アンディ・ウォーホルについて、
こんなにも御託を述べるつもりは無かったが、
其五まで書く事になってしまった。
10代から現在に至る約60年、それ程気になり、
影響を受けた、謎めいたアーテストだったのだろう。

アンディは無邪気にケラケラ笑う少年のように感じる時と、
猜疑心の強い老人のように見える時がある。


「頭蓋骨のある自画像」1977年


49歳の時、肩にしゃれこうべ載せて撮るポロライド写真。
何とも不気味で死神と契約をしたのか?










髑髏、頭蓋骨、しゃれこうべ、ガイコツを描いた作家は多い。
日本でも歌川国芳を筆頭に浮世絵の中でも取り扱われ、
伊藤若冲も有名な「髑髏図」で描いているが、
髑髏と自画像と組み合わせはアンディ・ウォーホル以外、
思い当たるのは一人ぐらい。




亡くなる一年前に精力的に手掛けていたカモフラージュ(迷彩柄)。
初期、あれ程自由、資本主義の明るいアメリカ文化に彩色を施していたのに、
晩年には軍事目的で開発されたカモフラージュで自由の女神、自画像、
最終的にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の
キリストまでも迷彩柄で隠してしまう行為。。。


「自由の女神」1986年

アンディは幼い頃から子供を欲しがらなかった。
当然結婚願望も無く、ある意味聖職者のように。
唯一女性に恋したのはイーディ・セジウィック、
しかし生殖活動的なセックスをした痕跡は無い。
敬虔なカソリック教徒である母親ジュリアに溺愛され、
母親の死後も日曜礼拝には欠かさず出向いていたが、
どうもニヒリストであり、厭世的、無神論者の様であった。

何度も言うがアンディ・ウォーホルほど
多岐に渡って活動したアーテストはいない。
平面絵画、映画、音楽、写真、イベント企画、広告、雑誌、
特にメディアを意識していて、テレビ番組「アンディ・ウォーホルTV」、
日本では残念ながらこれらの活動に触れる事は出来なかったが、
1983年にTDKのビデオテープのCMが放送され、
アンディ・ウォーホルが喋る
「アカ、ミドリ、アオ、グンジョーイロ、キレイ」の
たどたどしい日本語が話題になっていた。
お茶の間で彼がスーパースターのアーティストだと知る人は少なかったが、
メディアの潜在能力、影響力、経済効果を意識して
表現しているアーティストは初めてで、これ以降も皆無である。
インターネットが普及する前、もしアンディ・ウォーホルが
今の時代に生きていたなら、どんな表現をするのやら、恐ろしい。

 


日本のテレビで彼の動画を見れるのは貴重だったので、
たった数秒でも、一時間半の前衛映画一本見る以上に刺激的だった。
もちろんTDKのビデオテープは眼中にも、記憶にも残らなかった( ´艸`)。


アンディは「人が死ぬなんて思えない。
ちょっとデパートに行くだけだ。」と軽く言っているが、
ゲイの間でエイズは流行り、交友のあったキースへリング、
彼の周辺にははかなり神経質になっていた。
死に対する恐怖心は相当持っていたと窺われるが、
それ以上にアート活動には悪魔的に野心があり、
その活動が出来なくなるのが嫌だったのか?

シルバーファクトリーと言う、
何でも生み出す永遠の生産工房を作ったつもりだが、
実際は同性愛者、乱交パーティ、ジャンキー達、犯罪の巣窟化。
アンディは気にもせず、身の回りを病的に綺麗にして、
真っ白の綿100%のジョッキー・クラシック・ブリーフを履き、
お気に入りの香水は三ヵ月毎に銘柄を切り替え、
狂乱を演ずる住民を気にする様子もなく、
ドラッグに溺れず、セックスにも熱中せず、黙々と作品を作り出す。
それはソドムの創造者で支配者、それはもはや悪魔の化身?


ロバート・ジョンソンと言う伝説のブルースシンガーがいる。
彼はアメリカ大陸中を弾き語りながら生活をしていたが、
ある時突然ギターのテクニックが巧みになり人気を博す。
こんな短期間で習得するのは人間業でない、
キット「十字路で悪魔に魂を売り渡して、
その引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まった。
これが「クロスロード伝説」である。
27歳で若死にしたこの悲劇は後の「27クラブ」へと繋がる。
才能に恵まれたミュージシャン、アーティストが27歳でこの世を去る。
ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、
ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、
近年ではエイミー・ワインハウス、
そしてアンディ・ウォーホルに憧れ、共同制作していた、
ジャン=ミシェル・バスキアはアンディの死後、
一年後の27歳でヘロインのオーバードースで亡くなってしまった。
バスキアにとってはアンディ・ウォーホルは神、若しくは悪魔?

