20世紀初頭、美術界に革命をもたらしたピカソ。
その一世紀前ベートーヴェンは楽譜を販売する事で、
パトロンとの主従関係を断ち、自立した芸術家の道を開拓し、
ピカソに至っては、自身の作品の社会的価値を認識して、
更に経済的価値をコントロールできる存在までに、
死ぬまでフランス共産党員まま、共産主義者を公言していたが、
愛人と同じ位の別荘を各地に所有し莫大な財産を残して亡くなっている。

アンディ・ウォーホルはお金の為にアートをすると言った
初めての芸術家かも知れない。
スター、セレブ、商売、経済活動を賛美し、
何に臆する事無く、富を得る為に数々の作品を手掛けている。
絵画、版画、映画、音楽、テレビ、雑誌等、
創作活動のありとあらゆる領域に手を伸ばす事になる。

昨日のニュースで、鳥取県立美術館の収蔵品として
アンディ・ウォーホルの「ブリロの箱」5点をおよそ3億円で購入。
5点のうち1点は1968年に制作され、
残りの4点はこの作品をもとにウォーホルの死後の1990年のレプリカ。
そのレプリカでも一点で4000万円以上。
アンディ・ウォーホル関係美術館で販売されているとしたら、
レプリカなら1~3万程度が妥当。それは鳥取県民が怒るのも無理もない。

 



その問題の「ブリロの箱」と「キャンベルスープ缶」、
その奥にはアンディのトレードマークの横じまシャツにジーンズ、
愛用のシルバーのカツラ、アンディ・ウォーホルのレプリカ?











無題の下に「ウイリアム・ジョン・ケネディ」と明記された作品。
アンディの横で妙に笑っているジョンは恋人の一人?説明が少なすぎ!




今回のアンディ・ウォーホル・キョウト展は
意図的に京都の関係性を探りだした形跡が気になった。

 



これらのスケッチは清水寺、祇園界隈と思われるが、
その粗さに驚いた。三重塔の先端の相輪、
まるで蛭子能収、日本のヘタウマの元祖、湯村輝彦も驚くはず!








Kyoto japan
July25,1986 Andy Warhol
しっかりアンディのサインが残っている。






舞子も芸子も着色されれば、アンディ・ウォーホル風になる?

 

 

 

 

 


この着物は何の説明も無かったが、おそらくその時の京都土産。


彼のドローイングには特徴がある。上手いかと言うとそうではなく、
味があって少し歪みがある。だから上手いを通り越している。
スケッチが苦手なのは、彼の幼少期の画法のよる。
何故ならばアンディはハリウッドスターの写真を見て描いていたので、
実際の風景などスケッチする訓練などは経験していない。

それ故に前回触れた
『サムという名の25匹の猫と1匹の青いにゃんこ』は
実際のネコを描写したのではなく、
写真に収めてから書き起こしているらしい。

アンディのドローイング良さは
シルクスリーンに移行してからはあまり取り上げられないが、
1949年頃からレコードジャケットを手掛け、その中で披露している。
初期はクラシックがメインであったが、
1950年代中期からはジャズのアルバムカバーを手掛け、
特にブルーノートのケニー・バレル『Blue Lights』(1958年)は、

私にとっても思い出深いジャケットである。



幼少の頃から洋楽には親しんでいたが、
ジャズは二十歳になって京都の来てから。
ジャズの師匠もいたがレコードは自分で選択していた。
蘊蓄が詰まった音楽雑誌は嫌いだったので、目と耳だけが頼りだった。
手っ取り早いジャケ写買い、ほぼほぼ当たりだった( ´艸`)。

このレコードもジャケ写に一目ぼれ!
このドローイングがアンディ・ウォーホルと知ったのは、
実はずいぶん経ってから、今は手元には無いが。


アンディは余り知られていないが、
レコードジャケットでも数々の新しい試みを行っていた。

ジャケ写で世界で最も有名なのは
『The Velvet Underground & Nico』(1967年)

 


いわゆる「バナナ・ジャケット」。
オリジナル・バージョンはバナナの皮が引っ張ると、
ピンクのバナナがむき出しになる性的な仕掛けだったが、
費用が高額な為、その後のプレス通常のプリントになっている。

ザ・ローリング・ストーンズ『Sticky Fingers』(1971年)にも。
表側はジーンズを穿いた男性の股間のクローズアップ、
本物のジッパーが取り付けられており、実際に開く事も出来たらしい。
ジャケットの中にはブリーフを穿いた男性の股間の写真。

ジョン・ケイル『The Academy in Peril』(1972年)では、
ダイカット・デザイン、

ダイアナ・ロス『Silk Electric』(1982年)では
晩年に頻繁に行った手法のひとつ、映写機で人物を表示し、
それを絵画のテンプレートとして使用する表現等、

 

これほど誰もがやった事の無い実験的な表現を、
いとも簡単にやり遂げるのがアンディ・ウォーホル。
初期の作品ムーンドッグ『The Story of Moondog』(1957年)では、
母親ジュリアの手書きによるライナーノーツを表紙カバーに採用。

 


素人、それも単なる母親の手書きを採用するなんて、
普通のグラフィックデザイナーで怖くて出来ないが、
この作品はアメリカン・グラフィック・アート協会より表彰される。
ここが並みのグラフィックデザイナーとアンディ・ウォーホルの違い!

 

 

 

 

 

 



次回もアンディ・ウォーホル・キョウト展の感想が続きそう( ´艸`)。