世界の経済、国家間の争い、環境は刻々と変化するが、
出来れば身の回りの景色は余り変化して欲しくないのが本心。
特に日本の紅葉は季節の変化に過敏に反応するので、
古来から培われたきた眩い紅葉景色は、
安穏の中で甘受できるのは、この上もなく尊い。
京都の紅葉風景を撮影し続けていると、
どうしてもマンネリ、自分でも感動が薄れていく。
出来れば新しい発見をしたいと思い、
桜と紅葉の季節は前もって未体験の場所を探っている。
今回も二、三ヶ所ばかり候補に挙がってきて楽しみにしていた。
昨日友人と伺う予定だった京北町の常照皇寺。
何と言っても国の天然記念物に指定されている、
一重のしだれ桜「九重桜」が圧倒的で優美だが、
これは以前既に撮影済みで、今回は華やかさはには程遠いが、
山里離れた寂れた風情の紅葉を撮りかった。
ところが前日、同行する友人がコロナに感染して、
一人で侘びた景色を撮るのは、なんだか寂しいと思い、
結局撮り尽している感のする洛北の赤山禅院。
すでに見頃だと聞いていたが、そうでもなさそう。
それでもご年配中心に多くの観光客お越しだった。
神殿の横、地蔵尊の奥の十六羅漢、
弁財天堂からの眺め、
なかなかよさげで同じアングルでシャッターを押してしまう。
能ない鷹は繰り返す( ´艸`)。
木々草木が燦めく瞬間、無抵抗に重力に漂う。
神殿を一巡り、福禄寿堂、池の横を通り、
老夫婦が寄り添うように一点を見つめているようだった。
それはまさしく、眩い安穏のようである。
参道はこれから、
この時期、帰り際に山門を潜ると、
赫々(かくかく)たる光景に何故か気が晴れる。