アンディ・ウォーホルの口癖はもっとアイデアが欲しい。
お金が欲しい。パトロンも欲しい。もっと輝くダイヤが欲しい。
何かもっと面白い事は無いのかと他人をけしかけ、自身も追いやる。
そして、だからどうなの?
それはあまりたいした問題じゃないと結論付けるが、
キリストの言葉「悔い改めよ、更なる罪を犯すなかれ・・・」
を肝に銘じてか、女性とは生殖活動的なセックスは出来ず、
同性に救いを求める。。。


ボブ・ディランが「スープ缶のように中身が空っぽ」
と彼に言い放ったが、自身も
「もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、
私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、
そこに私はいます。裏側には何もありません。」
又、言った言葉を直ぐに忘れるので、
テーブレコーダをワイフとして愛していて、
最終的には機械の一部、機械になりたいとまで言ってしまう。
しかしこの言葉も最終的に違う言葉に置き換わる。

しかし活動期間の27年間の軌跡は時代を象徴する、
誰も成し得なかった芸術表現を既成概念、宗教とも戦いながら、
あらゆる手段で表現し続けた、たとえ悪魔になろうとも。
アンディ・ウォーホルを語るのはやはり難しい。
自我が無い、虚無である、ボブ・ディランのように語らない。


アンディ・ウォーホル『自画像』1986年


素材としてチョイスしたものが、時代の反映であり、
重要な問題を秘めている。哲学者ウィトゲンシュタインは
「語ることができないことについては、沈黙するしかない」
と述べているが、言葉より重要な状況を伝達しているのかもしれない。
彼は言葉で言い表せないモノを線、色、形で見せつける。


今回のアンディ・ウォーホル・キョウト展は
広範囲の鑑賞者の為の内容なので、
比較的親しみやすい作品をチョイスしているので、
アンディ・ウォーホルのコア部分が観れなかったのは少し残念だ。

例えば彼の作品で異様な作品がある。
人間の放尿を利用してカンバスに絵を描いている。
銅の入った顔料をカンヴァスに塗り、
その上に放尿して化学反応の変色によってを描く「酸化絵画」
ゲイやドラッグ・クイーンの性器を描き、
彼らのおしっこで描いた作品も残している。



しかし同時期、絶滅危惧動物10動物を鮮やかな色彩で描いている。
ある意味彼がチョイスしたもの、サインしたものが何でも
アンディ・ウォーホルの作品になる事を意味している。





アンディの最後にチョイスしたのはカモフラージュと「最後の晩餐」
ようやく彼は懺悔して告白する?

 



アンディは母親の死後も、
日曜日にはカトリック教会に出向き20分ほどぶらつき、
ハトに餌をやり、掘り出し物が売れた後のフリーマーケットに行き、
どうしようもないガラクタを手に入れる。
友人が止めるもお構いなしにガラクタを買い求める。
後に値が上がる事を金儲け好きなアンディは分かっていた。

彼の死後、膨大な蒐集品の競売は10日間に及び、
ロット数で3500組、点数は1万点以上。
中にクッキー入れ120点、25万ドルで資産家に買い取られた。

展示されたクッキー入れは何の変哲もない大量生産品だが、
そこには病弱で神経症のアンディがスーパースターになる秘密が、
色とりどりに散りばめられていたような気がする。

そこにはアンディがチョイスする大事なセンスが宿っていたのに、

何故競売にかけてしまったのだろう。

彼にとっては母親ジュリアが神であり与えた塗り絵が神の化身、
ご褒美の貰うチョコレートがパンとワイン、
チョコレート等が入れられていたクッキー入れが聖杯とするならば、
何の哲学も思想も無ければこの説も成り立つ。


その後もアンディは欠かさず日曜礼拝をしていたが、
信仰に対して懐疑的なのか、やはり告白はした事が無かった。
彼の中には宗教に対して素直になれないモノがあって、
それが「最後の晩餐」のキリストまで迷彩で覆ってしまう事になる?



「最後の晩餐」とカモフラージュは晩年のモチーフで、
アンディ・ウォーホルとしても完成形と言えないものも多く、
ラフスケッチの作品も多い。出来るならばカモフラージュが
完全に覆っている「最後の晩餐」のイエスキリストを観てみたかった。



アンディの遺品に膨大なる録音テープが残されていた。
機械になりたいと言い、1965年から録音されたテープが4000本。
自筆で「ママが死んだ」と書かれた箱がある。
近くで住んでいた母親が実家に帰して直ぐ、1972年に亡くなり、
アンディは葬儀にも出ず、周りの誰にもその事は話さず、
兄との会話が録音されていた。

「慌てる事じゃない、
金は送るから心配しなくてもよい。
誰にも知らせず、死亡記事も出さないでくれ。
葬儀は一番安いのでいい。分ったかい?一番安いやつで十分だ。
お金をかけても死んだママにとっては同じさ。
誰にも知らせるなよ!分かってくれるだろう、いいね?」
と実の兄を諭すように淡々と語るアンディの声が録音されていた。

もちろんこの時アンディは20世紀最大のアーティストとして、
莫大な資産を保有していた筈だ。
納得できないモノには一銭たりとも費やしたくない徹底ぶり。


ところがポケット一杯に現ナマを詰め込んで、
マンハッタンの宝石街で買い漁るアンディの姿は、
この辺りのでは有名な光景になっていた。
死後この膨大な宝飾品は競売にかけられたが、
使用した形跡は無かったらしい。


テーブレコーダと結婚し、ワイフと呼び、
機械の一部、機械になりたいと言っていたが、
1987年2月22日、58歳で死亡。死因は胆嚢の手術の為に
入院した病院での医療ミスと言われている。


クラウス・ホネフ著の「アンディ・ウォーホル」より

葬儀で神父がアンディの言葉として、こう告げた。
「やりかけた事を残さず、消えるように死にたい。
人々は僕が死んだとは言わず、消えたと言う、
死んだ後は、塵か砂に成れたらうれしい。そして
リズ・テイラーの指に輝く大きなダイヤに生まれ変わりたい。」

取り分けアンディ・ウォーホルは謎の多い人物だが、
この機会に自分なりに分析してみたかった。
更なる謎が深まるものの、ようやく京都も本格的に秋めくので、
軌道修正して紅葉狩りに、いざ出陣( ´艸`)!