

 

 

 





実際、阿弥陀寺が建っている敷地は限られていて、
石垣で固めて足場組で補強、
こんなことしてようやくこの空中スペースが整えられる。

 

 

 



奇跡の様な建造物である。

 



この寄進をなさった方は山口玄洞は、
明治、大正期に活躍した実業家、
引退後は京都で静養生活、数寄者としても過ごしすが、
信仰、教育に対して私財を投げ打って寄付、寄贈。

尾道市女子高等小学校に始まり、日本赤十字社、
早稲田大学基、慶應義塾、京都帝国大学、
知恩寺、方広寺三重塔、醍醐寺大伝法院、
神護寺金堂・多宝塔・龍王神堂など、数限りなく。。。


玄洞が寺に寄進するにあたって、
由緒正しい寺である事、景勝の地にある事、
住職の人品が優れている事、の3つを条件にしていた。
しかし辺鄙なこの地はどう見ても景勝の地に程遠いが、
仮の住まいを設けてまで、このお寺に多くの寄進をしたのは、
よほどこの古知谷の阿弥陀寺が、
自分に理にかなった信仰の道場だったのだろう。

 


このブログを始めてから数多くの庭園を拝見している。
その中で二年前に伺った滋賀県近江八幡市の、
小堀遠州作庭の教林坊の石と苔の庭園は感動的であったが、
この十三の滝は個人の作為を通り越して、
教林坊の石と苔の庭園をよりパースペクティブに。。。
滝と石と苔、建物と石垣と階段と古知谷カエデは、
まるで奇跡の空中楼閣、空中庭園といって良さそうだ。





山門の中に参拝者が一人、
諦めて帰って行った2組のおばさんグループ、
後々この記事を見る機会があれば、きっと悔しがるのでは( ´艸`)。